彼がスペインサッカー界にもたらした影響は、まさにハリケーンだった。パワー、テクニック、センス、そして絶妙なフィニッシュを兼ね備えた、フットボール史上最高の才能を持つゴールハンター。ロナウド・ルイス・ナザリオ・デ・リマは、1996年に18歳で…

彼がスペインサッカー界にもたらした影響は、まさにハリケーンだった。パワー、テクニック、センス、そして絶妙なフィニッシュを兼ね備えた、フットボール史上最高の才能を持つゴールハンター。ロナウド・ルイス・ナザリオ・デ・リマは、1996年に18歳でPSVアイントホーフェンからバルセロナにやってきた。アスルグラナのジャージを着たのは1シーズンだけだったが、公式戦49試合で47ゴールと誰もが目を奪われ、何よりも彼が時代を代表する選手であることを証明するには十分だった。
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当時の監督ボビー・ロブソンに「私の戦術はロナウド」と言わしめたカリオカは、休暇中にバルセロナから来季の契約はできないと告げられ、当時の移籍金最高額でインテル・ミラノへ移った。史上最年少でのバロンドール受賞や二年連続でFIFA最優秀選手賞を受賞し、「フェノーメノ」と称されるなど絶頂期を迎えたが、右膝の二度の大怪我が順調だったキャリアを狂わせた。
しかし、バルセロニスタを最も苦しめたのは2002年の決断だった。ロナウドはフロレンティーノ・ペレスの銀河系軍団へ加入。ブラジルの5度目のワールドカップ制覇に貢献したことも評価され、3度目のFIFA最優秀選手賞と2度目のバロンドールを受賞した。レアル・マドリーでの晩年は、チームメートからも試合中に激怒されたり、ファンから批判されることもあったが、スペインの首都での5年間はバルセロナに大きく刺さった。
そしてACミランでの1シーズンとコリンチャンスでの2年間を最後に、2011年に現役を退いた。
陽気なカリオカのストライカーは、スペインを離れて10年以上たった2018年9月に、クラブの株式の51パーセントを取得し、レアル・バジャドリードの会長に就任。誰も予想していなかった出来事だったが、単なる投資ではなく、機能を発揮して、プリメーラ定着という目標に向けて機能している。2020年4月時点でロナウドは、クラブの株式の82%を所有している。
プセラ(バジャドリードの愛称)は5日にFCバルセロナと対戦する。オーナーのルイス・ナザリオもカンプノウに足を運ぶ予定で、就任後4度の対戦全てで負けているチームを後押しする。1回目は2019年2月、健闘するもメッシのPKが決勝ゴールとなり0-1。2回目は、2019年10月にカンプノウで玉砕された5-1(メッシ2点、スアレス、ラングレ、ビダルのゴール)。3回目は、ホセ・ソリージャで0-1、アルトゥーロ・ビダルのゴールだった。最後は、今シーズンの第15節での0-3である。
レアル・バジャドリードは、カンプノウで、1987/88と1997/98の2回しか勝利していない。