世界の野球関係者から、最もリスペクトされた一人と言い切っても過言ではない。メジャーリーグ歴代2位の755本塁打の記録を…
世界の野球関係者から、最もリスペクトされた一人と言い切っても過言ではない。メジャーリーグ歴代2位の755本塁打の記録を残したハンク・アーロンさんが22日(日本時間23日)に死去した。86歳だった。
「静かなる男」と呼ばれた。性格は実直で誠実。1m83、81kgの体躯は、メジャーリーガーの中では目立たない方だ。派手な言動は好まず。所属したチームがブレーブスで、本拠地はミルウォーキーと、後に移転してアトランタという中都市だったため、現役時代に脚光を浴びるのは遅かった。ウィリー・メイズの660本塁打の記録に迫り出した頃から、ようやく注目を集めるようになった。
南部アラバマ州で生まれ、ニグロリーグ(黒人リーグ)を経て1954年にメジャーデビューした。当時の米国には人種差別という大きな壁が立ちはだかっていた。モハメド・アリや、球界の先駆者であるジャッキー・ロビンソンは、そんな差別を反骨心に変えて、大きく声を上げて立ち向かっていった。アーロンさんは違った。不満の言葉は飲み込み、プレーで、バットで自分の存在を示し続けた。
ベーブ・ルースが残した不滅の記録といわれた714本塁打に迫ると、そんな差別主義者から嫌がらせの手紙が届き、脅迫まがいの事態も一度や二度ではなかったという。白人のルースの記録を、黒人のアーロンさんが抜くのは許さない、という白人至上主義者の登場が相次いだ。それでも態度には出さず、ただプレーし、アーチを描き続けた。
プレーヤーとしての特色を挙げるなら、「安定性」という言葉に尽きる。現役23年間全てのシーズンで2桁本塁打を続けた。40本塁打以上は8度。30本塁打以上は15度もある。シーズン最多は1971年の47本塁打。後のステロイド時代に訪れた年間60発、70発という数字とは無縁だった。関係者一同が口をそろえるのは「それだけクリーンな選手だった」ということ。いわゆる筋力増強剤など、禁止薬物とはかけ離れた存在であった何よりの証だというのだ。そこに手を染めてしまった選手のことを、アーロンさんも嫌った。本塁打数で唯一、アーロンさんの上をいく762本塁打したバリー・ボンズは、ステロイド時代のど真ん中を歩んだ選手。未だに「メジャーのホームラン王はハンク・アーロン」と信じる関係者は数多い。
追悼の輪は球界にとどまらず、スポーツ界に、そして全米へと広がっていった。NBAの元スター、マジック・ジョンソンは、アーロンさんがルースの記録を破った日を「自分がどこにいたかまで覚えている」と述懐。「米国の英雄、象徴」と憧れだった存在の死を偲んだ。また就任間もないジョー・バイデン大統領も声明を発表した。
「正義のため恐れず誇りを持ち、模範を示した。人種差別の悪意を止めた。記録を追うだけでなく、より良い人間になることを手助けしてくれた」
折しも米国は、ドナルド・トランプ前大統領が残した分断社会のまっただ中にある。そこに容赦なく新型コロナウイルスの猛威が降り注いでいる。日本社会も対岸の火事ではなく、その後を追っている。こんな時代だからこそ、アーロンさんのような英雄が必要とされていた。レジェンドの死を悲しむと同時に、世界中の人々は改めて自分の胸に問い直す必要があるのかもしれない。
※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。
[文/構成:ココカラネクスト編集部]
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