「オープン球話」連載第52回 第51回を読む>>1987年に入団会見を行なった(左から)関根潤三監督、長嶋一茂、相馬和夫…

「オープン球話」連載第52回 第51回を読む>>

1987年に入団会見を行なった(左から)関根潤三監督、長嶋一茂、相馬和夫球団社長
【杉浦享はすぐに音をあげる男】
――前回までは、ヤクルト時代のチームメイトである大杉勝男さんとの思い出を伺ってきました。今回は、どなたの思い出について伺いましょうか?
八重樫 杉浦(享)はどうかな?
――杉浦さんは1970(昭和45)年ドラフト10位でヤクルトアトムズに入団しています。八重樫さんは1969年ドラフトですから、プロ入りも年齢も、杉浦さんは一年下の後輩ということになりますね。
八重樫 杉浦はひとつ下の後輩ですね。入団当時の彼は、「すぐに音をあげる男」という印象だった。短距離はすごく速かったけど、長距離走が苦手で、すぐに「疲れた」「走れない」と弱音を吐いてばかりいたんですよ(笑)。たとえば、「今日はあそこまでランニングするぞ」と指示をされるでしょ。こっちはつらいのを我慢して黙々と走っているのに、杉浦はすぐに弱々しい声で、「あ~ぁ、もうダメだ......」って言ってばかりだったんだよね。
――杉浦さんは、中学時代は陸上部だったのに(笑)。愛知高校時代は投手だったそうですが、プロ入りした時はもう打者だったんですか?
八重樫 確か、プロ入りの時点ではもう打者転向が決まっていたと思いますよ。入団当初はライトに引っ張る打球は少なかったんだけど、レフト方向に大きい当たりを打てるのが彼の持ち味でしたね。コンタクトが巧みで、ボールをとらえるのがすごくうまいんですよ。いいものを持っていたし、高校時代にお父さんを亡くしたということも聞いていたから、個人的にも応援していたよ。
――この連載では何度も話題に出ていますが、1974年に荒川博監督が誕生すると同時に、八重樫さんも杉浦さんも、「荒川道場」入りするわけですよね。
八重樫 僕もそうだったけど、杉浦の場合も上から命じられて、自分の意思ではなく渋々通っていたという感じだったよね。アイツの場合は、すごく簡単なんですよ。不満がすぐに顔に出る。「納得いっていないんだな」っていうのが、周りから見ていてすぐにわかるんだ(笑)。
――でも、結果的には杉浦さんは荒川道場に通ったことによって、打撃が開眼したんですよね。
八重樫 しましたね。それまでは右方向に打てなかったんだけど、荒川さんの指導を受けて、じっくりと引きつけて、体重移動を上手に利用してライト方向に強い打球を打てるようになった。僕はまったくハマらずに、逆にタイミングの取り方がバラバラになっちゃったけど、杉浦の場合は近くで見ていて、「あぁ、いい打球を打つようになったな」って感心したけどね。でも、本人はそれを認めようとしないんだけど(笑)。
【新人時代の長嶋一茂を叱った杉浦享】
――荒川さんの指導によって、打撃開眼したと認めないんですか?
八重樫 全然認めようとしないんですよ。のちに彼とゴルフに行った時の雑談で「お前は荒川さんの教えがハマったよな」って、何気なく言ったら、血相を変えて「いや、違います。僕は自分でコツをつかんだんです」って答えたんだよね。それで僕もムキになって「全部、自分ひとりの力でやったと考えるなんて思い上がりだぞ」「それまではセンターから左方向しか打てなかったじゃないか」と言ったんですよ。
――それに対して、杉浦さんはどんな反応だったんですか?
八重樫 僕がいくら「感謝するところはきちんと感謝しなきゃダメだろう」って何度言っても、ズーッと認めようとしないんだよね(笑)。
――八重樫さんと杉浦さんの関係は良好だったんですか?
八重樫 良好でしたよ。というか、ひとつ下の彼が遠慮していたんじゃないのかな? 彼は後輩にはどんどん指摘したり、小言を言ったりするタイプだったから、後輩たちには煙たがられていたと思いますよ(笑)。
――以前、杉浦さんから長嶋一茂さんについてのお話を聞いたことがあります。そのエピソードは八重樫さんも絡んでいるんですけど......。
八重樫 一茂が、僕の頭に手を置いたエピソードでしょ? ユマキャンプの時に、新人だった頃の一茂とペアを組んでストレッチをしていたんだけど、アイツ、僕の頭に手を乗せて、「よいしょ」って僕の肩に自分の足を乗せたんですよ。で、それを見ていた杉浦が、「先輩の頭に手を置くなんて何事だ!」って怒ったんです(笑)。
――そうです、その話です。大先輩の頭に手を乗せる新人っていうのも、なかなかすごい話ですよね。
八重樫 そうそう。僕自身は別に腹も立たずに、「コイツはこういうヤツなんだな」って思っただけだったのに、杉浦が怒ったんです。でも、僕の場合は一茂だったけど、最初に同じことをしたのが飯田(哲也)だった。飯田が若松(勉)さんの頭に手を乗せたんだよね(笑)。それが元祖。
【無尽蔵のスタミナを誇った長嶋一茂】
――ヤクルトOBの方にお話を聞いていると、長嶋一茂さんについてのエピソードもたくさん出てきます。八重樫さんにとって一茂さんの印象はどんなものですか?
八重樫 一茂が入団した時の監督が関根(潤三)さんだったでしょ。関根さんは長嶋(茂雄)さんとも仲がよかったから、「一茂を一人前にするぞ」って意気込んでいたのはよくわかりました。でも、僕らは普通の新人として、同じ仲間として接していたけどね。池山(隆寛)が入団してきた1984年ぐらいまでは先輩後輩の上下関係が厳しかったけど、一茂が入団してきた1988年ごろには、そのへんは緩くなっていました。
――新人時代の一茂さんのポテンシャルはどうでしたか?
八重樫 とてつもないポテンシャルを持っていましたよ。体力が違うし、体は頑丈。本気で野球に取り組んでいたら、スーパースターになっていたと思いますよ。だって、一茂は1時間ノックを受けてもまったくバテないんだから。普通の選手ならヘトヘトになるところを、彼の場合は「5時間くらいノック受けても平気なんじゃないかな」と感じるぐらい余裕だったよ。
――そんなに余裕だったんですか?
八重樫 アイツの場合、早く終わりたいから「ハァハァ」と苦しそうな表情はするんだけど、実は内心では笑っているんです。本当は全然余裕があるのに、わざと苦しそうなフリをしているだけ(笑)。きちんと野球を教えてあげて、本人が本気で練習に取り組めば、本当にいい選手になったと思うんだけどね。一茂については、まだまだ話したいことがあるから、ぜひ次回も一茂話を続けてもいい?
――ぜひ、ぜひ! では次回は長嶋一茂さんの続きからお願いします。
八重樫 一茂については、いろいろ話したいことがあるからね(笑)。
(第53回につづく)