『羽生結弦は未来を創る〜絶対王者との対話』 第Ⅳ部 芸術性へのこだわり(5) 数々の快挙を達成し、男子フィギュアスケートを牽引する羽生結弦。常に挑戦を続ける桁外れの精神力と自らの理想を果敢に追い求める情熱を持つアスリートの進化の歩みを振り返…

『羽生結弦は未来を創る〜絶対王者との対話』 
第Ⅳ部 芸術性へのこだわり(5) 

数々の快挙を達成し、男子フィギュアスケートを牽引する羽生結弦。常に挑戦を続ける桁外れの精神力と自らの理想を果敢に追い求める情熱を持つアスリートの進化の歩みを振り返る。世界の好敵手との歴史に残る戦いや王者が切り拓いていく未来を、長年密着取材を続けるベテランジャーナリストが探っていく。



2016年スケートカナダで『ノッテ・ステラータ(ザ・スワン)』を演じる羽生結弦

 2016ー17シーズン、羽生結弦は新たなエキシビションプログラムを手にした。16年3月の世界選手権後、会場のあるアメリカ・ボストンで、フィギュアスケート界の重鎮タチアナ・タラソワ氏(ロシア)から「ぜひ滑ってほしい曲がある」と声を掛けられ、イタリア人歌手のイル・ヴォーロが歌う『ノッテ・ステラータ(ザ・スワン)』をプレゼントされたのだ。この曲は、サン・サーンスの『白鳥』に、イタリア語の歌詞がついたラブソングだ。羽生はこのプログラムについてこう話していた。

「それまでもチャイコフスキーの『白鳥の湖』をアレンジした『ホワイト・レジェンド』を演じていました。(「白鳥」でつながる)また違った印象の曲ですが、ある意味、共通のテーマがある。

 ホワイト・レジェンドは東日本大震災があった(11ー12)シーズンにやっていて、僕自身がスケートを続けるきっかけになった曲。それと同様のテーマのプログラムというのが非常に感慨深いというか、自分の胸の中から湧き上がってくるものがありました。

 今回振り付けをしてもらった時にこの曲を聞いて、イタリア語の歌詞のすごく雄大な歌の中にもしっとりとした『間』があって、すごくマッチして完成していると感じました。そこに自分は入っていけるかな、という気はちょっとしたけれど、震災後のシーズンから少しでも成長している姿を見せられるかな、と。あの時は黒紫の衣装の暗いイメージで、『飛び立つぞ!』というところまでを演じるプログラムだった。過去を拾い集めて、拾い集めてといったプログラムでしたが、今回は明るいイメージで全部を優しく包んで、しっかり前へ進んでいくようなイメージでやっています」



2016ー17シーズン、羽生は自身の表現力を一層高めた

 タラソワ氏から声をかけられた際は、「すごくビックリした」と話す羽生だが、すべてを包み込むスワンの雄大さを感じさせるプログラムだからこそ、自分の思いをしっかり乗せられると思ったという。

 ジャンプは、羽生の振り付けを担当するデヴィッド・ウィルソンも気に入っている大きく跳ぶシングルアクセルと、トリプルアクセルの2本。練習でもよく跳んでいるものだった。

「一つひとつの要素がとてもつながるプログラムだと思うので、ジャンプは技術的なものではなく、曲の抑揚などをしっかり表現できる一部にしたいと思っています」

 羽生はこのエキシビションプログラムをシーズン2戦目のスケートカナダで披露した。ショートプログラム(SP)はアップテンポのポップな『レッツ・ゴー・クレイジー』、フリーは自然を表現するゆるやかな『ホープ&レガシー』、そして、エキシビションは『ノッテ・ステラータ(ザ・スワン)』。世界観の異なる3つのプログラムを演じることで、自身の表現の世界を広げたいとの気持ちの表われだった。

 このシーズン、「観客とコネクトする」と口にしていた羽生は、11月のNHK杯で300点超えを果たして優勝した際にこう話していた。

「プログラムで300点を超えられたというより、やっとプログラム自体を楽しむ余裕が出てきて、お客さんとも少しずつコネクトできるようになってきました。崩れ落ちる形になってしまった前戦のスケートカナダとは違った感覚で滑ることができました。(会場が)日本だったからこそ、(観客とコネクトすることができた)ということもあるのかもしれないけれど、お客さんのほうへ目を向けたり、アピールしたりできたし、呼吸も一緒にできたと思う。観客席のない(練習拠点のカナダの)クリケットクラブで滑るのとはちょっと違って、難しい挑戦ですが、今までのスケート人生の中でも、少し成長できたなと思うシーズンでした」

 特にSPの『レッツ・ゴー・クレイジー』は、原曲を歌うプリンスのステージのようなライブ感を出そうとしていた。観客との空気間の醸成。それはアイスショーにもつながるものだ。

 一方、『ホープ&レガシー』は、17年の世界選手権で歴代世界最高得点を出すノーミスの演技で完成させた。そして、『レッツ・ゴー・クレイジー』はこの試合ではノーミスの演技はできなかったが、シーズン最終戦の世界国別対抗のエキシビションで、自身で納得のいくステップシークエンスを滑ることができたという。それは試合で演じるプログラムの中では、体力の配分もあってこれまでなかなか攻めきれなかった部分だ。

 NHK杯のSP後に羽生はこう述べていた。

「前シーズンのショートと違ってすごくテンポも速くて、スケーティングを魅せるのではなく、表現力が試されるプログラム。僕自身の武器のひとつに『荒さ』があるので、それを活かせるように、どんどん磨いていきたい」

 荒々しいまでの勢いを終盤のステップで表現し、同時に冷静さも持ちながら演じ切ること。それが『レッツ・ゴー・クレイジー』の完成形だったのだろう。 

【profile】 
羽生結弦 はにゅう・ゆづる 
1994年12月7日、宮城県仙台市生まれ。全日本空輸(ANA)所属。幼少期よりスケートを始める。2010年世界ジュニア選手権男子シングルで優勝。13〜16年のGPファイナルで4連覇。14年ソチ五輪、18年平昌五輪で、連続金メダル獲得の偉業を達成。2020年には四大陸選手権で優勝し、ジュニアとシニアの主要国際大会を完全制覇する「スーパースラム」を男子で初めて達成した。 

折山淑美 おりやま・としみ 
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。92年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、これまでに夏季・冬季合わせて14回の大会をリポートした。フィギュアスケート取材は94年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追っている。