「オープン球話」連載第54回 第53回を読む>>【カツノリには「親父に恥をかかせるな」と言っていた】――前回は長嶋一茂さ…

「オープン球話」連載第54回 第53回を読む>>

【カツノリには「親父に恥をかかせるな」と言っていた】

――前回は長嶋一茂さんについて伺いました。その最後で「次回はカツノリについて話そうか?」とのことでしたので、現在、東北楽天ゴールデンイーグルスの二軍育成捕手コーチを務めている野村克則さんについて聞かせてください。

八重樫 一茂には「長嶋さんの息子」という周囲の期待があったように、カツノリにも「野村監督の息子」というプレッシャーは常にあったと思います。カツノリが入団した1996(平成8)年はまだ野村さんが監督で、僕は一軍のバッテリーコーチでした。その次の年から二軍監督になったので、カツノリとはずいぶん一緒に練習しましたよ。



野村克也監督(右)時代のヤクルトに入団した野村克則(左)

――八重樫さんにとっての上司である「野村監督の息子」の入団は、コーチとしてはやりづらかったんじゃないですか?

八重樫 そういうのは、僕は全然関係ないから(笑)。いくら「監督の息子」であろうと、一生懸命、練習するかどうか。それを大切にしていましたからね。当時、彼によく言ったのは「親父に恥をかかせるなよ」ということでした。

――カツノリさんは、明治大学からドラフト3位で入団しました。東京六大学では首位打者、打点王も獲得。ファーストとしてベストナインも選ばれていました。入団時の印象、そして実力はいかがでしたか?

八重樫 この連載でも言ったように、一茂が入団してきた時には「すごいポテンシャルだな」と驚いたけど、カツノリにはそういう印象は全然なかったですね。正直に言えば、「プロに入れるレベルじゃないな」と思いました。ただ、気持ちは強かった。「プロの世界でやってやろう」という意気込みは強かったし、「どうすればうまくなるんだろう」という向上心もすごくあったよ。

――入団当初は「プロのレベルではないな」と思っても、「うまくなりたい」という思いがあれば、うまくなれるものなのですか?

八重樫 うーん、難しい質問ですね。それは人によるのかな? ただ、カツノリの場合は致命的に体が固かったんですよ。彼は、1年目は一軍で出場していないですよね。最初はストレッチの指導から始めましたから。

【サッチーからお中元、お歳暮が】

――確かにルーキーイヤーの1996年は、一軍出場はありませんでした。2年目の1997年から主に途中出場という形で一軍に出場し始めます。

八重樫 キャッチャーにとって、股関節の柔軟性はとても重要なんです。でも、カツノリは構えた時にかかとが上がるから、構えた態勢でちょっと頭を押すと、すぐにぐらつく。股関節、膝関節、足首の関節、どれも固いから、きちんと構えられない。それが徐々に克服されてきたのが2年目以降、ということだったんだと思います。

――以前、古田敦也さんにインタビューした時に「僕はものすごく柔軟性があるんです」と言っていました。八重樫さんから見て、どうでしたか?

八重樫 古田は本当に柔らかかったですよ。股関節が柔らかいから、ペターッと地面につくぐらい低い位置で構えることができたし、ほとんどぐらつかない安定感がありました。古田の場合は柔らかすぎるんですけどね(笑)。

――入団時に抱いた「プロのレベルではないな」という、カツノリさんへの印象は、少しずつ「プロらしくなってきたぞ」と変化していったのですか?

八重樫 だんだん、プロらしくなっていきましたよ。守りもバッティングも。確か、この頃に一度、カツノリが太ももを火傷したことがあったんです。

――太ももを火傷? どういうことですか?

八重樫 体を柔軟にするためなのか、痛みやコリをとるためなのかわからないけど、太ももに「もぐさ」をやって火傷したらしいんだよね。せっかく一軍に行ったのに、二軍に落ちてきたから、「どうした?」と聞いたら、もぐさが原因だった(笑)。サッチー(野村沙知代)に言われて試したんだと。そうそう、カツノリが二軍にいた時、一軍の松井優典マネージャーから「カツノリを早く一軍に上げろ」って、しつこく言われたことがあったんだよね。

――それは野村さんの要望なんですか?

八重樫 いや、たぶんサッチーだと思うよ(笑)。松井さんと沙知代さんは、距離が近かったから。サッチーはとにかくカツノリをかわいがっていたからね。僕のところに、サッチーからお中元、お歳暮が届いたこともありました。千疋屋のゼリーの詰め合わせ。あれは「夫と息子をよろしく」という意味じゃなく、間違いなく「カツノリをよろしく」という思いからだったと思いますよ。

【トレードによって人生は大きく変わる】

――当時のヤクルトには「古田敦也」という不動の正捕手がいて、二番手には後に日本ハムに移籍後にレギュラー捕手となる実力派の野口寿浩さんがいて、カツノリさんは三番手というチーム状況でしたよね。

八重樫 古田が盤石の状態だったから、その中で出番をつかむのはなかなか難しいのは確かでした。カツノリはそうでもなかったけど、野口はいつも愚痴ばっかりだったよ。いつも、「僕は野村さんに嫌われてるから......」と言っていたね(笑)。

――それは実際にそうだったんですか? それとも、思い込みですか?

八重樫 思い込みですよ。アイツは被害者意識が強すぎるんです。だから、僕も彼に言いました。「お前、バカか? 監督の顔色をうかがうんじゃなく、大切なのはお前自身だろ。有無をも言わせぬ実力を発揮できるように頑張ればいいじゃないか」って。

――当時、野口さんが「トレード志願」しているという雰囲気はありましたよね。

八重樫 実際に志願していたし、本人の耳に入っていたかはわからないけど、他球団からも話はあったと思います。彼とそういう話をしたこともありました。僕としても、「野口は、他球団に行けば出場チャンスが増えるだろう」と思っていたしね。

――結局、1998年の開幕直前に、日本ハム・城石憲之さんとのトレードが成立しました。

八重樫 あれは、野口にとっていいトレードだったと思います。実際に、日本ハムでは正捕手になったし、オールスターにも出られたわけだし。ヤクルトから日本ハムに行って、その後は阪神、横浜でプレーをして、2017年、18年はヤクルトのコーチをした。いい野球人生を送っていると思いますよ。野口がトレードされた結果、カツノリも古田に続く「二番目の捕手」という立場に変わったわけだし。

――選手個人の人生はもちろん、チーム内の化学変化など、ひとつのトレードにはさまざまな物語がありますよね。

八重樫 僕は経験ないけど、トレードというのは選手にとって、とても重要なことですからね。野村さんがチームを去って、若松(勉)さんが監督になったら出番も減って、カツノリも阪神に移籍。その後も、巨人、楽天といろいろな経験を積んだ。その結果、ヤクルトでも、巨人でも、楽天でもコーチを経験しているんだから、どうなるかわからない。それにしても、今回はカツノリの話から始まったけど、最後は野口の話になっちゃったね(笑)。

(第55回につづく)