2区で期待どおりの走りして、今後の活躍が期待される1年生の松山和希(左) 東洋大は、過去に箱根駅伝で優勝4回を含む11大会連続3位以内という安定感を誇りながらも、前回はシード権獲得ギリギリの10位という結果だった。そんな苦い経験を経て、…
2区で期待どおりの走りして、今後の活躍が期待される1年生の松山和希(左)
東洋大は、過去に箱根駅伝で優勝4回を含む11大会連続3位以内という安定感を誇りながらも、前回はシード権獲得ギリギリの10位という結果だった。そんな苦い経験を経て、今大会は総合3位と盛り返した。
その結果をもたらすまでには、酒井俊幸監督の挑戦があった。昨年11月に行なわれた全日本大学駅伝での6位という結果を受けて、箱根駅伝では流れを作るために重要とされる往路の1区、2区、3区には、1、2年生の起用を決めた。
狙いとしては、「来年以降を見据え、経験値に頼らない駅伝をしてみたい」というものだった。
「ここ数年の箱根を振り返ると、相澤晃(旭化成)や西山和弥(4年)など実績のある選手に頼っていたところもあり、経験者を使う傾向が他の選手の成長を止めているのではないかと思いました。だから今回は最初から、西山を往路ではなく、復路のメインに考えて他の選手で往路を組み、一人ひとりが『自分が流れを作らなくてはいけない』という気持ちを持って欲しいということで(配置を)組みました」
10月の記録会では1万mで自己新(28分03秒94)を出していた西山は、11月の全日本7区で区間11位と不本意な走りをしていたが、それは記録会の疲労の影響もあった。その後の練習は順調で、往路の主要区間に使えないわけではなかった。
1区の児玉悠輔(2年)は、3大駅伝初出場となった全日本で1区9位ながら、トップとは18秒差の区間タイ記録で走っていた選手。「日本選手権(12月)の1万mに出場した選手は疲れが抜けていない可能性が高く、その選手を1区で使う大学があったとしてもベストパフォーマンスは難しいので、自分から引っ張ることはないと思っていました」と、酒井監督はスローペースでの展開を予想。その中で児玉は区間9位だったが、先頭とは24秒差と役目を果たす走りをした。
「1区でバラけなければ2区は集団走になる確率が高く、前に選手たちもいるので1年生でも走りやすいところだと思いました。松山和希(1年)は集団で走るのがとてもうまい選手なので、それに十分対応できる。精神的にもドシッと構えられるタイプで、他校のエースがいる中でも怯まない。こういうタイプの選手はエース区間に起用しながら育てていったほうがいいんじゃないかと考えました」
松山は大学にきてから、1万mやハーフマラソンは走っていなかったものの、5000mでは10月に13分48秒80の自己新をマークしている。高校時代も3年生の時に全国高校駅伝の1区を走って区間2位、都道府県対抗駅伝では、5区で区間賞を獲得するなど、ロードには強いタイプだ。
全日本でもエース区間の2区で区間7位の成績を残し、酒井監督は、かつて設楽啓太・悠太を1年から2区と3区に起用したり、服部勇馬を1年で9区、2年からは2区で使っていたように、育成過程を思い描いている。
松山について酒井監督は「終盤の上りは未知数だから、1時間8分を切れば合格点」としていたが、終盤までしっかりと走り、1秒差で日本人1位を逃すも1時間7分15秒で区間4位になった。19秒前に走り出していた3位の東海大には、4秒差の5位でタスキを渡し、しっかりと流れを作った。
「3区の前田義弘(2年)にはもう少し粘ってほしかったな、というところはあります(5位は維持したものの区間8位)。創価大は葛西潤選手(2年)が、後ろから見ていても『うまいな』と思う走りをしていたのが、4区での首位と往路優勝につながったと思います。うちも3区がもう少し粘って4区終了時点で前が見える位置にいれば、往路優勝はあるかなと思っていました。
その4区を吉川洋次(4年)に任せた理由を酒井監督はこう話す。
