為末流「選手を幸せに導くプロセス考」第5回 いまだ破られぬ男子400メートルハードルの日本記録を持ち、コーチをつけず常に自身に向き合いスポーツを哲学してきた為末大氏に聞く、為末流「選手を幸せに導くプロセス考」。第5回は勝敗や怪我、スランプの…

為末流「選手を幸せに導くプロセス考」第5回

 いまだ破られぬ男子400メートルハードルの日本記録を持ち、コーチをつけず常に自身に向き合いスポーツを哲学してきた為末大氏に聞く、為末流「選手を幸せに導くプロセス考」。第5回は勝敗や怪我、スランプの乗り越え方など、選手のこころへの寄り添い方について語る。(取材日=2020年3月26日、取材・文=松葉 紀子 / スパイラルワークス、撮影=堀 浩一郎)

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 スポーツ選手にとって、怪我をしないのに越したことはありません。しかしいくら注意しても、スポーツに怪我はつきものです。怪我をしたとき、悲観してしまう選手もいるかもしれませんが、実はいい点が二つあります。

 一つは陸上を例に挙げると、慢性的な怪我をする選手が多いのですが、不調になると身体の構造上のゆがみを理解するのにいい機会になると思っています。例えば、ひざが痛いとします。怪我をしたことでどこか身体にゆがみがあったのではないかと考える時間ができ、怪我をしたことにも意味があると思えるのではないでしょうか。

 もう一つ、いい点を紹介しましょう。スポーツ選手をしていると、大会があるので練習の流れを止めることはできません。でも怪我でその流れを強制的に切られてみると、選手の多くは「ゼロから考えて、何が足りなかったのだろうか?」を考えるのです。そこで自分とじっくり向き合ってみると、足りなかったことが見えてきます。多くの場合、それが体幹などを含む身体の中心部のトレーニングなのです。体幹が変わると、プレー結果は変わります。このように自分と競技の、もっと根本部分を見直すいい機会になると思っています。

 これは仕事にも似ているのですが、優先順位の高い仕事には、「緊急度が高いもの」と「重要なもの」の2種類があるとします。いつもはついつい緊急度の高いものから片づけようとしてしまう人は多いと思います。しかし怪我をしてしまったときには、先に話したような緊急度は高くないけれど、重要なものに取り組むのにいい機会ではないかと思うのです。怪我は、自分と向き合うチャンスです。こんなことでもないと、選手は心理的にも休めないので、しっかりと休むことで次につなげられるといいと思います。

指導者は、少しずつであっても前進していることを伝えてほしい

 一生懸命練習していても成績が出ない、どうもうまく気持ちが乗らない、選手にはそんなときがあります。特に若い選手ですと、成績が出ないとどうしても落ち込みがちです。選手が面白くない気分になったときこそ、指導者としての手腕が一番試されるのではないかと思います。

 選手が落ち込んでいるとき、指導者が俯瞰して見えているものを伝えることがカギになると思います。落ち込んでいる選手本人からすれば、がんばってトレーニングしても変化がないように思えるでしょう。しかし指導者の視点から見れば、さかのぼって同じ選手の過去と比較したとき、前進している部分を必ず見つけることができるはず。そこを選手に伝えれば、選手は今の状態を受け入れ、次のステップへ進むことができると思うのです。

 選手が落ち込んでいる場合、指導者は少しではあったとしても変化が出ていることや、トレーニングの成果が結果として表れるまで時間がかかるということを伝えなければいけません。また、指導者が選手に「内面が変われば、やがて外側が変わる」ということを伝えることが大事なのです。スランプは現状を変えるチャンスです。悩みながら新しいことにチャレンジをすることで、選手自身の中にあるよくない「癖」に気づくことができます。人によっては、自信のないときにしか受け入れられない話もあるので、指導者が選手にそうした話をするいい機会になるのです。

 指導者がどう選手にアドバイスするのか、「言葉」はとても大事です。しかしそれよりも選手自身が成長を止めているということに気づいてもらう、それが一番、いい形ではないかと思います。選手自身が「こうなりたい」というイメージがあるとします。スランプのときにはそれに対してどこか違和感があるのだと思いますが、実はそういうイメージから生まれた違和感を手放せた方が、スランプを脱するだけではなく、今後の選手の成長につながります。

 指導者ばかりでなく、選手にもできることがあります。それはリーダーシップを発揮することです。ここで言うリーダーシップとは、自分の目の前で起こっている出来事をこうなったらいいなという方向に自ら導いていくことを指しています。

指導者と選手、どちらかが一方的に影響を与えているのではない

 例えば、指導者から受ける助言の中で厳しいと思う「言葉」があるとします。そんなとき、まずは指導者の隣に立って最後まで話を聞き、話が終わった後に、選手が指導者に自分なりの解釈をぶつけてみる。その中で、こういう言葉なら納得できるというものを、選手が指導者に暗に伝えてみます。指導者が厳しい言葉を使っている最中にそれを変えるのは難しいでしょう。どんな人でも、全部を思い通りにコントロールすることは不可能ですが、それでも、それぞれができることを少しずつでも実行すれば、思っている方向に少しだけでも変えられるという考えを持つことが大事だと思うのです。

 つまり、選手は指導者から厳しい言い方をされたとき、「辞める、辞めない」と自分を追い込むのではなく、「自分が変えられることがあるのでは」と少しでも考えてみるといいと思います。指導者が優秀なら、そういうことも分かっているはずです。選手、指導者、どちらかが一方的に影響を与えるのではなく、双方向に影響される。それを抵抗しないで受け入れることができる指導者がいい指導者ではないかと思います。

 人は本質的に、影響を与えられるよりも、与える方を好みます。選手についても同じことが言えます。もし選手が指導者に影響を与えていると感じられれば、それが自信につながるし、コミュニケーションのバランスも良くなると思います。

 では選手から何か提案された指導者はどうすればいいのでしょうか。例えば、選手のアイデアをそのまま採用するのもいいと思います。変えられないと思っていたものが変えられると知ることは大きい。だから、ダメもとで選手も指導者に提案してみるなど、自分ができることに挑戦してみるといいと思います。

すでにある理論もうまく利用する

 選手に影響を与えられる指導者になるためのひとつの方法は、自分の中にある、「権威」のイメージを変えることです。一般的な「大きくて揺るがない」ものではなく、柔軟で、変化してもいいものだと捉えるようにする。「権威」というよりは「尊敬」にイメージをずらしていく、というと分かりやすいでしょうか。自分の中の定義を変えるだけで選手との関係性は変わると思います。

 そして、影響を与えるために指導者がオリジナルの指導論を編み出す必要はないと思います。世の中には科学的に証明されている理論がすでにたくさんありますから、そういったものをうまく利用すればいいと思います。自分が発見したというのは気持ちがよいものですが、心理学はもちろん、指導方法も既存のものからヒントを得て柔軟に取り入れていく。それがいい指導者になるための第一歩につながると思います。

(記事提供TORCH、終わり)


■為末 大 / 為末大学学長

 1978年生まれ、広島県出身。スプリント種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。男子400メートルハードルの日本記録保持者。現在は人間理解のためのプラットフォーム為末大学(Tamesue Academy)の学長、アジアのアスリートを育成・支援する一般社団法人アスリートソサエティの代表理事を務める。新豊洲Brilliaランニングスタジアム館長。主な著作に『Winning Alone』『走る哲学』『諦める力』など。(スパイラルワークス・松葉 紀子 / Noriko Matsuba)