「全豪オープン」(オーストラリア・メルボルン/本戦1月16~29日/ハードコート)の大会13日目に行われた女子シングルス決勝で、セレナ・ウイリアムズ(アメリカ)が姉ビーナス・ウイリアムズ(アメリカ)を6-4 6-4で下して全豪…

 「全豪オープン」(オーストラリア・メルボルン/本戦1月16~29日/ハードコート)の大会13日目に行われた女子シングルス決勝で、セレナ・ウイリアムズ(アメリカ)が姉ビーナス・ウイリアムズ(アメリカ)を6-4 6-4で下して全豪2年ぶり7回目の優勝を飾った。

 セレナは23度目のグランドスラム優勝のトロフィを掲げて歴史の中での自らの比類なき位置を祝い、その背番号ゆえに「23」という数字と同義語の人物であるマイケル・ジョーダン(アメリカ)からお祝いの手紙とカスタムメイドのシューズを受け取った。

 ビーナスは非常に近い位置からその様子を目にし、記録破りの妹に敗れたあと、後悔よりもむしろ喜びの涙を流した。

 セレナはグランドスラム大会で9度目、全豪では2度目となるウイリアムズ姉妹対決の決勝に勝った。そしてこの彼女にとって7度目の全豪タイトルで、セレナはオープン化以降のグランドスラム大会優勝回数でシュテフィ・グラフ(ドイツ)を抜き去ったのである。

 ウイリアムズ姉妹は仲がいい。ふたりは父のリチャードと母のオラセーンをコーチとし、師として、テニスの温床とは言い難いカリフォルニアのコンプトンで一緒にプレーし始めた。彼女たちはいまだ一緒に練習し、一緒に世界を旅して回っている。

 1998年、メルボルン・パークでふたりは初めてグランドスラム大会での姉妹対戦を経験し、そのときにはビーナスが勝った。2003年、ウイリアムズ姉妹の若い方が4大会連続グランドスラム制覇のセレナ・スラムを成し遂げたとき、ビーナスはネットの反対側にいた。ビーナスがふたたび全豪決勝に至るのには、14年を待たねばならなかった。

 決勝での勝利の直後、セレナが両腕を上げて勝利を祝いながらコートに座ったとき、ビーナスはネットの向こうの妹のいるサイドまで歩いて行って彼女を抱擁した。

「私は本当に、ビーナスを祝福するためにこの時間を取りたい。彼女は素晴らしい人。彼女は私のインスピレーションなの」とセレナは言った。

「彼女なしには、私は決して23ものグランドスラム・タイトルを勝ち獲ることはできなかった。彼女がいなければ、ひとつだって無理だった。ベストのプレーヤーになるようにハードワークを積むよう私を励ましてくれてありがとう、ビーナス」

 妹にこうも多くの負けを喫する立場になったことを奇妙だと感じるかと聞かれても、36歳のビーナスはたじろがなかった。

「いいえ。なぜって、私は以前にここにいたからだと思うわ」とビーナスは言った。「私は本当に、ウイリアムズの名をトロフィの上に見ることを楽しんでいる。これは素晴らしいことよ」。

 ビーナスが勝ち獲った7つのグランドスラム・タイトルの最後のものは、2008年ウインブルドンだった。ビーナスは2011年にシェーグレン症候群と診断されてからエネルギーを消耗させるこの病と折り合いをつけ、2年前の全豪で準々決勝に進出するまでの数年間、グランドスラム大会の2週目まで勝ち残こることができないでいたのだ。昨年のウィンブルドンでは準決勝に到達している。

 全豪オープンでふたたびタイトルを狙える位置に至れたということは向上のしるしだ、とビーナスは言う。

「これらのグランドスラム大会の間、私が立っていたいと思うのはまさにそこなのよ」と彼女は言った。「それが、このすべてのハイライトなの。その瞬間にいる、ということが」。

 一方セレナは、メルボルンで歴史の1ページを書いたという事実を楽しんでいた。24度優勝しているマーガレット・スミス コート(オーストラリア)だけが、グランドスラム・シングルス優勝の総数という意味で彼女の前にいるが、このオーストラリアの偉人はうち13をテニスがプロスポーツとなった1968年以前、つまりオープン化前の時代に獲得していた。

「私の最初のグランドスラムはここで始まり、23の優勝回数にここで至った。でもビーナスとの対戦ということから、伝説は作られているの。これ以上いいストーリーは書けないわ」とセレナは話している。

 試合内容はその伝統的カードの標準にかなうものではなかった。ナーバスさや緊張がらしくないアンフォースドエラーやミスを引き起こし、ビーナスがついにサーブをキープして3-2とするまで4ゲーム連続のサービスブレークとなったのだ。そこにはセレナがゲームポイントを握りながら2本連続、合計で3本のダブルフォールトを犯してブレークを献上してしまったゲームも含まれる。

 トータルで6度のサービスブレークがあった。選手の双方が比較的感情を抑えてプレーしており、唯一の例外は第3ゲームでセレナのラケットがコートを打ちつけたときだけだった。

 しかしながら、4ゲームが過ぎるとセレナはその1時間22分の試合の中で、もはやふたたびブレークポイントに直面することはなかった。

「セレナ・ウイリアムズ、それは私の妹よ。セレナ、23番目のタイトルおめでとう」とビーナスは言った。「私はいつも、あなたとともにあった。私が落とした試合のいくつかは、あなたに対するものだった。ずっと、本当に素晴らしいことだった――あなたの勝利が、いつも私の勝利でもあったということは」。

 ウイリアムズ姉妹の年齢を足すと、71歳となる。女子決勝進出者ふたりの年齢の合計という面で、これはオープン化以降の時代でもっとも年齢の高いグランドスラム女子決勝だった。

 全員が30代のシングルス決勝は、日曜に完了する。ロジャー・フェデラー(スイス)は決勝でラファエル・ナダル(スペイン)と対決するときに、男子のグランドスラム優勝回数の記録を18に伸ばすことを目指すだろう。

 記録といえば、セレナはオーストラリアにいる間、やや縁起を担いでおり、実際にそれをつかむまで23番目のグランドスラム・タイトルについて話したがっていなかった。

 しかしそれが現実となった今、23本の限定版のラケットがリリースされ、元NBAのスターであるジョーダンから送られたカスタムメイドのシューズもある。その靴にはジョーダンの通常の背番号でもある『23』の数字が、踵の部分に刻まれていた。(C)AP