ワールドカップ・敗北の糧(3)(1)から読む>> 2006年6月12日、カイザースラウテルン。ドイツワールドカップ、グル…

ワールドカップ・敗北の糧(3)
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 2006年6月12日、カイザースラウテルン。ドイツワールドカップ、グループリーグの初戦で、日本はオーストラリアに、終盤まで1-0とリードしながら、1-3と世紀の逆転負けを喫している。

「1点のリードを守るサッカーでミスをしてはいけない。試合運びにミスがあった。リードしているときの時間の使い方がまずかったし、得点チャンスを逃しすぎた。日本は、あれだけロングボールを入れられると守りきれないところがあって......」

 日本代表を率いたジーコ監督は、試合後にそう分析したが、目もうつろだった。

 無残な敗北は、日本サッカーの土台を揺るがすほどの衝撃だった。代表人気は深刻なまでに落ち込んだ。それを糧にするまでには痛みを伴った――。



2006年ドイツW杯初戦でオーストラリアに敗れた小野伸二ら日本の選手たち

 日韓ワールドカップでのベスト16進出を経て、4年間で日本は多くの選手が欧州で実績を積み、「集大成になる」と期待を寄せられていた。代表23人の欧州組選手の数は、前回の4人から6人に増加。高原直泰(ハンブルガー/当時)はドイツ、ブンデスリーガで4シーズン目を過ごしていた。

「日本人FWとこっち(欧州)のFWと比べて、俺たちが能力的に劣っているということはないですよ」

 当時、高原はそう言って、戦える実感をつかんでいた。開幕直前のドイツ戦でも、2得点を叩き込んだ。

「たしかに多少はこっちのFWのほうがフィジカルは強い。だけど、そこは慣れたら日本人にもできる。それよりも環境が変わることが大きい。言葉もそうだけど、今までこう動けばこう出ていたボールが突然出てこなくなるから、そのへんをしっかり主張しなければならないし、その意味でのコミュニケーションの難しさはあって、海外でのプレーはそこをうまくやれるか。でも、実力的には問題ない」

 試合開始後、ややオーストラリアペースだったが、高原はその流れを変えた。

 前半22分、左サイドから中央に入った三都主アレサンドロ(浦和レッズ)からゴール正面でパスを受けると、右足で止める。マーカーに遮られると、左に突っかけてシュートフェイントを入れて相手をぐらつかせ、右に切り返して地を這うようなシュートを強引に放つ。ボールは左ポストをかすめて枠の外に出たが、キックオフ後、日本の最大のチャンスだった。

 それで流れをつかんだか。26分、右サイドに流れていた中村俊輔(セルティック)が、左足でニアサイドにふわりとしたボールを、GKとDFの間に落とす。同年、スコットランドのセルティックで、リーグ、カップの2冠を達成した中村は抜け目なかった。これに敵GKが反応し、パンチングで弾こうとしたとき、もみ合う形になってボールに触れられず、そのままネットに転がった。

 日本は、後半途中まで1-0とリードすることに成功していた。守りに入ったわけではない。焦った相手のボールをつっかけて、試合を決定づけるカウンターの好機もあった。

「2点目、3点目を狙っていた。しのぎ切るつもりはなかった。むしろ、守ってからの速攻を狙っていた」。

 中田英寿(ボルトン)の証言は、戦い方と符合するだろう。

 しかし、試合が進むにつれ、日本の動きは鈍くなっていた。気温は約40度。猛暑の消耗は想像以上だった。

 そしてオーストラリアは、切り札となるティム・ケーヒル、ジョシュア・ケネディ、ジョン・アロイージを次々に投入してきた。パワープレーの強度がアップ。オーストラリアの指揮官、フース・ヒディンクは"日本は単純な高さやパワーに弱い"と見抜いていたのだろう。この点は、その後のワールドカップでも日本の"鬼門"となるのだが。

 日本には、苦しい状況を手当てする交代カードがなかった。負傷したDF坪井慶介(浦和)の代わりにDF茂庭照幸(FC東京)を入れたが、リードされて再びFW大黒将志(グルノーブル)というカードを切らざるを得ない有様だった。采配の差は明白だが、戦力的な劣勢とも言えた。

 残り6分、日本は地獄を見る。

 相手のロングスローに対して、GK川口能活(ジュビロ磐田)が飛び出すが、触れられない。無情にも頭上を越えたボールを蹴り込まれるが、一度はブロックした。しかしこぼれたところを、エリア内でケーヒルに叩き込まれた。GKの失策だが、この日、MVPに近いセービングを連発していた守護神を戦犯にはできないだろう。

 その5分後、日本の混乱は収まっていなかった。中盤の守備ラインが破綻。ポストで収めて落としたボールに対して、ケーヒルがバックラインの前で完全にフリーになっており、強烈な一撃を流し込んだ。

 アディショナルタイムは、とどめのショーだった。アロイージにインサイドへドリブルで持ち込まれ、ネットに突き刺された。黄色い歓喜の輪は、日本の断末魔だった。

「ロングボールを蹴られるのがわかっていたわけだから、蹴らせないようにしないといけなかった。世界で戦うには勝利の執念というか......同点にされてもすぐに切り替えることが必要だった。そういう劣勢を跳ね返せないと上には行けない。その意味で自分たちは未熟だった」

 川口は試合後に語っていた。

 悪夢のような敗北は、現実だった。日本はこの敗戦を引きずって、第2戦でクロアチアにはスコアレスドロー、第3戦でブラジルには1-4で粉砕され、早々と敗れ去っている。大会後に中田が引退を発表。ひとつの時代が終わった。

 浮かれていた日本サッカーは、頬を平手でひっぱたかれた。戦いの原点に立ち戻る必要があった。屈辱的な敗北から生まれ変われるか――。まさに挫折に強い世代が勃興していた。
(つづく)