2013年に現役を退き、現場監督という立場でプロレスリングWAVEを支えているGAMI。ジャパン女子プロレスから始まり、LLPW・アルシオン・AtoZと渡り歩き、2007年に桜花由美と共に団体「プロレスリングWAVE」を設立した。中編はLL…

2013年に現役を退き、現場監督という立場でプロレスリングWAVEを支えているGAMI。ジャパン女子プロレスから始まり、LLPW・アルシオン・AtoZと渡り歩き、2007年に桜花由美と共に団体「プロレスリングWAVE」を設立した。中編はLLPWから引退まで。
 

<前編はこちらから>


--ジャパン女子が解散したあと、次の団体はLLPWでしたね。
GAMI:当時、私は神取忍さんの付き人をやっていたので。神取さんご本人はスッカリ忘れていましたけど(笑)。ジャパン女子は気づいたら解散になっていました。

--10人前後の選手がLLPWに移籍されましたよね。
GAMI:風間ルミさん、神取さん、ハーレー斉藤さん、大沢ゆかりさん、キャロル美鳥、半田美希さん、穂積詩子さん、北村真美さん、イーグル沢井さんに紅夜叉かな。ジャパン女子解散後、半年以上経った1992年8月29日後楽園ホールで旗揚げしました。
LLPWの初期は支援者の方々が多かったですね。川口に道場がありましたが、そこが出来るまで支援者の方が探してくれて、いろいろな場所で練習をしていました。
昔、芝浦にGOLDというディスコがありました。お店を開くのは金・土・日のみ。だから月曜から木曜までGOLDの一階部分を借りて、リングを組み立て練習していましたね。周りが真っ黒に覆われていて、中央にポツンとリングがある(苦笑)。

--当時、LLPWは女性レスラーが社長に就任するので注目された記憶があります。
GAMI:女性で代表取締役社長兼レスラーは世界初って言っていました。ただ、風当たりも強くて、「女性がトップに立つと色々と足を引っ張られるんやな」と感じ、WAVEを設立する際は男性の代表を立てました。
LLPWに在籍したのは5年くらいかな。私は5年周期で団体が変わるので。次のアルシオンも5年で活動停止しましたし。

--僕はGAMIさんがレスラーとして1番輝いていたのはアルシオン時代だと思っています。
GAMI:分かる!だってすごい楽しかったもん(笑)。

--今観ても、レベルの高い試合をしていましたよね。
GAMI:今の若い子アルシオンを知らないのよ、本当に勉強してほしいわ(苦笑)。団体の売り出し方を首脳陣がすごく話し合っていた記憶がありますね。特に「見せ方」とか。レスラーではない背広組の人たちが色々なことを言ってくれたけど、とにかく現場のレスラーが話を聞かなかった(苦笑)。
自分が経営者になって、その時の意見や考えを理解できるようになりましたね。でも、あの頃は背広組の大人たちの言っていることに反発していた。
アルシオン時代は「レスラー」としてリングに上がっていました。余計なことを一切考えなくて良かったもん(笑)。レスラーとして理想的な生活を送っていましたよ。事務所仕事をせず、毎日道場に来て身体を鍛える。終わったらチャンコを食べて帰る生活。
みんなとの仲はギスギスしてたな。女だからしょうがないけど。でも仲が悪くても、それをリング上で「プロ」として魅せる戦いをすればいい。私なんか取材中、大向美智子と殴り合いの喧嘩したことあるもの(笑)。

--今は仲良いのですよね。
GAMI:今は仲がいいです(苦笑)。会社としては大向とか府川唯未を推したかったけど、私の会場人気が高かった。会場の空気が有耶無耶な感じになると「GAMI締めろ!」とお客さんが言うの。「いやいや、私今試合してないし…」と(苦笑)。

--でもGAMIさん、締めていましたよ(笑)。
GAMI:うん、締める(笑)。1度、試合後ありえない空気が漂った時があって、「これは、やばいやばい」と。他の選手がマイクを持ったらグダグダになることが予想できたので、リング上に行ってキッチリ締めました(笑)。

--それは生まれ育った大阪特有の気質みたいなものでしょうか。
GAMI:う〜ん、わからん。わからんけど、自分がマイクで話すようになって、初めてマイクの難しさに気付きましたね。

--それまではマイクで話したことがなかったのですか?
GAMI:なかったですね。「マイクをやるなら標準語で話せ」と言う女子特有のならわしがあったんですけど、それを破りましたね(笑)。LLPWの時、少しだけマイクで話したら「GAMI、関西弁だったよ」と注意されました。
スゴく関西弁を否定されたのもあり、アルシオンに行って途中からヒールになると決めた時、「ヒールの概念を変えてやろう」と思いました。例えば「ヒール=黒」とかは嫌だった。必死に玉田凛映と、いろいろ考えましたね。会社側から提示してくるユニット名も全て拒否。メインカラーを赤にして、ユニット名も会社に内緒で「ReDRUG」で発表しました(笑)。

