最終カード前に記したブログが話題に、56連敗を経験した玉村直也主務の4年間

 11月1日、秋晴れの神宮球場。ゲームセットの声が響くと、グラウンド上に一人、目元を拭う学ランの男子学生の姿があった。

「ああ、これだけやっても勝てないのかって……。もう後悔ないくらいにやってきたのに結局、『1勝』ができなかった。目に見える形で結果は出なかった。なんというか、悔しいというか…今までに感じたことのないような想いが押し寄せてきました」

 東京六大学リーグの東大野球部で今年度チーフマネージャーを務めた玉村直也主務。この4年生が、野球部のブログで最後のカードに向けて書いた投稿が、熱心な東京六大学ファンの間で話題を呼んだことは、あまり知られていない。

「僕の野球人生」と題し、最後の秋を戦う4年生が自身の半生、想いをつづる毎年恒例のリレーコラム。最終カードの明大戦2日前となる10月29日、第21回に登場したのが、裏方として4年間チームを支えてきた玉村主務だ。公開後、ネット上にはこんな感動の声が上がった。

「胸が熱くなった」「心を揺さぶられた」「涙腺が熱くなった」

 5415文字に及んだ“大作”は学生が記したブログという枠を越え、名文と呼べる秀逸なものだった。描かれていたのは、負け続ける東大野球部で生きる葛藤と、大学野球に青春を捧げた一人の野球部員としての本音だ。

 その文章を紐解きながら、本人の言葉とともに振り返ると、東大野球部という唯一無二の価値が見えてくる。

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「東大野球部はあんなに弱いのにどうして六大学に入ってるの?」

 小学3年生にとっては至極真っ当で、とても純粋な疑問だったと思います。そして同様に、きっと世間の多くの人が抱いている疑問かもしれません。

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 ブログは、こんな書き出しだった。

 野球と出会ったのは小学3年生。早大出身の父に連れられ、秋に東京六大学を初めて観戦した。相手は東大。結果は「10-0くらい」と記憶している。いつもテレビで見ていたプロ野球でこんな大差がつく試合はめったにない。球場にあったパンフレットを見たら、東大は負けてばかりと知った。

「それで、帰りの電車で父に聞いたんです。『東大野球部はあんなに弱いのにどうして六大学に入ってるの?』って。これだけ実力差のある試合を初めて見て、純粋に思って。よくわからなくて、幼心に『こんなところで野球をやっている東大野球部は可哀想だ』と思ったくらいです」

 なぜか、鮮明に覚えているという帰り道の出来事。しかし、そんな同情さえ覚えた野球部に導かれるように、野球人生の針は進んだ。

 中学1年生で野球を始めた。外野手をしていたが「全然、下手くそ」だった。捕手を務めた渋谷教育学園幕張高(千葉)では分析係として背番号13をもらうも、公式戦出場はゼロ。県内有数の進学校だった勉強の方は、学年350人がいて常に300番台。苦手な数学で「6点」を取ったこともある。

 東大を志したのは「クラスによくいる“野球部のアホなヤツ”が東大に受かったら面白いんじゃないか」という動機。1浪して赤門を目指した。

 野球部で同期だったエースが名大に、正捕手が一橋大に現役で受かり、一緒に浪人した一人は京大野球部を目指して受験勉強を励んでいた。そんな彼らの存在に刺激を受け、「楽しいキャンパスライフもいいけど、自分も何かに本気で向き合いたい」と野球部を夢見て、猛勉強で合格を掴んだ。

 東大が弱い。それは小学3年生から知っている。だから、勝てないこと、苦しいことは覚悟はしていた。

「むしろ、それが魅力だと入る前から思っていました。東大野球部で勝つということは、もともと実力差がある中で、それを埋めるために頑張らなければいけないということ。だからこそ、ここでやってみたいと思いました」

 入学当初は選手として戦う道に揺れ、ボート部の見学にも行ったが、一番好きな野球をやらないと後悔すると思った。選手は現実として難しい。だから、高校時代に分析班として選手に「ありがとう」と言われることで覚えた“支え”の魅力から、マネージャーになろうと決意した。

 9歳で見て「可哀想」とまで思った10年後、19歳となって東大野球部の門を叩いた。

1年秋を最後に連敗街道、心ない外野の声に「毎回毎回、ちゃんと本気で悔しい」

 東京六大学のマネージャーという仕事は、大学生にして社会人顔負けの任を負う。

 100人を超える部員を抱え、その多くが寮生活。一緒に生活し、ちょっとした企業と同規模の組織を動かし、数百万単位の運営費を管理し、部を運営する。自分の名刺を持って、野球メーカーからマスコミまで渉外業務の窓口となり、早慶戦になれば3万人を動員するイベントを裏側で支える。

