エミリアーノ・マルティネス(1992年9月2日生マル・デル・プラタ)は昨年の夏、難しい決断を下した。彼は10年間所属した…
エミリアーノ・マルティネス(1992年9月2日生マル・デル・プラタ)は昨年の夏、難しい決断を下した。彼は10年間所属したアーセナルを離れ、正ゴールキーパーになるためにアストン・ヴィラへ移籍した。
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FAカップ決勝で先発したマルティネスは、アーセナルでの2つ目のタイトルを置き土産にエミレーツを去ったが、この変化は彼にとってプラスとなった。ヴィラの守護神として、すでに14回のクリーンシートを記録。クラブ記録とプレミアリーグのゴールデングローブを目指している。
今回のインタビューでは、過去、現在、そしてコパ・アメリカとワールドカップでアルゼンチン代表のアルビセレステのジャージを着てゴールマウスを守る未来について語ってくれた。
Q:プレミアのゴールデングラブのために戦うことを想像したことはありますか?
「私はいつもその年の目標を自分に課していて、シーズン終了時には10か11回以上のクリーンシートを達成したいと思っていた。ヴィラで40試合以上出て取ること、クラブ記録である(クリーンシート)15試合を目標に掲げた。今はもう少しのところまで来ているから、達成したらゴールデングラブを目指す。印象的なプレーをする(マンチェスター・)シティというプレミアで最も優れたチームと競っているから、あまり期待は出来ないけれどね」
マンチェスター・シティのエデルソン・モラエスが16試合(出場時間2610分)、エミリアーノ(2520分)とチェルシーのエドゥアール・メンディ(2160分)が14試合で続いている。
Q:アストン・ヴィラでは、なぜこんなにうまくいっているのでしょうか?
「加入した選手が監督のシステムに非常によく適合している。これまでは選手が不足していた。監督が望んでいたものになっていなかった。最初の3、4試合で勝って、ピッチ上でお互いを知ることができた。中盤からは負傷者が多く出て、いくつか期待はずれな結果となった。大事な試合が10試合残っているから、どこまでやれるか試してみよう」
Q:ジャック・グリーリッシュはどんな人ですか?
「良い奴だよ。彼は生まれた時から、小さい頃からクラブの大ファンだったらしいね。そのクラブにすべてを捧げている。彼はピッチ上でもピッチ外でも常に必要とされるプレーヤーだ。クラブには若くて素晴らしい選手たちがいて、彼らはクラブを愛していて、ヴィラはこれからも成長していく。私たちは重要なことをやるために存在している。より良く理解し合えるから、来年はもっと高いところで戦えるだろう。ジャックはチームの象徴さ。ヴィラを素晴らしいものにするためにプレーしている」
Q:なぜアーセナルではうまくいかなかったのでしょうか?
「環境を変えたいと思った。私は成功したと思っている。2つのタイトルを手にして、世界最高のクラブですべての試合に出場したから。失敗したと思って退団したわけではなく、とても幸せな気持ちで退団した。10年間クラブで戦い続けた後には、気分転換をしたいと思うものなんだよ。自分のやるべきことをしたと思っているし、できればもう少し早くチャンスを与えて欲しかったね。でも、とても満足して去ったんだ」
Q:アーセナルでもう1シーズン戦うことは考えなかったのですか?
「プレーしないと言われたことも、プレーすると言われたこともなかった。自分のレベルどうこうの問題ではなく、自分の判断で正面玄関から出て行ったのさ。誰も私に“残れ”とも“出て行け”とも言わなかった。純粋に自分の判断だった。私の意見を尊重してくれて、決断をサポートしてくれたミケル・アルテタに感謝している」
Q:FAカップ優勝後のピッチ上で涙を流しながら家族と抱擁していましたが、それがキャリアの中で最も幸せな瞬間ですか?