--そのアルシオンは2003年6月に堀田祐美子選手のユニット「Z-SPIRITS」に吸収合併され、メジャー女子プロレスAtoZ(以下 AtoZ)としてスタートを切ることになりました。
GAMI:まあ時効なので言いますけど、みんな集められて「アルシオンが無くなります。AtoZという新しい会社に吸収合併されます」と言われた。どうしても納得できず、私1人だけ「今、即答で頑張ります、とは言えません」と。
その日の帰り、下田美馬さんに声を掛けられました。私は「頑張ります、なんて言えませんよ!」と言うと、「それも分かるけど、アルシオンが無くなるのは事実。だからみんなと一緒に頑張ろう」と下田さんに説得されましたね。その後、会社側からも方向性とか説明を受け、「じゃあ、やります…」と渋々了承しました(苦笑)。

--そのAtoZでの活動期間は短かったですよね?
GAMI:1年です。「コミカルをやめてくれ」といきなり言われました。「もっとシリアスにいってください」と。それでコスチュームも全て変えました。当時、タトゥーが流行っていて、顔にトライバルのシールを貼ったり、ライダースジャケットを着たりと。ただ私自身、メチャクチャ窮屈に感じてフリーになりました。

--それで2005年に「THE WOMAN」を立ち上げたのですか?
GAMI:そうです。とあるところからお誘いを受けて月1興行で始まったけど1年くらいやったら「限界やな」と(苦笑)。自分はプロデュースという形で携わり、いろいろと学ぶことができた。だったら、ここで培ったものをベースにして、次に進もうと思いました。
その後、自主興行をして、「団体作りたいな」と思い始めました。その頃、フリーでレギュラー参戦する団体があり、月に15試合くらいやりました。でも、その回数が減ってくるんですよ。2年間フリーとして活動して月15本あったものが、8本になって、5本になってきた。
「ベテランやし、扱いずらいし、ギャラ安くはないし…そりゃ、そうやな」と思いました。そこで自分の城というか団体ができたら楽しいだろな〜と妄想してた(笑)。そこで解散することになったJDスター女子プロレスの桜花由美と一緒にプロレスリングWAVEを設立しました。桜花とは仲が良くて、しょっちゅう飲みに行っていました。
ただLLPWを見て学んだので、代表には男性を立てましたね。それで選手は私と桜花2人で、最初は他団体やフリーの選手に出場してもらいました。

--僕がプロレスリングWAVEで驚いたのは、肩書きに「コミカル」を掲げていることです。
GAMI:セクシーより先にコミカルが来てる、あれは映番組のディレクターが勝手に考えたのです(笑)でも「セクシー&コミカル」より「コミカル&セクシー」の方が、しっくり来るかな。

--初めて「スローモーション」を観た時は、びっくりしました。
GAMI:あれ、会場では中森明菜ちゃんの「スローモーション」が流れている。YouTubeやDVDだと色々と問題があって音を消してるんやけど(苦笑)。
とにかくアホなことを考えるのが大好きなんです(笑)。世の中の「エンターテインメントプロレス」とは、ちょっと視点が違う「エンターテインメントプロレス」だと自分では思ってますけどね。

--「スローモーション」を観て、「コミカル」という言葉が腑に落ちました(笑)。ところで2010年 地元・大阪で「OSAKA女子プロレス」を旗揚げしました。これはWAVEとは全く別ですか?
GAMI:WAVEとは別です。大阪でプロレス好きの人がいて、私はプロデューサーとして関わっていました。その後、2011年プロレスリングWAVEの新会社「ZABUN」を設立し、OSAKA女子の下野佐和子と相談し、2012年「ZABUN」にWAVEだけではなくOSAKA女子が入り、1つの会社の中に2つのプロレス団体が入る形になりました。

--そして2013年に引退、正直まだまだリング上で活躍できる気がしますが、引退したキッカケはなんでしたか?
GAMI:正直、裏方の仕事の方が楽しくなったからです。その時期、「歌舞伎町でお店やりませんか?」とか、いろいろな話が舞い込んできたんです。当時はスタッフ含め20人くらいいましたね。
いろんなことをやり始めて、やったらやっただけ結果もついてきた。新人も入ってきた。ただ一つ、どうしてもやりたかったことがあった。それは男子レスラーを育てること。それが後藤恵介でした。だから未だに「男子レスラー募集していませんか」と問合せを頂きますね。「女子団体なので、現在は募集していません」と言いますけど(苦笑)。

--EXILEのHIROさんがパフォーマーとしての活動を引退しプロデュース業に徹した時と似ていますね。時期も同じ2013年。
GAMI:私がレスラーとしてリングに上がり続けることは出来たと思います。ただレスラーをやりながら社長業も続けていたら、どこかで限界がきていたと思います。

--引退するタイミングとしては2013年がちょうど良かったんですね。
GAMI:いや、ちょっと早かったかもしれないけど(苦笑)。でも、あの時は「引退」を決断しました。引退試合の準備に1年半も時間をかけたしね(笑)。


<後編に続く>


<インフォメーション>
3/14(日)新木場1stRINGで「White wave 2021」、4/1(木)新宿FACEでPHACE2 Reboot 2nd『NAMI☆1~Apr.~’21』が行われます。詳細はプロレスリングWAVEのWebサイトをご確認ください。→https://pro-w-wave.com

プロレスリングWAVEオフィシャルショップ【Shop-ZABUN】では、チケット、所属選手オリジナルグッズや各種グッズ、DVD等販売中です。→https://tsuku2.jp/wave

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文・編集/大楽聡詞
写真提供/プロレスリングWAVE