「4回目の出場で、天気図を見て『今回はここ数年とは違って向かい風が吹くんだろう』という予想もありましたが、向かい風にも強いフォームで、上りも苦にならず後半にも強い。1年の時に4区を走っている安心材料もあり、彼が一番適任だと迷いなく起用しました」
5区には、前回の箱根も5区を走って、区間新で区間賞を獲得していた宮下隼人(3年)を起用した。
「宮下は昨年の経験が非常に大きく、平地でも全日本の8区で区間4位になったように頭一つ抜け出していて、チームを引っ張る存在になってくれていました。『宮下に頼ってはいけない』と(選手たちに)話してはいましたが、彼がいる安心感が往路序盤の若い選手には大きかったと思います。
ただ、5区でも創価大の三上雄太くん(3年)にあそこまで走られたので捕らえられなかったですね。でも、優勝候補の青学大と東海大がつまずいて後ろに行ってくれたのは大きかったと思います」
往路は創価大に1分14秒遅れの2位で、駒澤大には7秒差という総合優勝も見える位置だった。続く6区には、九嶋恵舜(1年)を起用した。
「6区に関して今年は、誰を使っても初めてだったので59分台前半で来てくれればと思っていましたが、40秒くらい悪かったのが計算外でした。そこでつけられた差を7区の西山でカバーしたかったのですが、2区間連続で区間10位以下となってしまいました......。逆に創価大は7区を区間2位で走り、そこで優勝争いは厳しくなったと思いました。西山がうまく詰めてくれれば、8区の野口英希(4年)は調子がよかったので、逆転するならそこかなと思っていたんです」
1年と2年の時は、1区で連続区間賞を獲得していた西山だが、3年からは故障の影響からか、駅伝では結果を出せない走りが続いていた。7区を走った11月の全日本でも4位にいた駒澤大と9秒差の4位でタスキを受けながらも、それを1分13秒差まで広げられてしまう予想外の凡走をした。期待されているとわかっているからこそ力んでしまい、後半に失速してしまったのだ。酒井監督は「精神的なものが大きい」と分析する。
流れが重要な駅伝では、前の区間が悪い走りだと次の区間の選手がそれに影響されてしまうことが多く、それがエースとなれば影響力は大きい。だが、その悪い流れを断ち切ったのが、8区野口の区間2位の走りだった。酒井監督は「そこから9区と10区もしっかり走ってくれたので、価値のある走りだった」と振り返る。
「復路に関しては、前回7区6位の蝦夷森章太(3年)や、前回9区で9位、全日本は5区で区間3位の大澤駿(4年)もいましたが状態がよくなかったので、ともに初出場の4年生の野口と小田太賀(4年)を8区と9区に起用しました。中でも野口は一般入試で入部していて、1年と2年の時も16人のエントリーには入っていましたが、勝負できるところまではいっていない選手でした。
それでも走れなかった時期から、しっかりと区間の攻略方法なども考えていたようで、今回も最後の箱根に出られればいいではなく、自分で区間を攻略していくんだと考えて頼もしい走りをしてくれました。東海大を抜いて3位に上げた遊行寺の手前のポイントは、2年前にうちの鈴木宗孝(当時1年)が区間新で走った東海大の小松陽平選手(当時3年)に抜かれたところです。そこから切り替えてペースを上げていく走りをするのが一番いいと話していたので、そのプランどおりの走りをしてくれました」
9区で区間7位の小田も3年時の1万mは29分57秒15だったが、4年では29分09秒53までタイムを上げてきていた選手。10区で区間9位の清野太雅(2年)も1年時には30分41秒24だった記録を29分03秒59まで上げていた。
「野口も小田も清野も努力型の選手なので、そんな選手たちがいい走りをしてくれたことで、下級生たちも『自分たちもああなりたい』と思ってくれる。そういう面でも来年につながる走りだったと思います」
じっくりと力をつけてきた4年生のふたりの好走は、新4年生の蝦夷森や腰塚遥人、1年時以来走っていない鈴木だけではなく、今回は走れなかった2年生や1年生にも刺激になると酒井監督は言う。
区間賞ゼロの3位ではあるが、新たな出発を意識する東洋大にとっては意味のある順位となった。