脱、豆苗──。 ベイスターズの公式Twitterに新年の挨拶をアップした大貫晋一は、今年の目標にマッチョ!!計画を掲げ…

 脱、豆苗──。

 ベイスターズの公式Twitterに新年の挨拶をアップした大貫晋一は、今年の目標に"マッチョ!!"計画を掲げた。昨年、細身の体型ゆえにチームメイトから『豆苗』のニックネームがついた大貫だったが、『脱、豆苗、マッチョ化へ』の流れもあったからか、キャンプ3日目となる2月3日(この日は自身の27歳の誕生日)、大貫はじつに"パンチ"の効いたバースデイ・ギャグを披露していたのだ。練習前の挨拶に立って、こう言った。

「人生、楽しいこと、辛いこともあるんですけど、やっぱり人生って......山あり、谷あり、モハメド・アリ!」



昨シーズン、チーム最多の10勝をマークしたDeNA大貫晋一

 そう叫んで繰り出した『豆苗クン』のシャドウボクシングは、チームメイトを爆笑の渦に巻き込んだ。1994年生まれの大貫がおよそ半世紀前、世界に君臨した伝説のヘビー級チャンピオンの"蝶のように舞い、蜂のように刺す"ボクシングスタイルを知るはずもないと思って「アリを知っていたの?」とぶつけてみたら、大貫はこう言って笑った。

「正直、そうですね......モハメド・アリ、あんまりわかってないです(笑)」

 プロ3年目を迎える大貫は、ルーキーイヤーの一昨年が6勝、昨年はチームトップとなる2ケタの10勝を挙げている。順風満帆にしか見えない大貫の野球人生の、いったいどこに谷があって、どこに山があったと言うのだろう。

「大学時代にヒジをケガした時が谷だったかもしれませんね。山は......山か、山は来てないかな。でも、プロ野球に入れたことは山だったんじゃないですかね。あれっ、でも、そうすると時系列がおかしくなっちゃいますね。そうなら『人生、谷あり、山あり、モハメド・アリ』か(笑)」

 横浜で生まれ、小学校3年生の時に野球を始めた。今は亡き大貫の父は、中国に渡って野球の振興に務めていたこともある。そんな父の影響もあって野球を始めた大貫だったが、彼の野球人生、何度も何度も谷に突き落とされてきた。

 横浜青葉シニアに所属していた中学時代はメンバー外で、ほとんど試合に出ていない。高校時代は、夏に甲子園へ一度出場したことがある桐陽へ進み、3年夏はエースとして静岡大会のベスト8まで勝ち進んだ。

 ただし、2年の秋にはヒジを痛めて、投げられない時期を過ごしている。ツーシームを覚えた大学時代は、2年春、3勝を挙げてベストナインに選ばれ、日体大の4シーズンぶりの優勝に貢献した。しかしその直後、またも右ヒジを痛みが襲う。そしてまさかのトミー・ジョン手術──じつはこの時、大貫の右ヒジ靱帯は断裂していたのである。

「中学校の時はメンバー外で、高校もそんなに強くないところでした。大学でも2年間はリハビリで野球ができていない。もう、野球を辞めなきゃと思ったこともあります。それでもあきらめないで社会人(新日鐵住金鹿島)へ進んで、プロ野球選手になれました。だから、ひとつのことをやり遂げるというところに関してはものすごく自信があります。そうやって愚直に物事に向き合うことが才能なのか、努力なのかというのはわからないんですけど、そこは自分のなかでも大切にしてきたことですね」

 中学野球の補欠から高校野球のエースへ、大学で右ヒジにメスを入れてもプロ野球選手になることをあきらめず、ついには生まれ育った横浜を本拠地とするベイスターズのユニフォームに袖を通した。

 ルーキーイヤーにはいきなり開幕ローテーションの一角を勝ち取るも、デビュー戦は3回途中、4失点で降板する。それでも2試合目、毎回のようにピンチを凌ぎながら5回を投げ切って、プロ初勝利を手にした。

 2年目のシーズンとなる昨年も、開幕して2度目の先発となった甲子園でのタイガース戦で初回に30球を投じて3点を失い、すかさず交代させられた。そんな土俵際でも、大貫はまたまた踏ん張って見せる。初回KOから中3日での先発となった7月14日のドラゴンズ戦、大貫は8回を被安打3、無四球で2失点というピッチングを見せて初勝利を挙げると、その後はトントン拍子に白星を重ねた。気づけばチームで唯一の2ケタ勝利をマークし、昨シーズンをこう振り返る。

