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『特集:Jリーグが好きだっ! 2021』
齋藤学インタビュー 前編
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2月26日に開幕したJリーグ。スポルティーバでは、今年のサッカー観戦が面白くなる、熱くなる記事を、随時配信。さまざまな視点からJリーグの魅力を猛烈アピール!
今回は、川崎フロンターレから名古屋グランパスに移籍をした齋藤学選手に、移籍の経緯などを語ってもらった。

名古屋グランパスの新体制発表会に出席した(左から)長澤和輝、斎藤学、柿谷曜一朗
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今年は齋藤学が、爆発しそうな気配を漂わせている。
1月9日に、川崎フロンターレから名古屋グランパスへの完全移籍が発表された齋藤。2月に始まったキャンプ当初は、走り込みの多い練習に「キツかった」と言うが、戦術の落とし込みを経て調整に入り、昨年から刺激を受けている芸術家・岡本太郎の書を読み、心を整えて開幕戦に備えている。
昨シーズン、川崎フロンターレが圧倒的な強さでリーグ戦を制覇したが、優勝への流れができたのは8月末からの12連勝だろう。斎藤は、まさにその期間に出場しつづけ、チームの勝利に貢献した。
その活躍ぶりを見ていると、2021年シーズンは川崎劇場の主役のひとりになると思っていた。だが、齋藤は新しい扉を押し開く決断を下したのであるーー。
2018年、齋藤は横浜F・マリノスから川崎に移籍。2017年9月の前十字じん帯損傷の影響で開幕戦には間に合わず、デビュー戦は4月8日、古巣との試合で結果は引き分けだった。その2日後に肉離れを起こしたが、休めずに出場。その影響もあり、1年目は16試合1得点、スタメンはわずか2試合に終わった。
2019年、齋藤は決意を新たにして2年目のシーズンに臨んだ。
「ケガが治って、さぁ行くぞっていうシーズンだった。その気持ちでプレーしていたら結構パフォーマンスがよかったんです」
3月のACLのシドニーFC戦で決勝ゴールを奪い、マンオブザマッチに選ばれた。初スタメンは9節の神戸戦だったが、3試合連続でスタートから出場し3連勝、7月にはFC東京戦、大分戦と2試合連続でゴールを決めた。
調子がよくなってきた手応えを感じる中、悲劇が襲った。8月24日、清水戦で右膝を負傷したのである。「これから」という時のケガに気持ちが落ちかけたが、治療とリハビリを続けて11月2日の広島戦で復帰、続く浦和戦ではスタメン復帰を果たした。
だが、右膝の状態は一向によくならなかった。
痛みが引かない中、斎藤には絶対に出たい試合があった。終盤戦、川崎はマリノス、FC東京、鹿島と優勝争いをしていた。第33節の古巣との試合に勝つことができれば、優勝の可能性が残る状況だった。
「マリノス戦は最低でもベンチ入りしたかった。でも、どうにも膝が痛くて......。蹴れないし、ダッシュできないんです。チームメイトと2人組になってのロングパスは、痛くてボールが相手に届かないんですよ。フロンターレの選手は、みんな残って自主練しているけど、そういうのが一切できなくて、その日の練習をどう乗り切るかしか考えられなかった。そんな状態でしたけど、『マリノス戦だけは』って思っていました」
しかし、齋藤の思いは届かず、ベンチ入りも優勝の芽も摘まれた。
膝の痛みが取れず、満足にボールも蹴れない。人生で初めてサッカーに楽しさを見出すことができなくなり、精神的に追いつめられていた。
「サッカーをやめようと思いました」
齋藤は、神妙な表情でそう語った。
思えば川崎では、1年目から苦難続きだった。思い描いていた結果を残せず、「試合に出してくれれば、もっとできるのに」と思うばかりで自分を省みず、実力が足りないのに試合に出られないことを人のせいにしていた。1年目の終わり、中村憲剛に「ベクトルを自分に向けろ」と厳しく言われた。
「その言葉が一番突き刺さりました。自分のプレーはどうなんだって考えたら、よくないから試合に出られないわけで、それを人にせいにしていたんです。憲剛さんにそう言われてハッとしました。そのおかげで19年は、フレッシュな気持ちで臨めたんです。
だから、最初は調子がよかったし、出番がなくて苦しくても乗り越えてきました。だけど、ケガが......。いろんな治療をしたけど、全然ダメ。もう膝が痛くて、サッカーを楽しむことができない。こんなに楽しくないならやめようと思いました」
齋藤は、マリノス時代から師匠と仰ぐ富澤清太郎(東京ヴェルディ)に相談に行った。
「やめるな」と止められ、痛みの元となる炎症をなくすためには「休め」と言われた。また他の人からのアドバイスを受けて、アイスバスで全身を冷やすのを継続していくと、不思議なことに痛みが徐々に消えていった。
「うれしかったし、気持ちが一気にポジティブになりました」
2020年シーズン、開幕戦こそ出番がなかったが、痛みがない体で戦える喜びを感じていた。その後、新型コロナウイルス感染拡大の影響で延期になり、リーグ戦が再開したのは7月4日だった。
