2007年にGAMIさんと共にプロレスリングWAVEを設立。2019年に同団体の代表取締役社長に就任した桜花由美。コロナ禍において難しい舵取りを迫られる中、まもなく社長就任2周年を迎える桜花。前編は声優を目指した頃からWAVE設立まで。 …

2007年にGAMIさんと共にプロレスリングWAVEを設立。2019年に同団体の代表取締役社長に就任した桜花由美。コロナ禍において難しい舵取りを迫られる中、まもなく社長就任2周年を迎える桜花。前編は声優を目指した頃からWAVE設立まで。


--小さい頃は、どんな女の子でしたか?
桜花由美(以下 桜花):4歳の頃に見たアニメ「魔法の天使クリィミーマミ」にハマって魔法少女になりたかったです(苦笑)。これがプロレスラーとしての人生の始まりであり、繋がっているんですよ。

--魔法の天使クリィミーマミがプロレスに繋がっているのですか?詳しく教えてください。
桜花:クリィミーマミが好きで魔法少女になりたい。と思いましたが、小学高学年で魔法少女になれないことに気づきました(笑)。そこでクリィミーマミの声優のである「太田貴子さんに会いたい」と思いました。声優になれば会えると。

--それは、いつぐらいですか?高校卒業してからとか…
桜花:中学1,2年くらいです。茨城から東京の養成所に通っていました。レッスン帰りに秋葉原や大宮のアニメイトで「クリィミーマミグッズ」を購入しました。
憧れの太田貴子さんにはプロレスデビュー10周年の2011年にお会い出来て、一緒にLIVE出演させて頂きました。会うまでに30年以上かかりましたが、願っていれば叶うと思いました。
私はクリィミーマミのおかげでプロレスラーになったし、本人に会えたのだと思います。クリィミーマミが私の人生を決めましたね。
ある時、養成所の講師の方に、「声優だけでは難しいから役者もやった方がいい」とアドバイスを受けました。それで役者も始めるわけですが、別の方から「役者は10年続けて芽が出なかったら諦めた方がいいよ」とも言われましたね。
21歳、声優目指してから8年経った頃、「あと2年頑張ってダメなら諦めよう」と、思い切って上京しました。当時は高校を卒業し、実家のガラス工場で働いていましたね。
レッスンの時、お母さんに駅まで車で迎えに来て貰っていました。帰宅が夜遅くて母に迷惑をかけたくないという気持ちと、ちょうど加入していたアイドルグループを卒業した時期も重なりました。

--上京後はどうしましたか?
桜花:吉本興業主催のアストレス・オーディションを受けました。自分に付加価値をつけたいと思ったんです。

--自己プロデュース力が高いですね。でも付加価値がプロレスだったんですか?
桜花:当初はプロレスをやると思ってなかった、アクション女優募集だったので(苦笑)。「アクションが出来る声優はいない」と思ったからです。アクション自体は柔道経験があるので、抵抗はありませんでした。
吉本女子プロレスJd'は2年間練習してプロレスデビュー、声優時代の8年間を含めて10年。ここまで頑張ろうと。
しかし、いざ蓋を開けると「早くデビューしろ、いつデビュー出来る」と。練習半年でデビューしました(笑)。2年間はプロレスを頑張ろうと思いましたね。

--それで2年間頑張れたのですか?
桜花:吉本女子プロレスが、「2年間プロレスを続ければアクション女優として映画に出られる」という餌をぶら下げていたのです(苦笑)。結局3年後に映画出演することが出来ました。

--プロレスは2年間で卒業しなかったのですね。
桜花:卒業の試合でプロレスを続けるかどうか、自分で決めることができました。最後の試合はタイトルマッチ、しかし負けてしまった。
私としてはプロレスをした証としてベルトが欲しかった。雑誌の選手紹介で「タイトル歴なし」と書かれているのが嫌だったので(苦笑)。それでプロレスを続ける決意をしました。その後、団体はJDスター女子プロレス(以下 JD)に名称が変更。

--小さい頃からプロレスに興味はありましたか?
桜花:プロレスを観るのは苦手でした。痛いじゃないですか。やるのは好きですけど、今でも観るのは苦手ですね(苦笑)。

--桜花選手のプロレスを初めて見た時、躊躇なく相手の顔を蹴る「ビッグブーツ」を使用していて「なんて、えげつない技を使う選手なんだ」と思った記憶があります(苦笑)。
桜花:元々、殴る・蹴るなど相手のことを痛めつける技は苦手で丸め込む技が多かった。丸め込みを使うのは小柄な選手が多いので、実際に会うと「もっと身長が小さいと思っていました」と言われることがありましたね。
JD時代、先輩選手に「お前の試合には感情がない」と言われました。バックエルボーとかは使っていたけど、殴る蹴るはしなかった。先輩に言われて頭に来たので「殴る蹴るをすればいいのですね」と。
そして張り手を使ったら、会場が「ドッカーン」と沸いたんです。それから攻撃が楽しいと思うようになりました。最近は人の顔を蹴ることが大好きです(笑)。

--JDでは怪我も多かったですね。
桜花:左膝半月板損傷と左膝靭帯断裂の重傷を負いました。その時は「プロレスラーにならなければ良かった」と悔やみましたね(苦笑)。2007年7月JDの解散試合で、プレ復帰戦をしました。

--その後、GAMIと一緒にプロレスリングWAVE(以下 WAVE)を設立しましたね。
桜花:JDが解散すると決まった時、私の選択肢にフリーはありませんでした。どこの団体に所属しようか考えた時、私のカラーに合う団体がなかった。
GAMIさんはフリーとしてJDに参戦していました。そして「団体を立ち上げるけど一緒にやらへん?」と誘ってくれた。「真っ新なところだったら自分の色に出来るかも」と思いWAVE設立に参加することにしました。

--2人で団体を立ち上げるとは勝負に出ましたね。
桜花:27歳、若かったんでしょうね(笑)。ただ周りからの風当たりは強かった。今でこそ普通ですけど、「2人で団体を名乗るなんて有り得ない」「団体が1年持たないだろう」とか言われました。でも私逆境って好きなんですよ。燃えましたね。

--WAVE設立当時はいかがでしたか?
桜花:どん底ですね。2人で立ち上げたので、他の団体から選手を借りることになります。通常、土日に団体の試合があるので、土日は選手を借りることが出来ない。そこでWAVEは平日に試合を行うことにしました。ただ平日とはいえ多数の選手を借りることが出来ないので、GAMIさんと私はいつも1大会で2試合はリングに上がっていました。
最初の頃は泣きながら、試合の準備をしていましたね。スタッフがGAMIさんと私2人しかいないので、前日の夜に進行表とか作っていました(苦笑)。

--状況が変わってきたのは、いつぐらいからでしょうか?
桜花:若い選手を使い出してからですね。あと所属選手が1人増えるたびに集客が増えていった。不思議ですけど1人増えると、一定数のお客さんが増えるんですよ(笑)。


<後編に続く>


<インフォメーション>
桜花由美選手が代表取締役社長に就任して2周年を記念した大会、PHACE2 Reboot 2nd『NAMI☆1~Apr.~’21』が、4/1(木)新宿FACEで行われます。詳細はプロレスリングWAVEのWebサイトをご確認ください。→https://pro-w-wave.com

プロレスリングWAVEオフィシャルショップ【Shop-ZABUN】では、チケット、所属選手オリジナルグッズや各種グッズ、DVD等販売中です。→https://home.tsuku2.jp/storeDetail.php?scd=0000044512

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