大会の価値を高めるために。

立ち上がった“総合演出チーム”

 近年、スポーツクライミングの国内大会中継で活躍しているのが、アーケ株式会社代表の筒井真佐人氏が立ち上げた「OnlineObservation(オンラインオブザベーション)」だ。課題の3D化技術を駆使して、競技壁を画面上で左右に動かすなど、様々な角度・視点から課題を紹介する映像を制作。ライブ中継で採用されている。また、リード種目においては選手の成績(到達高度)を壁に合成してリアルタイム表示するAR技術も開発した。

OnlineObservationを開発した筒井真佐人氏。[写真:鈴木奈保子]

 

リード種目におけるAR技術を駆使したリアルタイムの成績表示動画(後半は課題紹介映像)。ARとは「Augumented Reality=拡張現実」の略称。実在する映像や風景に視覚情報を重ねてバーチャル表示することで、現実を“仮想的”に拡張する。他競技のスポーツ中継でも導入されている。

  2021年のBJCでは、大会中継の制作などに携わる株式会社アップライトの上倉享氏と筒井氏がコラボレーションしたことで、ボルダリングの国内大会では初めてAR中継が実施された。新型コロナウイルスの影響で無観客開催となったため、YouTubeのライブ中継でその様子をご覧になった方も多いのではないだろうか。

(株)アップライトの上倉享氏。

  筒井氏と上倉氏は、ともに「SPORT CLIMBING JAPAN CUP Design Production」の一員でもある。「デザイン(システムデザインなど含む)を基盤としながら、新たな開発、実験を続けることで、スポーツの枠に留まらない社会的評価を獲得し、スポーツ大会とクライミング競技そのものの価値を変えていくこと」を目指して2020年に立ち上げられた同プロダクションは、筒井氏いわく「スポーツクライミングの大会の価値を高めるために発足した、デザイン、データベース、VR/AR技術など多角的なアプローチを行う総合演出チーム」だ。統括役である藤枝隆介氏の指揮の下、木村泰治氏(PEN.Inc.)がアートディレクターを務め、筒井、上倉両氏がWEBサイトや中継に実装していく作業を担ったジャパンカップシリーズ2020。そのブランディングロゴは、2020年度のグッドデザイン賞を受賞し、業界内外での評価を高めることに貢献した。

アートディレクターの木村泰治氏(PEN.Inc.)によるパズルのようなロゴマークは、(左から)ボルダリング、スピード、リード、コンバインドを模している。「競技の面白さを分析し、そこから知的なパズル性という要素を視覚化している点が独創的である」と評価され、2020年度のグッドデザイン賞を受賞した。

 

傾斜角度の表示、シームレスな3D体験…

BJC2021で初披露されたAR技術

 今大会では、もともとあった中継システムにOnlineObservationのシステムを融合。SPORT CLIMBING JAPAN CUP Design Productionの仲間同士として初めて筒井氏、上倉氏が本格的にタッグを組んだことで、AR中継が容易になった。 

選手&完登率・ゾーン獲得率のバー表示

青いバーがゾーン獲得の割合、赤いバーが完登した割合を表している。過去に会場内のスクリーンで表示したことはあったが、ARで中継映像内に表示したのは初めてだった。

 
 まずは予選・準決勝での選手名と、完登率&ゾーン獲得率のバー表示だ(上の画像を参照)。これまでと同様に選手名は登場順で画面内左下にテロップ表示されているが、必ずしも課題の並び順と一致するとは限らなかった。それが今回はAR技術により、選手名が課題の前に表示されるように。また課題の上にゾーン獲得率、完登率をバーで表示することで、直感的にその課題の難しさを伝えやすくなった。 

傾斜角度の表示

「130度近くの強傾斜から90度以下の緩傾斜に切り替わると、強傾斜に引っ張られて90度以下に見えづらい時があるが、数字で表すことで判別のしにくさを改善できる」と筒井氏。

 
 3Dモデルの競技壁を左右に動かすことで、見たままの傾斜感を伝えることは過去の中継でも行われていた。しかし、やはり「数字で表すのが大事」だと2人で話し合い、角度の表示を実現させたそうだ。この傾斜角度をネタに、実況・解説の会話も広がりを見せていた。 

競技→3Dのシームレスな映像移行



「クライマーをワイヤーフレームのボックスの中に閉じ込めて、『選手はこの課題と向き合っているんだよ』ということをわかりやすく伝えたかった」(写真上)という筒井氏。リアルな映像から課題が壁ごと浮き出し、3Dでの課題紹介(動画)にシームレスに切り替わる。

 
 これまでの中継では、3Dを駆使した課題紹介映像を流す際には画面を切り替える必要があった。それが今大会では、選手が挑む課題の壁が画面上で3D化されるシームレスな映像体験が可能となった。 

選手情報表示

「リアルにLEDビジョンを置こうとすると、かなりのコストがかかってしまうサイズ」(筒井氏)であり、無観客開催でのコスト削減という面でも貢献した。

 
 決勝では、画面上に選手の情報が大きく読みやすい形で映し出された。AR技術により、カメラは動いても視覚情報はその場にとどまるため、あたかもそこにLEDビジョンが設置されているかのように見える、という仕掛けだった。 AR中継は、現場をその目で見ないとできないことが多いという。事前に準備ができていた過去の大会と比べると、今回のBJCが「今までで一番大変だった」と筒井氏、上倉氏は口をそろえる。それでも自己採点を聞くと、2人の答えは「100点」で一致。上倉氏は「『これならできるよね?』というアイディアなら誰でも出せるけれど、それを視聴者に見せられるレベルで実現することが難しい。会場入りしてから4日間しかなかった中、諦めなかった時点で100点でした」と、短い準備期間との戦いでもあったことを振り返った。
 

ますます目が離せなくなるAR中継

すべてはクライミングを世に広めるため

 BJC2021での取り組みは、「まだ『やってみた』というレベル」(上倉氏)であり、魅力的な中継作りの序章に過ぎない。素人目には一見わからないが、AR技術のために中継システムを作り直したことで、様々な取り組みがしやすくなっていくという。「今後も便利な機能が増えていくんじゃないかと、観戦するみなさんに思っていただけると嬉しいですね」と語る筒井氏は、今大会での試行錯誤により「ネタ帳が埋まった」そうだ。例えばボルダリングでは「クライマーが登っている横の余白に、どれくらいの傾斜を登っているのかわかりやすくするために競技壁の3D映像を表示する」案などを検討中で、リードやスピードでも次なる展開を考えているらしい。 様々な取り組みをしている2人だが、その根本にあるのはスポーツクライミングを“世に広めたい”という想いだ。 「『壁・課題の価値をいっそう高めることで、スポーツクライミング全体の価値を高める』というのがオンラインオブザベーションの主たる活動指針。それは変わることなくやっていきたいですね」と話す筒井氏と、「他のメジャースポーツ同様に、家のリビングで見られるようなエンターテインメント性が大事だと思っています。コアなファンのみならず、クライミング未経験の人でも楽しく観戦できるようなクオリティにしていきたい」という上倉氏。これからもスポーツクライミングの大会中継、その中心を担うSPORT CLIMBING JAPAN CUP Design Productionの大会演出から目が離せない。