乃木坂46・賀喜遥香インタビューバスケットボール 編乃木坂46の4期生メンバーで、次世代エース候補のひとり、賀喜遥香さん…
乃木坂46・賀喜遥香インタビュー
バスケットボール 編
乃木坂46の4期生メンバーで、次世代エース候補のひとり、賀喜遥香さん。アイドルとして注目度を高めている彼女だが、中学時代はバスケットボールに本気で取り組んでいたという。競技に向き合った3年間が、現在の活動にどう活きているのだろうか。バスケ部時代の経験や、自身が描く未来像について聞いた。
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中学時代にバスケットボールに所属していた乃木坂46の賀喜遥香さん
ーーバスケを始めたきっかけを教えてください。
賀喜遥香(以下、賀喜) 小学6年生のときに、進学する中学校の部活動紹介を見に行って、どのスポーツよりもバスケがカッコいいと思いました。それまでスポーツは何もしていませんでしたし、家に引きこもって絵を描いていたんですけど(笑)。「どうしてもシュートを決めたい!」って思っちゃって。その衝動でバスケ部に入りました。
ーー実際に入部してみていかがでしたか?
賀喜 最初の頃は基礎練ばかりでした。15人くらいいた同級生全員で体育館の端っこをハンドリングしながら声出しをしたり、晴れの日は外でランニングをしたり。顧問の先生が陸上部出身だったので、「とりあえず外行けー!」って放り出されて(笑)。とにかく走って体力をつけて、筋トレして。陸上部がやるような練習をひたすらこなしていましたね。
それでも私は楽しかったんです。先輩に対する憧れが強かったので、プレーを見ているだけでも楽しかったですし、「頑張れば上手くなれる」と信じて練習をしていましたから。
ーー試合に出られるようになったのはいつ頃ですか?
賀喜 中学2年になって、3年の先輩が卒業した後です。それまでは、ベンチ入りできるレギュラー以外の枠が3人までだったのですが、一度も入ることができなくて......。そのなかでもモチベーションを保つことができたのは、先輩からの"ある言葉"があったからでした。
それは私がまだ中学1年の頃、先輩たちが行なっていたレイアップシュートの練習に混ぜていただいたことがあって。憧れていたある先輩から「レイアップ、上手になったね」って褒めてもらえたんです。それがすごく嬉しくて。それ以降、家に帰ってご飯を食べた後、すぐにランニングしたり、自主練を重ねるようになりました。その甲斐あってか、中学2年からベンチ入りできるようになり、なぜだか副キャプテンにも選ばれて(笑)。

バスケ部の経験が現在のアイドル活動につながっているという
ーーきっと、賀喜さんの練習熱心な姿勢を周りが見ていたからではないでしょうか。副キャプテンになってからは、立場や考え方に変化はありましたか?
賀喜 めちゃくちゃ変わりました。もう、みんなをまとめるのが難しすぎて(笑)。チームではキャプテンだけがバスケ経験者で、私を含めたほかの部員は全員、中学から始めた初心者。キャプテンが一番上手いから、彼女の言うことは基本的に全部聞いていたんですね。でも一度、キャプテンが腕を骨折して離脱したことがあって。それで私が部員をまとめなきゃいけなくなったときが、中学3年間で一番カオスでした(笑)。
出場する大会でもほとんど勝ったことがなくて、100点ゲームで負けることもありました。私たちは下手なりに一生懸命プレーしているのですが、キャプテンはブチギレでしたね(笑)。一番成績がよかったのは、一回戦を突破した中学最後の総体ぐらい。それでもキャプテンが「楽しかったよ」と言ってくれたときはすごくうれしかったですね。選手としては、この大会を最後に引退しました。
ーーそうでしたか。賀喜さんのポジションは?
賀喜 センターでした。私、背が高いので。でも当時は細くて、筋肉もなかったので、「ただ背が高いだけのセンター」って周りからは思われていたかもしれません。でもそれが悔しくて頑張っていた部分もあります。
ーーリバウンドやポストプレーなど、フィジカルの強さが求められるポジションですね。
賀喜 そうなんです。センターはほかに1、2人しかいなかったので、私の悩みを理解してくれる人が少なく、結構しんどかったですね。それにドリブルが下手だったので、先生やキャプテンに「ドリブルはしなくていい。センターのプレーだけマスターしてこい」って言われて(笑)。だから、ひたすらYouTubeで練習方法を勉強していました。部活の合間にキャプテンが練習に付き合ってくれていたので、何度もスクリーンプレーを繰り返していました。
ーーでは、他校の試合やBリーグなんかでも、センターのプレーを中心に見ていた感じですか?
