『特集:東日本大震災から10年。アスリートたちの3.11』第5回:張本智和「この10年間、"あの日"を忘れることはありませんでした」 2011年の3月11日に東日本大震災が発生してから10年。節目となる今年の夏、未だ先行…

『特集:東日本大震災から10年。アスリートたちの3.11』
第5回:張本智和

「この10年間、"あの日"を忘れることはありませんでした」

 2011年の3月11日に東日本大震災が発生してから10年。節目となる今年の夏、未だ先行きは不透明だが、東京五輪・パラリンピックの開催が予定されている。

「復興」という理念が掲げられている同大会。そこで自分が戦う意味を、日本代表として戦うアスリートたちは強く意識している。卓球男子代表で、宮城県仙台市出身の張本智和もそのひとり。インタビューに応じた張本は、「3.11」に対して抱く並々ならぬ思いを明かした。



震災から10年が経ち、日本卓球界を代表する選手のひとりになった張本

 2011年3月11日。当時7歳で小学1年生だった張本は、仙台にある自宅で学校の宿題に取り組んでいた。午後2時46分、震度6強の地震が発生した瞬間はすぐさま机の下に身を隠したが、揺れがなかなか収まらなかったため、物がなく比較的安全なトイレに家族全員で駆け込んだという。

 そのあとは近所の公園に避難したが、しばらくは車中で生活せざるを得なくなった。

「はじめは怖いというより、びっくりっていうのが一番でした。小学校から食料をわけてもらったり、ロウソクで明かりを灯したり。急激に生活が変わったので、衝撃の連続でしたね」

 しばらくして、両親の母国である中国四川省に渡り、約1カ月滞在した。その間は学校の課題などを終えたあと、近くの卓球場で練習をするという日々を過ごしていたが、「日本が恋しくて、友達に早く会いたかった」と当時の胸の内を明かした。

 仙台に戻ると、張本が当時通っていた東宮城野小や卓球場は大きな被害を受けておらず、授業や練習も再開。徐々に日常を取り戻しつつあった。だが、周囲を見渡すと、電柱は大きく傾き、多くの建物の窓ガラスは割れ、道路は地割れでえぐれていた。宮城出身の筆者も、帰省した時に目の当たりにしたその光景は、未だに目に焼きついている。

 そういった地震による被害や被災生活を経験し、張本の卓球に対する考え方は大きく変化した。

「今、生きていられるのは当たり前じゃない、と感じましたし、だからこそ学校生活や卓球にも全力で向き合わないといけない。そう思ったんです」

 震災翌年の2012年ロンドン五輪では、同じ仙台出身の福原愛が、女子団体で日本卓球初となる銀メダルを獲得。福原は大会後には被災地を回り、東宮城野小も訪問した。そこでメダルに触れ、一緒に練習もしたという張本は、「自分も仙台の代表として、立派な日本代表選手になりたい」という思いを抱いた。

 さらに、その翌年の2013年にプロ野球で初の日本一となった地元球団・東北楽天ゴールデンイーグルスの活躍も、張本の仙台出身アスリートとしての意識をさらに強めた。

 2017年と2019年には、クリムゾンレッドのユニフォームに袖を通して始球式を務めるなど、大の楽天ファンとして知られている張本。日本一の瞬間はテレビで観戦していたそうで、「優勝してくれて本当に嬉しかった」と喜びを語りながらも、「宮城全体がすごく盛り上がっていて、影響力の大きさを感じました。僕も仙台出身として地元に元気を与えられたら」と気持ちを新たにした。

 その絶好の機会が、2019年に訪れた。同年3月と12月に、卓球ジャパントップ12が地元・仙台で開催。張本はいずれも優勝し、故郷に歓喜と力を届けた。

「ジャパントップ12は日本トップの選手が集まるレベルの高い大会。でも、仙台の方々が観に来てくださっている以上、『絶対に負けられない』という気持ちが、どの大会よりも人一倍強かった。実際に、優勝できたことを仙台の皆さんがすごく喜んでくれて。卓球のやりがいも感じましたし、故郷に少しでも恩返しできたことはとても嬉しかったです」

 震災当時はわずか7歳だった卓球少年が、この10年間で、仙台が誇る日本の絶対的エースへと成長した。その根底にあるのは、「3.11」で経験した記憶と、被災地への思いを絶やさなかったからに他ならない。

 震災以降、毎年4月に支給される代表ユニフォームには、「WASURENAI3.11」というロゴがついている。張本も「いつもこれを見ると、『絶対に忘れない』という気持ちが強くなります。大会だけじゃなく、練習の時から思い出して卓球に取り組んでいるんです」と話すように、その胸には故郷の光景が刻まれている。

 だからこそ、今年開催が予定される東京五輪に向かう気持ちは、より強いものとなっている。

「今大会はただの五輪ではないと思っています。震災から10年という節目の年でもありますし、プレーで元気を与えることが地元への恩返しだと思うので、東京五輪の舞台で戦うことができるのであれば、『3.11』をしっかり胸に刻んで戦います。さらに今はコロナ禍で苦しい状況ですし、まだまだつらい時期は続くかもしれません。でも、絶対に乗り越えて、またみなさんと笑えるように、一緒になって頑張っていきたいです」

 2021年夏、張本の一振りが、東北に力を与える