サッカー名将列伝第26回 イビチャ・オシム革新的な戦術や魅力的なサッカー、無類の勝負強さで、見る者を熱くさせてきた、サッ…

サッカー名将列伝
第26回 イビチャ・オシム

革新的な戦術や魅力的なサッカー、無類の勝負強さで、見る者を熱くさせてきた、サッカー界の名将の仕事を紹介する。今回はジェフユナイテッド市原や日本代表を率いたイビチャ・オシム監督。考えて走るサッカーが見る者を熱くさせた。今回は改めてそのサッカーの戦術的特徴を振り返る。

 せめてふたり、できればそれ以上の相手をつり出してから縦へ入れたほうが受けた味方は楽になる。自陣で数的優位3人なら、敵陣は3人の不利なのだ。単純に算数の問題なのだが、それができない選手は実際にいる。

 オシム監督のトレーニングは「頭が疲れる」とよく言われたが、算数に慣れていない、あるいは意識していないから疲れたのだと思う。局面の算数がわかれば、全体もわかる。オシム式のトレーニングは「数」を明確に意識させるものが多かった。そこからリスクを割り出し、リスクを冒すか止めるかの判断をしていく。

 本能的にプレーする選手も好きだったようだが、オシム監督の指導は基本的に理詰めであり、ボールに集中しがちな選手にゲームのやり方を覚えさせるものだった。

<リスクを計算して冒す>

 初めてインタビューした際、最初の質問に20分間も回答された時は面食らったものだ。アジアカップのあとに話を聞いた時も、やはり最初に20分ぐらい一方的に話されてしまった。聞きたいことが聞けるのはそのあとで、オシム監督が話し疲れてからだった。

 ただ、最初の長い回答で、聞きたいことの答えはおおむね含まれていた。もう、こちらの質問などわかっているようだった。こちらの手の内は見透かされていたが、オシム監督の心の内は読みにくかった。言葉どおりには受け取れないのだ。というより、2つ3つの可能性を示唆するので、どれが本音なのか判別しにくかった。

 07年のアジアカップの前も、「エクストラキッカーはひとりかふたり」とさんざん言っておいて、大会が始まってみれば3人並べていた。中村俊輔、中村憲剛、遠藤保仁。

「3人呼んだ時点で、ふたりをベンチに置くつもりはなかった」

 あとでそう話していたが、大会前はリスクばかりを強調していたものだ。

 まさにリスクを冒したわけだが、4位に終わって批判も多かったアジアカップの日本代表をオシム監督は気に入っていたように見えた。

 ただ、そのあとはまた違ったチームづくりをしたと思う。日本はアジアのトップクラスだが、ワールドカップでは中位以下だからだ。

 むしろその状況こそ、オシム監督の得意とするところである。実現しなかったのは残念だが、きっと強豪国にひと泡吹かせるようなチームをつくっていただろう。

イビチャ・オシム
Ivica Osim/1941年5月6日生まれ。旧ユーゴスラビア(現ボスニア・ヘルツェゴビナ)のサラエボ出身。選手時代はFWで、ユーゴスラビア代表として1964年東京五輪でプレーしたことがある。78年にジェリェズニチャルから指導をスタートし、ユーゴスラビア代表やパルチザン・ベオグラード、パナシナイコス(ギリシャ)、シュトルム・グラーツの監督を歴任。03年からジェフユナイテッド市原の監督に就任。06年夏から07年まで、日本代表監督を務めた。