賀喜 すごく見てました。私は栃木県で育ったので、特に地元の宇都宮ブレックスの試合をよくテレビで観戦してましたね。ブレックスって、県民からの人気がものすごいんですよ。当時はTSUTAYAの窓に選手の等身大のシールが貼ってあったり、映画館の椅子の肘掛にもシールが貼られていましたね(笑)。劇場で流れる映画の予告にも選手たちが出てきたりして(笑)。
ーー本当に栃木県民が一丸となってチームを応援しているんですね。賀喜さんの推しはどの選手ですか?
賀喜 実は私、あまりそういう感じで試合を見ていなくて。選手を好きになるというより、敵味方に関わらず選手のプレーを見るのが好きだったんです。ひとり挙げるとすれば、田臥勇太選手です。周りにも好きな子が多かったので、それに乗っかって「私も田臥みたいなシュート打ちた〜い」とか言って。「いや、無理でしょ」みたいな(笑)。そんなやり取りをしてました。
今でもバスケの試合自体は、ブレックスの試合もそうですし、女子のウインターカップなんかもテレビで放送していたら見ますね。実際にプレーしているのを見ると、今はやりたくてもなかなかできないので、「いいな〜」って羨ましくなっちゃいます。
ーー乃木坂46に入って以降も、たまにバスケをしていますか?
賀喜 地元に帰ったときに、たまに友達と集まってやっていました。乃木坂でも、体育館でみんなとバスケをするっていう撮影があったり。久しぶりにやると、やっぱりめちゃくちゃ楽しかったですね。でもそのとき、中学時代のキャプテンのことを思い出しちゃいました。いろいろ教えてくれて大好きでしたし、一緒に連携プレーをするのもすごく楽しかったので、彼女がいなくて「あ〜寂しい!」って(笑)。
ーー早く気兼ねなく集まってバスケができる世の中になってほしいですね。今はコートからアイドルの舞台に活躍の場所を移している賀喜さんですが、バスケをやった3年間は、今の仕事に活きている部分はありますか?
賀喜 いっぱいあります。それこそ副キャプテンをやった経験は大きかったです。任せられるまでは、そもそも人をまとめたことがなかったし、自分から率先してやりたいとも思わなかった。だから少なからず批判もあったんですけど、そこで「みんなに同じ方向を向いてもらうにはどうすればいいか」を自分で考えて、行動に移せたことは大きな学びとなりました。この期間を通じて、"体育会系な心"が育ったなって思います。
あとは地道に努力を積み重ねた経験も今につながっています。走り込みとか、フットワーク練習をコツコツ続けて頑張っていけば、先輩がレイアップを褒めてくれたように、いつか認めてもらえるようになる。必ず誰かが見てくれている。もちろんツラくて心が折れることもありましたけど、その経験で得た気持ちや思い出があるから、今も頑張れることができています。そういう意味では、私の人格を作ってくれたのはバスケなんだなぁって、今ではそう思いますね。
ーースポーツ選手とアイドルに共通する部分だと思いますが、応援してくれるファンに夢や感動、刺激を与える存在として、今後どういう意識で活動していきたいか、お聞かせください。
賀喜 今の私にできることは、応援してくれる方々に頑張ってる姿を見てもらって、「一緒に頑張ろう」と思ってもらうこと。そのために、一つひとつのお仕事に全力で取り組む。それに尽きると思います。
もともと私も、舞台に上がる側ではなく、坂道グループのファンのひとりでした。乃木坂に入る前から先輩方をずっと見てきて、たとえ自分に自信がなかったとしても、くじけず、頑張っている姿にすごく元気をもらって。私も「こんな女性になりたい」って、そう思いながら生きてきました。
だから、実際に乃木坂のメンバーになった今、次は私の番。当時の私が先輩たちからもらっていたように、今度は私がファンの方々に頑張る元気を与えてあげたいなと、そう思います。
【profile】
賀喜遥香 かき・はるか
2001年8月8日、大阪府生まれ。18年に坂道合同オーディションに合格し、乃木坂46の4期生としてアイドルデビュー。19年9月発売の24枚目シングル『夜明けまで強がらなくてもいい』で初の選抜入りを果たすと、20年3月に発売された25枚目シングル『しあわせの保護色』に収録された4期生楽曲『I see...』ではセンターに抜擢。同年11月には、NHKドラマの『閻魔堂沙羅の推理奇譚』第2話にゲスト出演を果たすなど、女優としての一面も見せる。加えてバラエティやグラビアなどでも幅広い活躍を見せ、着々と次期エースの階段を上っている。