コービー・ブライアント(元ロサンゼルス・レイカーズ)というNBAの歴史に色濃くその名を刻む稀代の選手が、ヘリコプターの…

 コービー・ブライアント(元ロサンゼルス・レイカーズ)というNBAの歴史に色濃くその名を刻む稀代の選手が、ヘリコプターの墜落事故でこの世を去って1年が経った。



バスケットボール選手として、多くの人に夢を与える活躍をしたコービー・ブライアント

 2020年1月26日。その日、ゴールデンステート・ウォリアーズは練習の前のウォームアップをしているところだった。ほどなくして、ヘッドコーチのスティーブ・カーの耳元に、アシスタントコーチのジャロン・コリンズがささやく。それはコービーの事故についてだった。

 その様子にコート内にいた同軍のスター選手、ステフィン・カリーが気づく。声は聞こえていなかったが、ただならぬことが起きたことは、カーらの表情を見て感じ取っていた。何が起きたかを知ると、あまりに衝撃的な出来事にカリーを含めたチーム全体が凍りついた。

 事故からまもなく1年が迫るなか、マーキュリーニュース紙のディーター・クーテンバック記者の記事がウォリアーズの「あの日」を回顧した。

「あの日のことを一生忘れることはない。現実のこととは思えなかった。今でも辛いし、あの時から1年が経ったという感覚もない」(カリー)

 カリー同様、我々もコービーが空の上の人となってしまったことを、未だに信じられていないところがある。と、同時にそれが事実だということも知っている。13歳の娘、ジアナさんやヘリに乗っていた他の7人とともに命を失ったコービー。41歳という若さがもうこの世にいない彼を、ことさら伝説的なものにする。

 バスケットボールを知る者にとって、彼の選手としてのすごさについて説明はいらないと思うが、コービーは5度にわたってNBA制覇を果たし、07-08年にシーズンMVPを獲得している。レギュラーシーズン通算33643得点は歴代4位に位置付けられている。16年1月には1試合の記録として、歴代2位の81得点をマーク。リーグのオールディフェンシブチームには、計12度選ばれる(うちファーストチーム選出は9度)など、攻守で傑出していた。

 通算25000得点以上、6000リバウンド以上、6000アシスト以上を記録しているのは彼を含めてこれまで4人しかいない。08年北京、12年ロンドンとアメリカ代表が圧倒的な強さで金メダルを獲得した時のメンバーでもあった。
 
 同じくシューティングガードだったスーパースター、マイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズなど)とよく比較され、キャリアも重なっていたことから若い頃は「ジョーダンの二番煎じ」という否定的な見方をされていた。

 しかし、徐々にコービーの名前自体がブランドとして確立されていった。蛇足ながら、ジョーダンの後継者、ジョーダン二世と呼ばれても、その期待に応えられない選手がほとんどだった。同じポジションでジョーダンの後継者たる活躍をしたと言えるのはコービーだけだ。

 身体的に技術的にも超一級だった、というだけではなく、彼の‟マンバメンタリティ"に代表される、「常に最高を目指す飽くなき精神力」は、彼をリーグ史に残る選手に、そしてスポーツ界のアイコンにまで押し上げた。ジョーダンとも恐らく共通するが、すでにリーグの頂点にいながら「さらに上」を目指して妥協をまったくしなかった。それをチームメイトにも求めてしまい、時には軋轢も起こしていたようだが、そうした部分がジョーダンやコービーを、他のスター選手たちが触れることのできない領域へと誘ったと言える。

 コービーが妥協しない姿勢で試合に臨んでいたことを示すエピソードとして、ウォリアーズのドレイモンド・グリーンが紹介している。15年以降、同軍で3度のNBA王座戴冠に貢献したグリーンだが、2012-13年シーズンのレイカーズ戦、プロ1年目だったグリーンは他のルーキーたちがそうするように、試合開始時刻の午後7時半よりも4時間ほど前からコートに出て、身体を慣らしていた。ところが間もなくして、すでにスター中のスターだったコービーがコートに現れたというのだ。グリーンによれば、時計はまだ夕方の4時ぐらいだったという。コービーほどの大御所ならば、準備は本来もっと後の時間帯であるはずだ。

「そこから彼は40分もかけてワークアウトをこなしていった。俺はそれを眺めていて、ウェイトトレーニングとトリートメント(身体のケア)をするのを忘れてしまったほど」

 米NBCスポーツのドルトン・ジョンソン記者の取材にグリーンは、当時を振り返ってこう話している。どれだけ優れた能力があっても常に万全の準備をして臨んでいたことの証左であり、それが大きな故障なく20年もの間、プレーができた理由でもあっただろう。

 オフコートでのスキャンダルはあったものの、基本的にバスケットボールを離れた時のコービーに「やんちゃ」な印象はなかった。が、試合に入ると人が変わったかのように強気で、自分を信じてやまない姿があった。

 同じくウォリアーズのカーは、多くが知るように現役時代、シカゴ・ブルズでジョーダンとチームメイトだった。先述のマーキュリーニュース紙の記事内でカーは、97-98年シーズンのオールスターゲームで、まだNBA2年目の若造だったコービーがジョーダンを質問攻めにした光景をよく覚えていると語っている。

「大胆な男だった、というのがふさわしいだろうね。当時は彼があれほどすごい選手になるなどと思いもしなかったけど、彼自身は、いずれはジョーダンのような存在になるのだと信じていた。当時18歳だよ?(実際は19歳) 普通ならジョーダンとマッチアップしたら恐ろしくて仕方ないはずなのに」(カー)

 現在活躍するNBAの選手たちが影響を受けた名前としてジョーダンではなく、コービーを挙げる者が圧倒的に増えた。日本でいえば渡邊雄太(トロント・ラプターズ)なども同様だ。ロサンゼルスを中心とした米・南カリフォルニア一帯出身のポール・ジョージやカワイ・レナード(ともにロサンゼルス・クリッパーズ)などはコービーを「俺たちの時代のジョーダン」という具合で形容している。

 時が経てば現役選手の憧れに、コービーの名前が挙がらなくなる日は当然やってくる。恐らくそう遠くない未来に。ただしNBAにとっては、あるいはバスケットボールという競技にとっては、空に行ってしまったコービーの記憶は、もっと長い間にわたって語り継がれる名前となった。

※敬称略