昨夏の交流試合で中京大中京エース・高橋と投げ合った西村が再び甲子園に

 春の甲子園に、球児たちが帰ってくる。19日開幕の第93回選抜高等学校野球大会。そのマウンドに、ひとまわり成長を遂げて戻ってきた左腕がいる。今から5か月前、昨秋の近畿大会。智弁学園のエース・西村王雅投手は淡々と投げ続けていた。一見、普通の光景なのだが、西村が“淡々と投げる”姿には大きな成長を感じられた。

 1年夏から甲子園のマウンドを経験。当時の背番号は11だったが、多くの登板機会を得ていた。しかし、思うような投球ができなかったり、味方の失策などがあると感情が抑えられなかった。マウンドさばきが不安定になり四球を連発して自滅していた。

 そんな左腕を変えたのは背番号だ。1年秋になり、小坂将商監督が与えたのはエース番号の「1」だった。1学年上の先輩や同級生でU-15日本代表だった小畠一心投手ではなく西村に1番を背負わせた理由を当時、小坂監督は「1番渡したら気良くして投げるわ~!」と冗談交じりに話していた。しかし、これは冗談では終わらず、指揮官の思惑通り西村は成長の一途を辿った。

「背番号1で責任感は生まれました。他の投手が1番で自分が10番だったらこうなれてなかったかもしれないです(笑)」

 憧れの番号を背負っても初めからうまくいったわけではない。背番号は変わっても、何かあればマウンドでイライラしてしまうところは変わらなかった。下級生エースのその態度はチームの空気にも少なからず影響があったという。

 不器用な態度しか取れない自分への自信がなくなっていきそうになったとき、前を向かせてくれたのは指揮官だった。

背番号が変わってもマウンドでイライラ…自らを変えてくれた監督のひと言

「1つ上の代になったときにうまくいかなくて、1番貰っているのにずっと下を向いていた。そのときに監督さんに呼ばれて、『自分信じて投げるしかない』と言われました」。

 味方の失策があれば自分が抑えてやる、俺に任せろ!という投手になることが1番を貰っている自分がなるべき姿だと気づくことが出来た。

「1番つけてた先輩は練習から違ったんで」誰よりも遅くまで走り込み練習に励む西村のことを今はチームメートが口を揃えて言う。「王雅、大人になりました!」

 171センチ、67キロの左腕から投じるストレートは最速138キロ。それでも、昨年8月の交流試合ではその年の世代ナンバーワンと評された中京大中京の高橋宏斗(現中日)と堂々と投げあった。

「先輩達との最後の試合で自分の力を試して楽しむだけと思っていました。自分の中では正直あそこまでいくとは思っていなくて。いい経験ができたかなと思います」

中日入りした中京大中京・高橋(中日)の直球に「すごいっす」

 今までの中で1番学びのある試合だったというが「良い経験」で終わらせずに「満足はしていないんですけどね」と笑って付け足したのが西村らしい。

 圧倒されたのは打席で相対した高橋のストレートだ。「すごいっす。見たことないっす。1打席目に三振したボール、ど真ん中やったんです。当たらなかったです。絶対真っ直ぐだと思っていったのに」。数か月経っても興奮気味に振り返る。もちろん凄さを感じたのはストレートの速さだけではない。

「9回でも150キロくらいのボールを普通に投げていて、カウント球もしっかりとれる。最後の勝負球でも絶対甘さを出さなかったです」負けた悔しさはあったが、1つでも学びを得ようと試合後の取材が終わったわずかな時間で高橋を質問攻めにしたという。「2年生なのにいいピッチャーだねと言われて少し自信になりました」。

 初戦の相手は大阪桐蔭。昨秋の近畿大会決勝の再戦となったがその時は9回を一人で投げ切りチームを優勝に導いた。「自分たちは1回も甲子園で勝ててないんで、まずは1つずつ勝つ。最後は新チームから掲げてきた日本一です」。背中につけた“1番”の責任感、“1番”の投球を目の前で見た経験が西村王雅を成長させた。本物のエースのピッチングを披露するときがやってきた。(市川いずみ / Izumi Ichikawa)

市川いずみ(いちかわ・いずみ) 京都府出身のフリーアナウンサー、関西大学卒。元山口朝日放送アナウンサー時代には高校野球の実況も担当し、最優秀新人賞を受賞。NHKワースポ×MLBの土日キャスター。学生時代はソフトボールで全国大会出場の経歴を持つ。