日本プロ野球選手会で奮闘中、元ロッテ肘井竜蔵さんがプロ1年目を回想「THE ANSWER」では、「元プロ野球選手」のセカ…

日本プロ野球選手会で奮闘中、元ロッテ肘井竜蔵さんがプロ1年目を回想

「THE ANSWER」では、「元プロ野球選手」のセカンドキャリアに注目し、第二の人生で奮闘する球界OBにスポットライトを当てる「Restart――戦力外通告からの再出発」を連載開始。第1回は2013年の育成ドラフト1位でロッテに入団し、現在は日本プロ野球選手会事務局で活躍する25歳・肘井竜蔵さんに話を聞いたが、インタビューの中で掲載できなかった現役中の秘話を「こぼれ話」としてここで紹介する。

 高卒1年目の2014年2月、シーズン開幕前の沖縄・石垣島キャンプで、肘井さんは初日から自信をへし折られる出来事を経験した。背番号3ケタの育成選手だった当時18歳が立ち直り、19歳での開幕1軍を勝ち取るまでに成長したきっかけを作ったのは、あるコーチからの一言だった。(文=THE ANSWER編集部・宮内 宏哉)

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「すぐに思いつくのは、プロ1年目の春季キャンプの衝撃。『えっ……』という感覚でした」

 現役生活の中で最も印象に残っている出来事は何か、という質問に肘井さんは即答した。兵庫・北条高からロッテに入団し、初めて迎えた石垣島キャンプ初日のことだという。

 1軍の試合に出場できないが、将来を期待された「育成選手」としてプロ入り。背番号122のユニホームをまとい、2軍練習場で将来の主力を目指してスタートを切った2月1日。バッティングマシンや打撃投手を相手にしたフリー打撃で、18歳の希望はいきなり絶望に変わった。

「プロ野球選手の打球の飛距離ですよね。左打ちの僕が引っ張った打球よりも、右打者のG.G.佐藤さんたちが流した打球の方が飛んでいく。その衝撃ですね」

 当時、チームから個人での調整を任せられたベテラン選手は、キャンプ開始直後は2軍練習場で調整をするケースが多く、入団したての若手と並んで打撃練習をすることもあった。

 高校通算46本塁打とパワーには自慢があった肘井さん。左打席から思い切り引っ張ってライト方向へ飛ばした飛距離を、シーズン20本塁打以上を3度マークしているG.G.佐藤氏など実績ある右打者は流し打ちで軽々と越えていった。

「こんな世界でやっていけるのか」

“プロ初日”からくじけそうだった。先行き不安な若者を救ったのは、当時の2軍打撃コーチ・山下徳人氏の言葉だったという。

山下氏に教えられた「打者は打者と対戦しない」

 キャンプ2日目、肘井さんは正直な気持ちを山下氏に打ち明けた。「ヤバいっす、バッティング恥ずかしいです」。山下氏は笑い飛ばし、不安を取り除いてくれたという。

「山下コーチからは『お前が今、あいつらと同じくらい打ってたらドラ1で入ってきてるわ!(笑)』と。G.G.佐藤さんたちと同じくらいの年になったときに、超えていたらいいんだと言われて『あ、そうやな』ってホッとしましたね」

 18歳の育成選手に、即戦力の実力が求められているわけではない。十分理解していたつもりでも、現実を目の当たりにして気づかぬうちに焦ってしまっていた。将来、チームを支える力を時間をかけてつけてくれたらいい――。肘井さんは現在地を見つめながら練習出来るようになった。

「あの言葉に救われましたね。確かに、打者は打者と対戦しないんですよね。相手投手と対戦する。そこを忘れてはいけないなと」

 その後、メキメキと実力をつけた肘井さんは、プロ2年目の15年3月に支配下選手登録を勝ち取ると、同年は19歳で開幕1軍入りを果たした。故障もあり、23歳を迎える前に現役引退を選択したため「フタを開けてみたらG.G.佐藤さんたちの年齢になる前に現役が終わってしまった(笑)」とも話すが、山下氏の言葉で成長できたことは間違いない。

 18歳の自分と同じような不安に駆られる選手もいるだろうと感じている。1軍で今すぐ活躍しなくたっていい。地に足をつけ、将来を見据えて頑張ってほしいと願っている。

■肘井竜蔵(ひじい・りゅうぞう)/日本プロ野球選手会事務局職員

 1995年11月13日、兵庫県出身。北条高では甲子園出場なしも、強肩強打の捕手として通算46本塁打をマーク。13年育成ドラフト1位でロッテに入団。プロ2年目の15年3月に支配下選手登録され、同年の開幕1軍入り。4月2日の日本ハム戦でプロ初安打、初打点をマークした。16年にファームでサイクル安打を達成、17年には1軍で自己最多となる18試合に出場するも、翌18年10月に戦力外通告を受け現役引退。19年1月に日本プロ野球選手会事務局に入局した。現役時代の身長・体重は182センチ、88キロ。右投左打。(THE ANSWER編集部・宮内 宏哉 / Hiroya Miyauchi)