フィギュアスケート女子元日本代表の中野友加里さんが、フィギュアスケートを様々な角度からお届けするYouTubeチャンネル「フィギュアスケーター中野友加里チャンネル」。

年明けよりお届けしている、元世界女王・安藤美姫さんとのコラボ動画だが、29日に公開された第5弾では、五輪への思いについて語られた。

そこで明かされた、安藤さんを救い、スケートを続けるきっかけとなった、ある女性の存在とは一体・・・?

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トリノ五輪代表選考当時を振り返って・・・


2006年のトリノ五輪、2010年のバンクーバー五輪と過去2度の五輪出場経験がある安藤さんだが、2度の代表選考は、自身にとって全く違ったものだったという。

「トリノの時は(代表)内定していましたが、全日本選手権で点数が出なくて(6位)、これは代表落ちたなと思っていたんです。もう代表はないと思っていたので、試合が終わって表参道にご飯を食べに行っていました。そうしたら『今どこにいますか?日本代表の発表があるので戻ってきてください』って電話がかかってきたんです。」

と、代表選考時のまさかのエピソードを暴露。

こうして、晴れて五輪切符を手にした安藤さんだが、当時の心境についてこう明かす。

「結局スケートを始めて9年で五輪のチャンスをもらってしまったので、あの当時は日本代表としての自覚とか、国旗を背負っていく責任感とかまだわからなくて・・・。自分ができる4回転を挑戦する姿を世界の人に見てもらいたいというのが夢でした。」

結果、トリノ五輪では4回転サルコウに挑みはしたものの、転倒もあり総合15位という結果に。当時を振り返って安藤さんは、

「あの頃から、メディアへの対応も色々と大変な時期で、スケートも集中できなくて、まあ辞めたかったですよね。スケートが嫌いとか、やりたくないとかではなくて、自分が今まで好きでやっていたスケートがあるがために人生が壊れるんだったら、辞めた方が将来の自分のためになると思い、トリノの時は辞めるために頑張っていました。」

と、スケートを辞めようと思っていたという胸のうちを明かした。

どん底から救った1人の女性、そしてバンクーバー五輪へ

スケートを辞めたい・・・。そう思っていた安藤さんだが、その後も競技を続け、トリノ五輪の翌年には世界選手権で優勝している。競技を続けようと思ったきっかけは何だったのだろうか。

「(トリノが終わって)本当に引退しようと思っていました。終わったあと、誰よりも家族と先生に会いたくて、それだけ会ってすぐ帰ろうと思っていたんですが・・・。そこへ向かう途中に、たまたま現地に1人日本選手団を応援しに来ていたおばさんがいらして、『この世界の舞台で4回転に挑戦してくれてありがとう』って言ってくれたんです。それまでバッシングの嵐で、本当消えたいとすら思っていました。ただ、その方に出会ってから『こうやって思ってくれる人もこの世の中にいるんだ』って初めて思って、1人でもそうやって思ってくれる人がいるんだったら、もう一回スケーターとして、ジャンプの安藤美姫として戻ってきたいと思うようになりました。そのおばさんがいなかったらスケートを辞めていましたね。」

自身をどん底から救ってくれ、スケートを続けるきっかけとなった1人の女性の存在を明かしてくれた安藤さん。

その後もスケートを続け、2010年には、自身2度目となるバンクーバー五輪代表に選出された。

「バンクーバー五輪は、自分の為にも、日本代表として戦っている身としても、絶対に代表入りをしないといけないと思っていました。トリノ五輪では選手としての自覚も足りなかったですし、トリノの時は骨折もしていたので、万全の体調や調整で、五輪で悔しかった思いは、五輪でしか返せないと思っていました。」

さらに動画内では、共に日本代表として戦った中野さんと安藤さんが、それぞれの全日本選手権への思いを語っている。


※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。

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