「こんなに勝てると自分自身、思ってなかったので、正直、出来すぎかなというところもあります。野手の方やリリーバーの方の助けがあって初めて2ケタ勝てて、すごく自信になりました。よかったところは......1年目と比べたらコントロールがよくなったかな。困った時に投げるボールの精度が上がったと思います」

 2ケタ勝利のシーズン、大貫のターニングポイントは、やはりあの中3日ではなかったか。屈辱のノックアウトを喰らったあと、3日という時間をどう使っていたのだろう。

「あの時は、すぐに横浜へ帰らされる(二軍落ち)ものだと思っていました。でも、すぐにチャンスをもらえて......そういう時って僕、意外と頭のなかがクリアなんです。もともと自分でコントロールできることしか考えないようにしていて、周りのことをあまり気にしないんです。あの時も本当にあとがないとなったのに、もらえると思っていなかったチャンスをもらえて、これは結果を出すしかないな、とだけ考えていました。そのためにやるべきことと、やるべきでないことの線引きがしっかりできていた。

 やるべきことというのは、甲子園では調子自体はそんなに悪くなかった、と思うこと。やるべきじゃないのは、ああいうフワッとしたゲームへの入り方。次は初回からしっかりゲームに入れるようにすればいい、と、そう考えていました。立ち上がりというのは本当に難しくて、フワフワ入ってもダメだし、気持ちを入れすぎてもよくない。そのバランスを考えて臨みましたね」

 もちろん、メンタルだけではない。大貫は技術面でも具体的な課題を見つけて、その解決に取り組んだ。

「木塚(敦志)コーチとフォームを見直して、足から始動していたものを上半身から動くようにしたら感覚がよくなりました。強いボールが狙ったところへいく感じがしたんです。そうやって、自分のリズムを作れたのも大きかったのかなと思います」

 野球を考え抜いてきたからか、大貫は取り組んでいることと、その意図をきちんと言葉にできる。このキャンプでも、今のテーマをこんなふうに言葉にしてくれた。

「去年の12月に、フォームの動作解析をしてもらったんです。今はその時に出てきた課題に取り組んでいます。それは、横に移動する時間が短いのと、横に移動するときの力のベクトルがズレているところ。だからなるべく長い時間、しっかりとした向きにして、地面から力をもらえるようなフォームにする、というのが今の課題です。そのためにフィジカル面に関してはお尻や太ももの裏の筋肉をしっかり狙って使えるよう、トレーニングしています。

 あと技術面では、そうやってハムストリングをちゃんと使おうと思ってもなかなか思うように使えないので、基本的なサイドステップを繰り返しながら、どうやって動かしていけばそういうフォームになるのかということを身体に覚えさせて、無意識のなかでもその動きが出るように練習しています。結果、ボールを強くするのが狙いですし、1年間、ローテーションの軸として投げ抜くために、なるべくケガをしないフォームを身につけることにもつながっていくと思っています」

 いやはや、じつに明確かつ意識が高いプロ3年目だとあらためて驚かされる。課題はこう、そのために必要なものはこれで、だからどういう練習をするんだ、というところが頭のなかで整理されているのだ。努力目標をきちんと見定めて登り始めているからこそ、何度、谷に落ちても、どこを目指して這い上がればいいのかがわかる。

 大貫が崖っぷちに強い理由が、垣間見えた気がした。これほどまでに現時点での課題が見えているということは、つまり、イメージのなかでは理想のフォームがすでにできあがっているのだろうか。

「いやいや、理想のフォームなんて野球が終わるまで体得できるものではないと思うんです。今まで、プロ野球なら岩隈久志さんとか斉藤和巳さん、メジャーリーグではペドロ・マルチネス投手とかのピッチングフォームの動画を見ながら、日々、勉強してきました。こういうところをこうやって動かすとこうなるのか、とか、少しでも理想みたいなものに近づけるよう、勉強しているところです」

 豆苗は貧相な見た目と違って、栄養価が高く、何度でも芽を再生させられるたくましさも兼ね備えている。幼い日から何度となく崖っぷちに立たされて、谷に落とされながら、何度でも山を登ってきた。そして今、ベイスターズの開幕投手を見据える大貫晋一──いやいや、彼が豆苗を脱しなければならない理由など、あろうはずがない。