為末流「選手を幸せに導くプロセス考」第4回 いまだ破られぬ男子400メートルハードルの日本記録を持ち、コーチをつけず常に自身に向き合いスポーツを哲学してきた為末大氏に聞く、為末流「選手を幸せに導くプロセス考」。第4回は、指導者が持つべき俯瞰…

為末流「選手を幸せに導くプロセス考」第4回

 いまだ破られぬ男子400メートルハードルの日本記録を持ち、コーチをつけず常に自身に向き合いスポーツを哲学してきた為末大氏に聞く、為末流「選手を幸せに導くプロセス考」。第4回は、指導者が持つべき俯瞰力。なぜ俯瞰力が必要なのかについて語る。(取材日=2020年3月26日、取材・文=松葉 紀子 / スパイラルワークス、撮影=堀 浩一郎)

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 選手を指導するとき、なぜ俯瞰力が必要になるのか――。

 例えば、指導者がある選手のトレーニングを見て、「この選手はなぜ頑張ることができないのか」「ミスをするのか」と思うとします。私の場合、この二つをまとめて考えるようにしています。そして、「私はなぜ、その選手が頑張らないのか、そして、ミスをすると思っているのだろう」と主語を自分に置き換えるのです。

 つまり、実際に目の前で起きている出来事はあくまで自分の視点であり、どんな指導者であっても、視点にバイアス(無意識の偏見)がかかっているということを認識すべきだと思うのです。彼もしくは彼女がやる気がないように、「私には見えている」。実際にやる気があるのかないのか、本当のところは分かりません。でも自分にそう見えているのはなぜだろうと考えてほしいのです。もちろん、明らかにやる気がないようなら、叱るべき場合には叱っていいとは思いますが。

 思考の違いはいかにして生まれるか、について書かれた「木を見る西洋人 森を見る東洋人」(リチャード・E・ニスベット著)という心理学の本がありますが、国や文化が違えば視点は大いに変わります。自分が無意識に何に着目するかという目の動きすら文化のバイアスによって影響を受けておりコントロールし切れていないというのです。

 自分のバイアスに気付かずそのまま見た場合、当然導き出された結論に対してもバイアスがかかっているのですが、そのことに気付けていない人はたくさんいます。指導者はバイアスがかかった状態で見ていることを意識して選手のことを考えなければなりません。ただし、意識すると指導する際の「熱さ」もなくなりがちになるので、バランスを保つ必要があります。

バイアスがあることを意識する

 私がかつて選手だったとき、強烈に印象に残っている出来事があります。

 それは、試合に負けて「やってきた練習の全てが無駄になりました」と話したときのことです。

 話した相手は定かではありませんが、確か指導者だったと思います。その発言を聞いた指導者(Aさん)から「無駄になる、ということを厳密に説明してみませんか」と言われ、問答が始まりました。

【指導者(Aさん)の方との問答】

Aさん:「無駄になったというのはどういうことだと思う?」
私:「努力してきた意味がなくなった、うまくいかなかったということです」
Aさん:「うまくいかなかった原因は?」
私:「スタートダッシュが悪かったから」
Aさん:「じゃあ、次はどうすればいい?」
私:「この辺りをこうした方がいいと思います」
Aさん:「今、自分で言ったことはなんだと思う?」
私:「学びですかね」

 自分自身、「学び」と答えた瞬間にハッとしました。無駄だと思ったことが実は無駄ではなく、学びだったと気付くことができたからです。これはコーチングによっても選手に気付かせることができますが、指導者がバイアスに対する意識を持っていたからこそ、こうした問いかけをすることができたのだと思うのです。

バイアスを意識すれば、指導も変わる

「努力したのに意味がない」と選手が嘆いたとき、指導者がバイアスを意識していないと、「意味がないわけないだろう」とただ叱ることしかできないはずです。

 選手の視点が変わるような話ができるかどうかが、いい指導者かどうかの分かれ道ではないかと思います。一方で、バイアスは個性そのものです。完全に無色がいいというわけではないので、バランスを考えながら、指導をうまくやっていかなければなりません。

 ちなみに私が「この指導者はすごい!」と思ったのは、2006年7月から翌年11月までサッカー日本代表の監督を務めたイビチャ・オシム氏です。日本の文化的背景を理解したうえで、言葉を巧みに使っておられた印象があります。同じ指導内容でも、言い方ひとつで相手への伝わり方は全然違います。同じ指導でも結果がまったく変わるので、指導者は自分のバイアスを意識できる俯瞰力をつける必要があるのです。

(記事提供TORCH、第5回に続く)


■為末 大 / 為末大学学長

 1978年生まれ、広島県出身。スプリント種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。男子400メートルハードルの日本記録保持者。現在は人間理解のためのプラットフォーム為末大学(Tamesue Academy)の学長、アジアのアスリートを育成・支援する一般社団法人アスリートソサエティの代表理事を務める。新豊洲Brilliaランニングスタジアム館長。主な著作に『Winning Alone』『走る哲学』『諦める力』など。(スパイラルワークス・松葉 紀子 / Noriko Matsuba)