【プロ野球で一流になれなかった苦労人】

 1986年夏の甲子園で優勝した天理のキャプテン、中村良二が高校野球の監督になり、甲子園で涙を流したのは2017年夏のことだった。

「監督になるというのは一度あきらめた夢だったので、恥ずかしながら涙を流してしまいました。まさか、母校である天理のユニフォームを着て戻ってこられるとは思っていなかったので」

 中村に率いられた天理の選手たちは、甲子園で大暴れした。大垣日大、神戸国際大付を下し、準々決勝では明豊に打ち勝った。準決勝の広陵戦で、中村奨成(広島)に2本のホームランを打たれて9対12で敗れたものの、ベスト4入りは全国優勝した1990年以来27年ぶりの快挙だった。

「僕は、指導者になるためにプロの11年間があったんじゃないか。あの世界で勉強させてもらったんじゃないかと考えています」



元近鉄で、2015年8月から天理の監督を務める中村良二

 右の長距離砲として期待され、1986年ドラフト2位で近鉄バファローズに入団した中村は、最後までレギュラーを掴むことなく、ユニフォームを脱いだ。そのときの経験を『補欠のミカタ レギュラーになれなかった甲子園監督の言葉』(徳間書店)の中で語っている。

 二軍(ウエスタンリーグ)での通算ホームランは110本。中村はその長打力を一軍では発揮できなかった。近鉄バファローズに在籍した10年間で、一軍での出場は41試合。51打数5安打、本塁打0という成績だった。

 1980年代、近鉄は豪快な野球で人気を集めていた(2004年限りで、オリックス・ブルーウェーブに吸収合併)。1988年秋、仰木彬監督に率いられた"猛牛軍団"は王者・西武ライオンズを最後まで追い詰めながら、"10・19決戦"で敗れた。その悔しさを胸にスタートした1989年、春季キャンプメンバーに中に中村の名前があった。

「キャンプから帯同させてもらって、必死にしがみついて開幕一軍切符を掴みました。シーズンに入ってからも打席に立つチャンスをもらい、ヒットも打って『これから』と思っていたんですが、二軍のほうが試合に出るチャンスがあるからということで二軍落ちしました」

【プロ野球で知った人との出会いの大切さ】

 1989年シーズン、外国人選手のラルフ・ブライアントを中心とした打線が爆発し、近鉄はライオンズを上回って優勝した。プロ2年目の中村は10打数3安打(2二塁打、1三塁打)、4打点とある程度の存在感を示したものの、レギュラーを掴むまでには至らなかった。

「DH(指名打者)にはブライアント、ファーストには石井浩郎さん、外野にもいい選手がたくさんいました。プロ3年目、4年目にもっと頑張れたらよかったんですが......チャンスをもらっても、『打てなかったら二軍落ちだ』と自分にプレッシャーをかけてしまって、自分が小さくなってしまっていたように思います。誰かにそう言われたわけでもないのに。『ヘタしたら今年でクビになるかも』と、バカみたいに自分でプレッシャーをかけながら野球をしていました。なんて気がちっちゃいプレーヤーだったんだろうと、思い返すことがよくあります」

 この後悔が、指導者になったときに大きな意味を持つことを、中村はまだ気づいていなかった。

「ほとんど二軍にいたのに、プロ野球の世界で11年もプレーできた選手ってほかにいないと思うんです。チャンスに恵まれない人が多いのに、僕は何度もチャンスをいただきました」

 11年間のプロ野球人生で、中村は何を学んだのか?

「プロ野球で、人との出会いの大切さを知りました。僕が入団したときの監督は岡本伊三美さん。1988年から仰木監督にお世話になり、近鉄をやめるときの監督は佐々木恭介さん。監督やコーチ、首脳陣の方々には本当に感謝しています。僕が活躍できなかったのは、チャンスを自分で潰してしまったから。すばらしい指導者との出会いがあり、さまざまな方に教えていただいたことが今に生きているなと思います」

 そういう思いが強いから、中村は今も出会いを大切にしている。

「僕は、人との出会いは人を変えられると思っています。だから、僕のところに来てくれた子たちに関して、できる限り同じ目線で、同じ指導をして、みんなにチャンスをあげたいんです。『1打席凡退したら、交代させられるかも?』と思わせないように、先発したら3、4打席は立たせるようにしています」

【チームは監督ひとりでできるわけではない】

 プロ野球を去るとき、中村は29 歳だった。結婚もしていて、幼い子どもがふたりいた。

 1998年から少年硬式野球チームである藤井寺リトルシニア監督に就任したが、それは無報酬のボランティアだった。だから、アルバイトで生計を立てていた。

「子どもがまだ幼稚園と小学生だったんですが、家内は『あなたから野球を取ったら何も残らないもんね』と言って働いてくれました。平日のうち2日は少年野球の練習があり、それ以外の3日間は朝から夕方まで働いて、夜はローソンで夜勤に入っていました。2年くらいは、3日ほど寝ない生活を送りましたね」

