田臥勇太(宇都宮ブレックス)インタビュー@後編1980年10月5日生まれ、神奈川県横浜市出身。バスケットボールの名門高校…
田臥勇太(宇都宮ブレックス)インタビュー@後編
1980年10月5日生まれ、神奈川県横浜市出身。バスケットボールの名門高校・秋田県立能代工業に入学し、3年連続でインターハイ・国体・ウィンターカップの3大タイトルを制して史上初の「9冠」を達成。2004年、フェニックス・サンズと契約し、日本人初のNBAプレーヤーとなる。2008年より宇都宮ブレックスでプレー。ポジション=ポイントガード。173cm、75kg。
「田臥勇太インタビュー@前編」はこちら>>

田臥勇太はバスケットボールを心から楽しんでいるようだ
40歳になった今季の田臥勇太は、多くの時間をベンチで過ごす。
しかし、コートに立つ時はもちろん、ベンチからチームメイトを鼓舞し、時に叱咤する姿は、バスケットボールを心から楽しんでいるように見える。
「ケガから復帰できたこと、さらにコロナ禍という状況。バスケットができることのありがたみを、バスケット人生でこんなに感じたことないくらい、あらためて感じています。
だから、ベンチにいても楽しいですし、出場時間は限られていますが、限られた時間でチームに貢献するという新たなチャレンジを楽しんでいますね。ベンチから試合を見ているから気づく部分もある。年齢を重ね、役割は変わってくるのは当然で、ベンチにいることも勉強になっています」
かなり昔、田臥に「ナイパスとはどんなパスか?」と聞いたことがある。相手の裏をかいたトリッキーなパスで会場を沸かす男の答えは「受け手が取りやすいパス」だった。
年齢によって、田臥の役割は変わった。だが、チームを勝利に導きたいという情熱は、今もなんら変わってはいない。ハイライトフィルムに使われるプレーのためではない、田臥はチームの勝利のためにプレーしている......。そんなことを伝えると、田臥は笑った。
「ただやっぱり、自分の出場時間中に点数が入らないと『チクショウ!』って思いますよ(笑)。でも、どんなプレーだろうと、チームの勝利に貢献できれば最高です。
たとえば、それがファウルゲームの最中にヘッドコーチに『ファウルひとつやってこい』とコートに送り出されることもあるでしょう。それでもいい。すべてのプレーが40分のゲームで最終的に勝つために必要なことなので。チームの誰もがそれをわかっているのが、今のブレックスの強さの要因だと思っています」
田臥の役割だけではない。1990年代、2000年代と比べれば、バスケットボールの技術自体が、大きく変化している。ゼロステップ(※)のようなルール改正のみならず、時代とともに新たな技術やスタイルが次々と生まれている。
※ゼロステップ=ボールをキャッチするのと同時に踏んだ足を0歩目として数えること。
「NBAを見ていても、ポジションという概念がなくなりつつありますよね。もはやポイントガードがアシストリーダーにならないこともある時代です。ビッグマンは以前と比べものにならないくらい、求められるスキルが増えました。今の選手は、ポジションに関係なくいろいろできないといけない。
それが、より楽しいですね。僕は今の若手みたいな技ができない分、彼らに、そういう新しい技を使えるようにするために、どうプレーの組み立てをしなきゃいけないかなとか、新しく考えることが増えました。バスケは本当に奥が深い。やればやるほど、底が見えないですね。日々、学ぶことばかりです」
では、競技を取り巻く環境も大きく変り、多くの若手選手の台頭を田臥はどう思っているのか?
「どんどん変わっていくな、と感じますね。Bリーグは特別指定選手という制度ができて、学生がプロのチームでプレーできるようになった。チャンスが増えていいことだなと思います。
僕が高校の時にナショナルチームに選出された時、緊張して何もできませんでした。それに比べて今のBリーグの試合に出場する大学生、高校生はみんな堂々とプレーしているので、すごいなと思います。
だから、僕がどうこう言える立場ではないんですが、あえてベテランとしてアドバイス的なことを言わせてもらうのであれば、『バスケに対して真摯に向き合ってもらえるとうれしい』ということです。僕自身、キャリアの最初の頃は、バスケットをプレーできるありがたみというのは考えもしなかった。
誰もが経験を積んで感じていくのかもしれませんが、たとえば高校生、大学生がプロで活躍できるのは、もちろん本人の努力があってこそ。同時に多くの人の協力、尽力があったからです。そんな部分にちょっとでも気づいて、大切にして、糧にして、日々を積み重ねていってくれたらうれしいなと思います」
八村塁、渡邊雄太と、NBAで日本人選手が活躍することも日常になりつつある。さらに、高校や大学からアメリカでプレーすることも、以前のように珍しいことではなくなった。
「生まれるのが少しだけ早かったとは思えないか?」という問いを「それはないですね」と田臥は笑い飛ばした。
「僕らの高校時代を見て、さらに上の年代の人たちは、うらやましかったと思ったはずです。今の選手が何十年後か、この時代に現役だったらと思えるような未来を作っていかないといけない。いつだって、あの時があるから今の世代がある。それが、時代の流れというものなのかなと思います」
現在、宇都宮ブレックスは、東地区で首位をキープ。Bリーグ初年度に続くリーグ制覇を狙う。
「厳しい戦いが続きます。ただ、開幕当初から『1試合1試合を大事にする』ということは変わらない。ケガ人が出てしまうことも、調子にアップダウンがあることも、長いシーズンの中であります。そこをどう助けあってやっていけるかが大事。どんな状況になっても、全員で戦う。細かい部分を練習でしっかり意識しながらやっていきたいです。
個人としてはリーグ終盤戦、そしてチャンピオンシップにベストな状態までコンディションを上げられるかが、自分にとってのチャレンジです。そして何よりも、残りのシーズンをみんなとバスケを楽しみたいです」
2003年、マイケル・ジョーダンが引退したのが40歳だった。
いつか田臥にも、その日が必ず訪れることはわかっていても、永遠にこないでほしいと願ってしまう。
同時にその日、田臥勇太ならジョーダンが引退会見で発した言葉と同じ言葉を残すような予感がしてならない。そして、その資格が、田臥にはあるはず。
「人々にどんな選手だったと記憶されたいか?」
その問いにジョーダンは、こう答えた。
「バスケを心から愛したヤツがいた。ただそれだけでいい」