 しかし、下級生で経験したのは下積みの日々だ。入部当初は球場のゴミ捨て、監督・選手の送迎、弁当の手配、ユニホームの洗濯……。「雑用という言葉で片づけてしまえば簡単なようなことばかり。本当に野球に関わっているのかと思うことが多くて」と仕事に身が入らず、ミスも多かった。

 変えてくれたのは、当時の浜田一志監督だった。口酸っぱく言われたのは「愛を持って仕事しなさい」ということ。

「理由は言われなかったですが、自分の中で理解したのは、された相手がどう感じるかということ。そこまで考えて行動しないといけない。一つの資料作りの仕事にしても、どう置いたら、どう文字を書いたら読みやすいかまで考えて本当の仕事と教えられたので、それは大きかったです」

 東京六大学でマネージャーを務める学生の多くは、その役割について「マイナスを埋める仕事」という表現をする。当たり前に練習道具がそろい、当たり前に移動手段が用意され、当たり前に試合に臨むことができる。「自分自身もそれは感じていました」と言う。

「マイナスをゼロにしたところで選手からしたらフラットな状態で、褒められることはない。逆にマイナスを埋め切れなければ、選手に何やっているんだと思われる。相手が求めている以上のことをこなすことが思いやりではないかと実感してから、マネージャーの仕事が楽しくなりました」

 一方、当時の野球部は強かった。入学1年目は、4年生の絶対的エース・宮台康平(現ヤクルト)を擁し、秋にシーズン3勝。法大戦は2連勝で15年ぶりの勝ち点1を獲得し、野球界のビッグニュースとなった。その瞬間は、雑務をこなしていた球場事務室のモニターで目の当たりにした。

「もちろん、嬉しかったのですが、当時の自分は普通に喜んでしまったんです。思ってしまったのは『ここにいられてラッキー』ということ。まだ1年生で自分は何も貢献していないのに、ファンに近いくらいの立場で、当事者意識がないまま喜んでしまったことは間違いだったと思います」

 2017年10月8日。この日が玉村主務にとって、そして東大野球部にとって、葛藤の始まりになった。

 宮台の卒業以降、白星から見放された。0勝10敗、0勝1分10敗、0勝10敗、0勝10敗。4年生になり、気づけば勝利を知っている世代は自分たちだけに。1試合総当たり5試合の春は5戦全敗、2試合総当たり10試合の秋は8試合を終えて1分7敗。通算54連敗で最終カードの明大戦を迎えていた。

 幼い日に思った「東大はあんなに弱いのにどうして六大学に」という言葉が、今度は自分自身にのしかかる。

 世間で「東大生」はエリートの象徴であり、何かとそのバイアスがかかって見られる。しかも、体育会で最も華やかな東京六大学でプレーする野球部はなおさらだ。実際、「あれだけ負けてどんな気持ちなのか」「勉強の片手間だから、別に悔しくないんだろ」と心ない声に触れたこともある。

 しかし、文字にしてしまえば「通算54連敗」だけのことだが、期間にして3年間、同じ1日24時間を過ごし、その明晰な頭脳を野球に傾け、練習に明け暮れる。才能というハンデを乗り越えるために悩み苦しみ、生きている。その事実は、時間を共有している部員同士が一番理解していた。

「この秋の立大戦で土砂降りの雨で戦って1-1で引き分けた後、寮に帰ってきたら選手たちがグラウンドに出てきて。フル出場した主将の笠原(健吾)はティー打撃を始めたんです。風邪引くんじゃないかって心配したんですが、そういう姿を見ると『本当に野球が好きなんだな』って」

 マネージャーも想いは一緒だ。試合後、マネージャーは学ランを着用で整列する決まりがある。ただ、ゲームセットを聞いてからでは間に合わない。ただ、9回になっても勝利を信じている。上着に手をかけるのは、負けに備える行為と等しかった。だから、いつもそのタイミングに迷った。

 ごはんを食べている時も、風呂に入っている時も、ふと思った。「ああ、勝ちたいなあ」と。負けて悔しくない試合など、1つもなかった。

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 毎回毎回、ちゃんと本気で悔しいです。負け慣れてなんていないです。とにかく勝ちたい。ただひたすらにそう思います。この気持ちをあえて表現するのであれば、罪を犯してでも、人を殺めてでも勝ちたい。実際にそんなことはあり得ないですが、それでもこんな表現をしないと書き表せないぐらいの感情です。

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 こう記した言葉が、覚悟を決めて東大野球部に生きる者としての本音だった。

東大が六大学で戦う理由は「自分たちのため」とブログに記した真意

「弱い東大が東京六大学にいる意味はあるのか」

 この問いがネットニュースなどで話題になるたび、大半は実力差にまつわる指摘が占める。しかし、実は当事者としてそれ以上に悔しい意見が一つあるという。「『弱いから要らない』と言われることは結果を出せない自分が悪い。悔しいけど、自分たちの責任。でも……」と言葉をつなぐ。