 コンビニエンスストアでアルバイトをする元プロ野球選手の姿は嫌でも目立つ。

「タテジマのローソンの制服を着て、大学生たちと一緒にシフトに入っていました。地元の店で働いていたので、知り合いに『あれ? 中村くん、何してるの?』と言われたりしましたが、『働いてるんですよ』と答えました。マニュアルがあって、陳列の仕方も決まっていて、そういうのもなんだか楽しかったですし、恥ずかしいとは思いませんでした」

 9年間、中学生の指導を行なったあと、社会人野球の日本新薬の臨時コーチや大和高田クラブのコーチを経て、2008年8月に天理大学野球部の監督に。その後、2014年2月に天理高校野球部のコーチ、2015年8月には監督に就任した。

「いろいろな人に助けられて、僕はここにいます。今も、コーチやスタッフ、選手たちに支えられています。チームは監督ひとりでできるわけではなくて、トレーニングコーチがトレーニングをしっかり見てくれて、技術を教えるコーチが選手の能力を高めてくれる。甲子園に出られたのは選手の力のおかげですし、チームはコーチやスタッフがいてくれてこそ。監督の力なんてたいしたものではありません」

 中村の指導の根底にあるのは、天理を二度も日本一に導いた前監督・橋本武徳の教えだ。

「高校3年間も指導していただきましたし、3回目の監督をしているときに一年半、コーチとしてお手伝いさせていただきました。僕が高校に異動になるにあたって、理事長に『恩師を甲子園に出して監督を引き継いでほしい』と言われたんです。橋本先生は、秋の明治神宮大会、春のセンバツ、夏の甲子園と3大大会に出場して勇退されました。

 高校野球はこうあるべき、ということは橋本先生から学びました。先生はバントが好きじゃなかったし、サインもほとんど出さなかったし、そもそも選手を管理する方ではなかったですね」

 時代が変わっても、中村が追い求める野球のスタイルは変わらない。

「すべてではありませんが、チームづくりの方法論、試合の進め方は、結局、先生と同じなんだなぁと思います」

 監督6年目を迎えた中村のチームづくりはこうだ。

「練習はコーチやスタッフと話をして、おおまかなメニューを組みます。どうしても入れてほしいものがあれば、僕から提案します。細かく伝えることもありますが、コーチに任せることが多いですね。

 僕は、ものごとは何でも、自分でやらないと面白くないと思ってるんです。練習内容も、決められたメニューよりも、生徒が選んだ練習のほうがいいじゃないですか?」

 試合中も、監督があまり動くことはない。

「打席に立った選手に『どうすればいいですか?』とベンチを見られるよりも、『監督、サインはいりません。僕が何とかします』と思ってほしいんです。そんなふうにプレーするためには、普段の練習から自分の頭で考えるようにしないといけない」

 選手を指導するとき、反面教師としての自分が思い浮かぶことがある。「失敗を恐れて、結果を求めすぎて、小さくなってしまった」過去の中村自身だ。そうさせないために、できるだけチャンスを与えることを心がけている。

「ミスをしたあとの自主練習で何をしているのかを僕は見ています。守備で迷惑をかけたのにバッティング練習をしていたら『なんで?』と言いますよ。大事なのは、自分の頭で考えているかどうか」

【一丸となって戦わないと勝てない】

 プロ野球で挫折したのち、少年野球、社会人チームやクラブチーム、大学野球を経て高校野球のコーチ、監督になった中村は、これまでの体験を教材としながら指導を行なっている。

 監督に就任した2015年の秋から、ベンチ入りメンバーを選手による投票で選ぶようにしているが、それは「天理での出会いを大切にしてほしい」との思いがあるからだ。

「春、夏、秋と3つの大きな大会がありますが、全部、生徒に決めさせています。『自分が思う、天理のベストメンバーを選んで』と言って、記名式で、20人のメンバーを自分が監督になったつもりで選ばせるんです。実力的に20人に入れられないけどベンチに入れたい、という人がいれば、ふたりまでは欄外に書いてもいいと」

 その投票を見て、監督やコーチが驚くことがある。

「実力的には少し劣るけど、ときどき、欄外にものすごい票を取る子がいるんです」

 監督やコーチがいないところで何をするか。それを見ているのが仲間だ。

「僕らが見ているから頑張るんじゃなくて、同級生や先輩・後輩と一緒に野球をして、自分でベンチ入りやレギュラーを勝ち取りなさいという話をします。それが、彼らにとっての出会いですよね。それを、大事にしなさいと伝えています。

僕らが想定していなかった子がメンバーに入っているのを見ると、うれしくなります。『そうか、そういうことか』と。大人の目では見えないものがあるんですね」

 選手間の投票によって選ばれるメンバーには、それだけの責任がある。

「投票された選手はその責任を感じてベンチに入って試合に臨んでほしいし、ベンチに入れなかった選手も、投票した責任があるからしっかりサポートしてほしい。『一丸になって戦わないと、うちは絶対に勝てないよ』といつも言っています。まとまって、ひとかたまりで立ち向かっていかないと」

 今回の春のセンバツ1回戦(3月20日)で、天理は宮崎商業と対戦する。ベンチ入りの18人がすべての部員の思いを背負って、甲子園で暴れ回るはずだ。