「そうだね、決勝で優勝したからではなく、アーセナルでプロレベルの悔しさを乗り越えたから。チャンスに恵まれず、何年も苦しい思いをしてきた。私にその価値がなかったのではなく、彼らが与えてくれなかったから。クラブに呼ばれなかったり、試合に出たいがために行きたくない場所にレンタルされたりと、これまでの苦い記憶が蘇ってきた。彼らが私を売るためローンを組ませたのではなく、私を向上させるためにローンを組んだのは理解している。だからこそ、私の中に何かを見出して、長く在籍させてくれたのだと思う。カップを獲得した時には、自分の中にあった怒りはどこかに行っていた。私は感情的な人間で、すべてを知る家族を見たら、あの涙が出てきたんだ」
Q:プレーできないという精神的なフラストレーションをどのように解消していましたか?
「とても難しかったよ。私はとても情熱的な男で、物事がうまくいっていないときには、トレーニングをしすぎたり、必要のないことをしたりと、自分の欲求を抑えられずにいた。ジムでもトレーニングでも要求された以上を行っていた。一人で黙々と取り組んでいたかな。時には、精神的に準備ができていなくて『なぜ使ってくれないんだ』と自問自答することもあった。ヘタフェにレンタルで行った時(2017-18)は、クラブの都合でほとんどプレーできなかった。私はサッカーをすることへの愛を失った。自分が何者であるかを感じていなかった。そして、少し心配になって、2~3年前からパーソナル・サイコロジストを付けたんだ。それと同時に息子が生まれた。私のキャリアは上向きになり、今では限界がない。最高のゴールキーパーの1人になりたいと思っている」
Q:精神面での改善は見られましたか?
「専属の心理学者がいて、アーセナルでの悪い時期にいつも助けてくれた。クラブを去る時に一緒に仕事をしようと決めた。一緒にフラストレーションを克服してくれて、今はその成果を得ている。年々成長しているし、それは彼のおかげだよ」
Q:メンタル的な部分が非常に大切ですよね。若い時から必要としている部分だと思うのですが。
「何が起こるかというと、若い頃は必要ないと思ってしまうものだ。ここは若くして大金を手にする世界だ。活躍の場を得て、すべてが順調に進んでも、28歳、29歳でキャリアのピークを迎えられない人もいる。そして、私は今この年齢を迎えている。人にはそれぞれの道があり、その道には障害がある。誰もがそれを克服できるわけではない。私はそれらを克服し、妻や家族と一緒にその暗い障害を乗り越え、今ではその成果を見ることができる。これだけ苦しんだのだから、今度は世界のトップになりたい」
Q:アルゼンチン代表でのデビューをイメージしていますか?
「6歳の頃から想像していた。サッカーを始めたときから、アルゼンチンのGKになりたいと思っていた。それは、私がインデペンディエンテに旅立つ前、幼い頃に父と約束したことなんだ。代表でプレーしないといけない。それが今年なのか、来年なのか、5年後なのかは分からないが、正しい道を歩んでいると思っている」
Q:自国開催(コロンビアと共同)のコパ・アメリカ2021での活躍を期待していますか?
「世界最高のリーグにいて、ヴィラのような素晴らしいチームで毎試合プレーしている。可能性はあるが、プレミアリーグでプレーしているからといって、アルゼンチンに行くとは限らない。週末ごとに代表に呼ばれるだけのプレーをして証明しなければならない」
Q:今回のコパ・アメリカと次のW杯は、メッシがアルゼンチンでタイトルを獲得するための最後のチャンスですか?
「彼のキャリアの中で、唯一欠けているものだね。彼は全世界で最も多くのトロフィーを獲得している。誰もが彼に優勝してほしいと思っている。彼と一緒にピッチに立って何かを勝ち取ることは、私にとって喜びであり、名誉なこと。レオと一緒にプレーした私たちにとっては、信じられないこと」
Q:アルゼンチン代表で彼と一緒にいるのはどんな感じですか?尊敬の念を抱くのですか?
「スポーツレベルで起こりうる最大のもの。世界のトップと戦うわけだから、メッシがチームにいることに勝るものはない。GKとしては、練習から彼のシュートを受けられるのは光栄なこと。すべてのボールを守ろうと努力している。車にターボが付いたようなもの。彼のところにボールが来たら、ターボを吹かして得点のチャンスを活かさないといけない。私の仕事や行動のすべては、彼が勝つためのもの。アルゼンチン人として、私が優勝するよりも、彼がコパ・アメリカやワールドカップで優勝する方が幸せだね」