「捲土重来」ここからが勝負だと思っていた。しかし、試合はもっぱら途中出場がメインで、7月11日の柏戦を終えてからはベンチにすら入れなくなった。22日の仙台戦で長谷川竜也が故障し、「出番がくる」と思ったが、鬼木達監督が起用したのは宮代大聖ら若手だった。
若手に切り替えたのか、俺はもう必要ないのか。
いろんな疑念や不安が渦巻く中、さらに状況は悪化していく。斎藤は、紅白戦からも外されることになったのである。
「ほんと、この頃がフロンターレにいて一番つらかった。竜也がケガをして、僕がやらないといけないと思ったけど、ノーチャンスで......。紅白戦から外されたときは、若手の選手と一緒に外でボールを蹴っていた。練習でも大事なセットプレーとかに入れない。やばい。これは終わったなと思いました」
選手にとっては、チームに必要とされないことが一番きつい。まだやれるという気持ちで、頑張ろうと思って日々の練習をこなすが、いざベンチ外となれば気持ちが落ちる。そこから2日間は、やり場のない怒りを抑えられず、ふと苛立ちが表情に出てしまい、練習には集中できず、腐った。
そんな時、声をかけてくれたのが、戸田光洋コーチと寺田周平コーチだった。
練習での齋藤の異変を素早く察知した2人は、「少し話そうか」と声をかけてくれた。しかし、苛立つ齋藤にはその優しい声を受け入れる余裕がなく、素っ気ない返事でコーチを遠ざけたこともあった。
「もう最悪ですよね。それでも『とにかく、いいから』ってミツさん(戸田コーチ)とかに手を引っ張られて、そこから1時間ぐらいグラウンドで話をしました。僕だけじゃなく、毎回ベンチ外の選手をつかまえて、いろいろ話をしていました。それに練習試合があると、その映像を作って持ってきてくれたりして、そういうのがすごく心に響いた。ほんと、ありがたかったです」
鬱積したものを口にすると、気持ちが少し軽くなった。
それから齋藤は、ベンチ外のメンバーとともにきついメニューに取り組み、練習後には走り込みなどを始めた。それを続けているとベンチ外の選手の中に、「みんなでがんばろう」という一体感が生まれてきた。
8月29日、清水戦でシーズン初スタメンに選ばれた。いろんな思いを噛みしめた齋藤はハツラツとしたプレーを見せ、チームは5-0で大勝した。
「スタメンで、とにかく自分が引っ張っていこうと思っていた。それまで試合にずっと出ていた選手、ケガから戻りの選手も夏場で疲れていたと思うけど、僕は疲れていないし、ベンチ外の選手と練習をしてきた。それを全部出しすしかないと思っていました」
腐っている姿を見れば誰だって、試合に使いたくないと思うだろう。だが、齋藤はそのまま落ちていかずに踏み止まり、スタメンに復帰することができた。
「ベンチ外のみんなを含めて、僕の周りの人たちに感謝ですよね」
そして、そこからリーグ終了後まで齋藤は2度とベンチ外になることはなかった。
川崎は圧倒的な強さを見せ、4試合を残してリーグ戦を制した。
「優勝はもちろん試合に出た選手が頑張ったと思うけれど、正直、ベンチ外の選手の力もすごく大きかったと思う。頑張りは目に見えるものじゃないし、数字にも出ないけど、チームを支えていたし、僕は彼らがいたから頑張ることができた。だから、試合に出ることもできたし、優勝できた。本当にすばらしい経験ができたなって思います」
マリノスで10番を背負い、キャプテンにまでなった選手がここまの苦艱(くかん)を受けるとは想像していなかっただろうが、齋藤は「いろいろと成長できた」とポジティブに話す。
苦しい中で彼は何を手にしたのだろうか。
「3年間、苦しいし、つらいことが多かったけど、それを乗り越えられたことは、僕の人生においてすごくいい経験になりました。サッカーとしては、頭で考えられるようになったことかと思います。マリノスにいた時は、サイドに開いてボールが来たらドリブルを仕掛けていく。その中でフリーの選手を見つけてパスを出せるようになったのが、マリノス時代の最後の方。その結果、アシストが増えました。
フロンターレの最初の2年は、もっとボールを回すみたいな感じで、空けているサイドはサイドバックが使うイメージでした。そこで、だいぶ頭を使って考えるようなったかなと。でも、昨年は4-3-3になって戦術が変わってからは、(自分も)薫(三笘)のように速く前に仕掛けていくようになりました。それにちゃんと対応できたのも、頭で考えてサッカーができるようになったからだと思います」
齋藤は、そう言って笑った。
久しぶりにチームのために戦うこと、勝つことの楽しさを12連勝という快進撃の中で実感することができた。そして、優勝を決めたがガンバ大阪戦で齋藤はシーズン初ゴール。それは、これまで頑張ってきたご褒美のようなゴールだったが、齋藤はこの歓喜の後、別の想いを抱くことになる。
ここから、名古屋への移籍の流れが加速していくことになる。
(つづく)
プロフィール
齋藤学(さいとう・まなぶ)
1990年4月4日生まれ。神奈川県出身。169cm、66kg F W
2009年に横浜F.マリノスの育成組織からトップチームに昇格。愛媛FCにレンタル移籍後、マリノスに復帰したが、2018年に川崎フロンターレに移籍し、昨シーズンは優勝に貢献した。今季、完全移籍した名古屋グランパスでの活躍が期待される。