為末流「選手を幸せに導くプロセス考」第2回 いまだ破られぬ男子400メートルハードルの日本記録を持ち、コーチをつけず常に自身に向き合いスポーツを哲学してきた為末大氏に聞く、為末流「選手を幸せに導くプロセス考」。第2回は「選手にとって『幸せ』…
為末流「選手を幸せに導くプロセス考」第2回
いまだ破られぬ男子400メートルハードルの日本記録を持ち、コーチをつけず常に自身に向き合いスポーツを哲学してきた為末大氏に聞く、為末流「選手を幸せに導くプロセス考」。第2回は「選手にとって『幸せ』とは何か」、指導者ができることについて考える。(取材日=2020年3月26日、取材・文=松葉 紀子 / スパイラルワークス、撮影=堀 浩一郎)
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プロからスポーツを楽しむアマチュアまで、スポーツに関わる人のなかにはさまざまな思いがあると思いますが、選手にとっての「幸せ」とは一体何でしょう。例えが適切かどうか分かりませんが、軍事学者グラウゼヴィッツが「戦争論」の中で、勝利条件を定義しないとそれ以外の全ては意味をなさないと書いています。
つまり「幸せ」とは何か、という定義ができないと、人は何が良い行為なのかが判断できません。自分の行動のベースとなっている価値観は何なのかを理解することは、スポーツに限らず、どんなことでも重要だと思います。ただ、人の価値観は流動的であり、変わっていくものなので、自分でも把握が難しい。それに10代の人が「自分にとっての幸せは何か」と問われても、明確な答えを出すのは相当困難です。多くの人はいろいろなことにチャレンジしながら、「自分にとっての幸せ」が少しずつ明らかになって理解していくのではないでしょうか。
スポーツ選手の「幸せ」においても、正解や不正解はなく、勝ちたい人もいれば、楽しくやりたい人もいる。それぞれで価値観は違うわけです。いずれにしても、自分は何のために練習をしているのか、クリアにしておく必要があります。自分は勝利するためにやっているつもりでも、心の奥底ではそう思っていないというのでは困ります。行動と言語化したことが一致していることが大事なのです。
「価値観を明確に」とは言いましたが、価値観はブレやすいものです。だから企業の多くは、ミッションやビジョンなどを言語化し、掲げているのではないかと思います。ただ、今、明確なものがなくてもいいので「自分は何のために行動しているのか」を考える必要があります。選手が考えていない場合には、指導者が様子を見ながら、考えてみるように促すのがいいですね。
選手と指導者が陥りやすい、共依存関係
私が考える良い指導者とは「選手が自立できるように助けられる人」です。
選手と指導者の間には微妙なバランスがあって、指導者には選手を変える力があります。このことを認識しておかなければなりません。指導とは、繰り返し選手を変える行為です。この関係を続けることで、個人差はあるもののそこには「共依存関係」が生まれます。
指導者にとって、選手が慕ってくれることは大きな喜びにつながりますが、それは同時に、選手に依存させてしまうことにもなります。ですから、選手から見える景色の中から指導者である自分がいなくなることに、寂しさを感じるかもしれませんが、これは選手自身の自立を意味します。あくまでこれは私個人の意見ですが、選手が指導者を完全に忘れるところまでいかないまでも、比重が下がることが本当は望ましいのではないでしょうか。
自立とは、誰にも頼らないことではなく、依存を分散させることだといえます。いろいろな人に上手に頼れるよう導くのが共依存関係に陥らないポイントです。では、どうすれば選手は自立できるのか。
人生の幸せはこれだと、選手自らが決め、選んでいけることが大事であって、指導者はその手助けをし、できるようにすることが最善だと思います。もし指導者が選手の幸せや、そのためにすべき行動を決めてしまうと、最終的に選手の自立を阻むことにもなりかねません。選手自身が考えるのをやめてしまい、頼るようにもなります。ですから指導者は本人が考えるようにうまく促すことができればいいのです。
この際、注意しなければならないことがあります。「選手自身が考えることが大事」とはいえ、指導者が選手に「投げかけ」をするばかりではいけません。
例えば、「何のために走るのか?」と陸上競技選手に問いを投げかけたとしても、オリンピックに出ている選手でさえ、答えられる人は数えるほどしかいないでしょう。
そもそも好き・嫌い、という嗜好は親や周囲が与えた価値観の中で生じてくるもので、自分の価値観を見極めることは簡単ではありません。何事も最初は押し付けから始まるものです。こうして話している言語でさえ、最初は外から一方的に浴びせられることによって習得し、使いこなせるようになり、いつかは自由になっていきます。
中高生にいきなり「何が幸せか?」と聞いても分からないのが当たり前。だから指導者が選手の幸せを決め、押し付けから入るのもありだとは思っています。しかし最終的に選手が自立するためには、指導者が選手を手放すタイミングを計っていく必要があります。
「影響を与えたい」という欲求との葛藤
世の中で名指導者と呼ばれている人は、多くのメディアで取り上げられ、そこでこれだけの影響を与えていると、たたえられています。
どんな指導者でも「名指導者と言われるようになりたい」という気持ちが湧いてくるのは自然なのかもしれません。指導者の心の中は、人に影響を与えたいという欲求とのシビアな戦いがあるのではないかと思っています。
「影響を与えること」は指導者としての存在意義につながります。相反して、選手を手放すことは一抹の寂しさを感じるでしょう。指導者として、気持ちのバランスをうまく保つのは実に難しいと思います。いくら優秀な指導者であれ、それを完全に克服することはできないかもしれませんが、抑制しながらうまくやっていく術を見つけた指導者こそが、選手を自立に、幸せに導くのではないでしょうか。
(記事提供TORCH、第3回に続く)
■為末 大 / 為末大学学長
1978年生まれ、広島県出身。スプリント種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。男子400メートルハードルの日本記録保持者。現在は人間理解のためのプラットフォーム為末大学(Tamesue Academy)の学長、アジアのアスリートを育成・支援する一般社団法人アスリートソサエティの代表理事を務める。新豊洲Brilliaランニングスタジアム館長。主な著作に『Winning Alone』『走る哲学』『諦める力』など。(スパイラルワークス・松葉 紀子 / Noriko Matsuba)