「復興の一助(いちじょ)になればなと思っています」 アスリート・羽生結弦は、東北人・羽生結弦として、今も震災の想いを伝え続け、多くの困難や宿命と向き合う。彼に、心身ともに安らぎを感じる時間などあるのだろうか。 東日本大震災で甚大な被害を…

「復興の一助(いちじょ)になればなと思っています」

アスリート・羽生結弦は、東北人・羽生結弦として、今も震災の想いを伝え続け、多くの困難や宿命と向き合う。彼に、心身ともに安らぎを感じる時間などあるのだろうか。

東日本大震災で甚大な被害を受けた都市の一つ、宮城県仙台市。

地元・仙台の人たちが今もなお“結弦くんの日”として心に刻むのは、2018年4月22日。「羽生結弦選手2連覇おめでとうパレード」が開催された日だ。

フィギュアスケーターとして、世界各国で数々の偉業を成し遂げたアスリート・羽生結弦を“結弦くん”と呼ぶ、仙台の人たち。一瞬、まるで近隣の知人を呼ぶかのように。“結弦くん”は自然で親しみが込められた、仙台ならではの愛称なのかもしれない。

3年前、とある春の一日。仙台の街は“結弦くんの日”に彩られ、穏やかで少しだけ慌ただしい時間が経過していた。

パレードのボランティアを務めた学生は「今日は、結弦くんの日なので」と話し始めると、細かな交通規制やルールについて、1人1人に丁寧に何度も何度も説明を繰り返す。

10万人が仙台の街に大挙する特別な日でさえも、地元・仙台の人達にとって世界的アスリート・羽生結弦が“仙台の結弦くん”のままであったことが微笑ましく、愛おしい光景だった。

(日曜の朝早くから多くの人が集う)JR仙台駅構内では、売店スタッフの女性も「今日は、結弦くんの日だから」と付け加えながら、お土産品の在庫説明や、大量購入の客への対応など店先は慌ただしい。

パレードは、沿道の観客だけでなく、仙台の街全体で後押しされ、大成功を収めた。

パレード終了後、仙台市役所で行われた記者会見場に姿をみせたのは、アスリート・羽生結弦ではなく、懐かしい“仙台の結弦くん”そのものだ。

背筋を伸ばし、100台近くのカメラ・報道陣に一礼し会見を始めると丁寧に言葉を発した。

「それぞれの店舗でポスターを掲げてくださったり、プリントして、弾幕といったらいいのかな、いろんな言葉を書いてくださったり、自分に見えるように飾ってくださったりすることが、すごく多いなと思いました。」

多くのメディアが乱立するなか、驕り高ぶることなどなく、真摯に。

「商業の方も在庫を増やしたり、仕入れる量を増やしたりとか、そういうことでちょっとでも仙台や県内の企業さんにもお金がまわり、それが、復興の一助(いちじょ)になればなと思っています」

“仙台の結弦くん”は、ちゃんと“仙台”の“ヒト、コト、モノ”、そして風景をみていてくれたことも明らかだった。

“仙台の結弦くん”が、多くの人たちの心に刻まれた2018年。あの日から、約3年の月日が経過した2021年春。

東日本大震災から10年の節目を迎え、“仙台の結弦くん”が何を想い考え、スケートという競技に向き合っているのか。その姿こそが、沢山の人達の勇気や希望に変わると信じたい。

どんな時もどんな場面でも、“仙台の結弦くん”には“東北”という、強く優しい味方がついているのだから。

文/スポーツブル編集部

撮影/スタジオアウパ ・運動通信社

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