『羽生結弦は未来を創る〜絶対王者との対話』第Ⅴ部 プログラムの完成(6)数々の快挙を達成し、男子フィギュアスケートを牽引する羽生結弦。常に挑戦を続ける強靭な精神力と自らの理想を果敢に追い求める情熱を持つアスリートの進化の歩みを振り返る。世界…

『羽生結弦は未来を創る〜絶対王者との対話』
第Ⅴ部 プログラムの完成(6)

数々の快挙を達成し、男子フィギュアスケートを牽引する羽生結弦。常に挑戦を続ける強靭な精神力と自らの理想を果敢に追い求める情熱を持つアスリートの進化の歩みを振り返る。世界の好敵手との歴史に残る戦いや王者が切り拓いていく未来を、長年密着取材を続けるベテランジャーナリストが探っていく。



2017年のオータムクラシックで『バラード第1番』を滑る羽生結弦

 2017ー18シーズン、羽生結弦がショートプログラム(SP)で『バラード第1番』を演じるのは3シーズン目だった。とはいえ、4回転ループを冒頭に入れ、基礎点が高くなる後半にはトリプルアクセルと4回転トーループ+3回転トーループを持ってくる難度を高めた構成だった。

 フリーの『SEIMEI』も最初に4回転ループと4回転サルコウを跳んで3回転フリップを入れた後、ステップとスピン、そして後半にサルコウとトーループの4回転3本を連続ジャンプも含めて入れ、トリプルアクセルも連続ジャンプにするという、これまでよりいっそう難しい構成を予定していた。

 そのお披露目となった17年9月のオータムクラシックは、右膝の痛みのため4回転ループを封印したが、SPでは後半に4回転を入れた効果もあって、自身の歴代世界最高得点を更新する112.72点を記録。その秀逸さはピアノ曲と演技との見事なマッチングだった。

 不安を抱えたコンディションでありながら羽生が見せたのは、正確にジャンプを跳び、盛り上げるべきところでスピードを上げる演技だった。流れるような静けさの中でも、メリハリをつけると同時に、ジャンプを完璧に決め、スピンとステップはすべて最高のレベル4だった。

 このSPですごさを感じたのは、一度スピンでスピードを上げて盛り上がる部分を作ってから、再度、静寂に戻って始まる後半最初のトリプルアクセルだ。羽生自身も「今回のプログラムのトリプルアクセルはフワッとした感じで、より音に溶け込むアクセルに仕上がっている」と話していたように、大きく跳び上がり、着氷した直後に「ポン」と小さな音が置かれるシーンは、どこか感動的ですらあった。これが羽生結弦のトリプルアクセルなのだ、と。



2017年、難度を高めた『バラード第1番』で臨んだ羽生

 この時は冒頭に4回転サルコウを入れ、GOE(出来栄え点)加点3点の評価を受けた。それについて羽生はこう話した。

「今回のショートを見て、チームの人たちがどう思ったかわからないですが、お客さんの中には、限りなく『(4回転ループではなく)サルコウでいいんじゃないか』と思った方もいたかもしれない。サルコウでこの点数を安定して出せるようになったら、フリーにもっと力を入れられるんじゃないか、と。そういう気持ちが僕の心の中で芽生えてしまったところがあったので、そこが悔しいんです」

 そんなことを考えたのは、自分の思いを曲に乗せる完璧な演技ができたからだろう。だが、冒頭を4回転ループにして完璧に決めれば、さらに1.5点がプラスされ、ジャンプの基礎点合計は37.41点になる。それは、4回転ループと4回転サルコウ+3回転トーループを前半に入れた前季より1.26点高く、当時の歴代最高得点110.95点を出した15年グランプリ(GP)ファイナルの基礎点34.45点を上回る。

 これは、ルッツとフリップの4回転を入れて世界最高難度(当時)の構成であるネイサン・チェン(アメリカ)のジャンプ基礎点合計には2.14点劣るものの、もちろん最高レベルである。

 また、このオータムクラシックでは48.55点だった演技構成点も、ほぼ満点といえる15年のGPファイナルで出した49.14点に近づけて、これを上回ることも可能なはず。

 この大会で自己最高得点を1.77点伸ばした大きな要因は、4回転トーループからの連続ジャンプを後半に持ってきたことで、基礎点が1.1倍になったことと、ステップで獲得したレベルがレベル3からレベル4に上がった点にある。

 これらに加えて、冒頭を4回転ループにして、15年のGPファイナルと同等かそれ以上の演技構成点を獲得できれば、あと2.5点ほどは伸ばせる計算。もちろん、17ー18シーズンの羽生のSPへの期待感は、得点だけではなかった。オータムクラシックで膝にやや不安のある状態で自分ができる表現をやりきった羽生が、次の大会ではどんな心境で『バラード第1番』を表現するのか、どんな世界を見せてくれるか、得点以上に楽しみだった。

 オータムクラシックのSPは、シーズン初戦とはいえ、羽生が『バラード第1番』という曲に乗せて伝えたい思いを、さらに研ぎ澄ましたような圧巻の演技だった。

 翌日のフリーの『SEIME』は、前半にルッツとループ、フリップの3回転を並べる構成にしていた。結果的に最初のルッツが1回転になり、4回転を並べた後半もミスが続いて崩れた。しかし公開練習時には「練習はしているが、今は考えていない」と話していた4回転ルッツを入れた構成にしてきたのは明らかだった。

 その4回転ルッツは次のロステレコム杯では成功させたものの、11月のNHK杯では右足関節外側靭帯損傷という重大な故障につながり、結果として平昌五輪にぶっつけ本番で臨まなければならなくなった。だが、五輪連覇という競技人生最大の目標に挑んだ羽生は、そこですばらしい『バラード』を演じたのだった。

*2017年9月の記事「歴代最高にも伸びしろ。羽生結弦の今季SP得点はどこまで伸びるのか」(WebSportiva)を再構成・一部加筆

【profile】 
羽生結弦 はにゅう・ゆづる
1994年12月7日、宮城県仙台市生まれ。全日本空輸(ANA)所属。幼少期よりスケートを始める。2010年世界ジュニア選手権男子シングルで優勝。13〜16年のGPファイナルで4連覇。14年ソチ五輪、18年平昌五輪で、連続金メダル獲得の偉業を達成。2020年には四大陸選手権で優勝し、ジュニアとシニアの主要国際大会を完全制覇する「スーパースラム」を男子で初めて達成した。

折山淑美 おりやま・としみ
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。92年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、これまでに夏季・冬季合わせて14回の大会をリポートした。フィギュアスケート取材は94年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追っている。