「文化的、歴史的な理由を挙げて、東大は六大学に必要だと言われることが一番悔しいんです。『弱いから』と言われるのは純粋に野球の評価として見てくれている。ある意味、平等に扱われていると感じますが、それは違うんじゃないかって」

 だから「東大野球部が六大学野球に在籍している理由」として、こう記した。

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 六大学野球の伝統であったり、歴史的な意義であったり、学問的な役割であったり、高尚な理由が謳われます。でもどれも自分にとっては的外れな気がするのです。僕がこの4年間の大学野球人生で、自分なりに導き出した答えは、自分たちのため。それ以上でもそれ以下でもないと思います。他の誰でもない自分たち東大野球部員自身のために、東大野球部は六大学野球という過酷な舞台で闘っているのです。でもそれには結果を出すしかありません。他大学相手に勝利して、勝ち点を取って、順位争いをして、優勝して、そうしてやっと認めてもらう以外に道はないのです。

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 東大が戦う理由は「自分たちのため」。記した想いに、こう付け加える。

「支えてくれる人のために頑張ることは素敵だし、力になります。ただ、東大野球部はみんな優しくて良いヤツ。9回に逆転負けした春の慶大戦のように『誰かのために』の想いが強すぎて緊張し、普段と違う自分が出てしまう。『誰かのために』が足かせのようになっていました。あのブログを書くかは迷いました。ただ、自分たちをアピールできる最後の場であり、同期に向けて書いた文章でもあるので、その想いが届いてくれればと……」

 本気で勝利を目指す仲間へ本気のエール。ブログは「これだけやり切ったからこそ、僕は最後に何が何でも結果を残したい。みんなのこの努力を、負けたときの慰めや逃げ道なんかにしたくない。だから最終カード、絶対に勝とう。他でもない自分たちのために」と締めくくったが、しかし――。

 待っていたのは冷酷な現実だった。明大1回戦は投手陣が序盤から打ち込まれ、3-9で完敗。そして、運命の2回戦も1-4で敗れた。残ったのは46季連続最下位とともに、56連敗という事実。ハッピーエンドは待っていなかった。そして、試合後は泣いた。選手よりも泣いた。

 ただ、負けたから東京六大学で戦うことの魅力を感じたことも事実だ。

 最終カードまでの2週間、夢を見ることが多かった。夢の中では勝ったり負けたりだったが、それほど最終カードにすべてをかけていた。試合後は号泣し、夜は夜で部員同士で涙ながらに寮で酒を酌み交わし、翌朝起きると「ああ、昨日までのことはもう夢じゃないんだ」と実感した。

「これが映画ならきっと勝てると思うんです。それでも、現実は勝てない。東京六大学は本当に厳しい場所だと思いました。ただ、それは力差があっても他の5校が本気でぶつかってきてくれるから。トーナメントなら2、3番手を投げさせれば勝てるかもしれない。でも、1回戦はエース、2回戦は2番手を当ててくれる。しかも、これだけレベルの高いリーグでうれしいし、光栄なこと。それは、東京六大学以外ではきっとないことだと思います」

 勝てなかったから、この4年間が無駄だったかというと決して、そんなことはない。下級生時代は学習塾のアルバイトを掛け持ちし、3年生からは部活を終えた午後6時から寮近くの中華料理屋で時給1020円で週3日働いた。勉強・部活を両立させながら。

「高校生の頃はあまり自分に自信がなかったんです。何か、漠然としたコンプレックスがあって。でも、マネージャーという立場をやらせていただき、本気で勝ちたいと思って4年間を過ごしてきました。勝てなかったことはある意味で無意味かもしれませんが、今はちょっとのことじゃ動じないくらいの心を身につけられました。何より東大の選手、マネージャー、六大学のマネージャー、良い仲間と巡り会えて本当に良かったと思います」

 下級生時代、新入生向けのリーフレットでOBの喜入友浩(現TBSアナウンサー)に原稿を依頼した。そこに、書かれた一文が忘れられない。「人生の礎になる学生生活の集大成を東大野球部で送ってみませんか。私は生まれ変わっても、ここで野球をしたいと心から思っています」とあった。

 玉村主務は「僕も今、生まれ変わっても東大野球部に入りたいと思っています。そして、またマネージャーをやりたいです」と笑う。

「苦しいことがいっぱいあったし、最後勝てなかった事実が一番苦しかったです。でも、すべてを考えると、すごく良い仲間とすごく良い環境で野球ができた。どこの世界を探しても、こんな良い場所はないと思っているくらいなので、また東大野球部に入りたいと思います」

 それだけの魅力が、東大野球部にはある。そして、付け加えた。「もし、次にマネージャーをやるなら、今度こそは勝ちたいです」と。(神原英彰 / Hideaki Kanbara)