コロナによる落ち着かない空気が漂い続けるなか、高校野球界では来春の選抜大会の開催へ向けた動きが一歩一歩進んでいる。12月11日には21世紀枠の候補校が地区推薦の9校に絞られ、年が明けた1月29日、一般選考と合わせて21世紀枠の3校も決定する。

 すでに北海道を除く都府県で21世紀枠に推薦された46校の顔ぶれを眺めてみると、改めて大阪の秋を沸かせた山田高校に目が留まる。"私学絶対優位"の大阪の地で、公立ながら秋の府大会では甲子園出場経験を持つ私学4校を倒し、3位決定戦では前年夏の日本一、あの履正社を破る大金星。直後のツイッターでは「山田高校」「大阪の公立」などの関連ワードがトレンド入りするなど、瞬く間に山田の名が全国を駆けめぐり、26年ぶりの近畿大会出場も果たした。



サッカー部と隣り合わせで練習する山田高校のグラウンド(写真=共同通信)

 全員が近隣の小、中学校の出身で、一般受験で普通に集まった子供たちが見せた快進撃。このニュースには、地元の野球関係者も大いに盛り上がっている。長年、山田高校の地元である吹田市山田で野球小僧たちの育成に力を注いできた棚原安子(たなはら やすこ)さんもその一人だ。

 棚原さんは、夫の長一さんと学童野球チーム「山田西リトルウルフ」を立ち上げて50年。子供からも父兄からも「おばちゃん」の呼び名で親しまれ、80歳となった今もグラウンドで気合いのこもった声を飛ばしながら、ノックを打つ。子供たちへの指導経験をもとに書いた本『親がやったら、あかん!』(集英社)を出版し、子育ての達人としてメディアに取り上げられることも多い。

 そんな"奇跡の80歳"も地元校が起こした秋の奇跡を喜んでいる。

「大阪は何と言っても高校の数が多いうえ、大阪桐蔭、履正社をトップに私学が絶対的に強い。そのなかで、ホントに快挙も快挙ですよ。ウルフ出身の子も4人、頑張ってくれていますけど、山田高校は地元の子供たちが集まったチームなので、ウチだけじゃなく地域の少年野球の指導者たちもみんな喜んでいます。

 実は履正社の多田晃コーチもウチの卒業生で、3位決定戦で敗れた夜、家を訪ねてきて、『おばちゃん、山田にやられました......』と。どっちにもOBがいて複雑なところもありましたけど、履正社にはまた次に頑張ってもらって......」

 ウルフ誕生が1972年で、山田高校の創立が84年。吹田市周辺にもたくさんの子供が溢れていた時代だった。

「このあたりにも軒並みマンションが建って、地元の子供たちが行けるところを......というなかで新しくできたのが山田高校でした。以来、ウルフの卒業生たちも、学校にも野球部にもたくさんお世話になってきました」


80歳の今もノックを打ちまくる

「おばちゃん=棚原さん」(写真=石津昌嗣)

  今では少年野球の世界で全国トップレベルの部員数を誇るウルフ。チームを卒業したあとの子供たちは、地元中学の野球部や硬式のクラブチームで野球を続ける者もいれば、ウルフで野球を終える者もいる。硬式のクラブチームから地方の高校へ進み、甲子園に出場した卒業生も10名以上おり、彼らの成長に触れることも大きな楽しみだが、それでも地元中の地元、山田高校の活躍にはまた特別な意義があると、おばちゃんは続けた。

「小学校から近所でやってきた何でもない子供たちが、強豪に勝って甲子園出場の可能性まである。これは周りの公立高校の子供たちにも、ものすごく大きな希望を与えたと思うし、『俺たちも結束して戦えばやれる』と意欲を持てる出来事だったと思います。私たちも指導するなかで子供たちのパワーにはいつも驚かされますけど、今回の山田高校の活躍にも子供たちの持つ可能性の大きさを改めて感じさせてもらいました」

 吹田市は大阪でも学童野球が盛んな地域として知られるが、山田高校の近隣にある万博記念公園にはガンバ大阪のスタジアムがあり、Jリーグ発足以降はサッカー熱も高まった。それでも、一時はサッカー人気に押されていた少年野球の勢いが近年は持ち直してきているという。

 なかでもウルフが人気を集める秘密は、家庭教育を兼ねた細やかな指導にある。チームでは挨拶、礼儀はもちろん、電話のかけ方、箸の持ち方、洗濯、お茶の沸かし方なども子供たちにしっかり教え、活動費のために新聞紙の回収などの労働にも取り組む。

 おばちゃんが「プロ野球選手をつくりたいわけではない。社会で働ける人間になることが一番」と語る通り、自分のことは自分でする教育を徹底。こうした指導が親たちにも口コミで評判となり、部員数は常に3ケタだ。

「朝の支度から洗濯、グラブ磨きまで親が全部やるような生活をしていると、考え方も行動も依頼心の強い子供がどんどんできあがってしまう。大人からのお仕着せじゃなく、自発的に考えて動く子供が増えることが大事。そういう発想を持てば野球の練習でも自分で考えてやるようになるので、試合の中でも自分から動けるようになる。何より社会に出た時に働ける人間になるよう、創意工夫、発想力、行動力を持った人間が増えてほしいと思って、いつもやっています」

 おばちゃんは、そう力を込める。

 そんな想いが、教え子を通じて山田高校にも伝わっているのかもしれない。山田高校の秋のトップバッターでウルフ出身の田村健吾が言う。

「ウルフの頃はまだ言われるままやっていた感じもあったんですけど、中学や高校に上がった時、自分では当たり前に思ってやってきたことをできてない人がいるな、と結構思いました。挨拶が普通にできてないとか、先生に敬語を使えないとか。でも、それではこの先困ると思うし、自分のことを自分でやることも野球をするなかでプラスになってきたと感じています」

 実は、山田高校もチーム指導の柱として「自主自立」をテーマに掲げている。金子恭平監督の発案で、現チームのスタートを機会にこれまでのトップダウン方式から、選手の声を拾い上げるボトムアップ方式に変更。選手からの自発的な意見や行動を求め、チームでは生活面とグラウンド上の仕事の両面で部員数の数だけ「係」をつくり、各自に責任を負わせるようにもした。

 まさに"おばちゃんの教え"にも通じるところで、子供たち一人ひとりの力を引き上げるヒントがこのあたりにあるのだろう。

 先にも触れた通り、山田高校野球部の2年生18人は全員が近隣の中学出身だが、なかでも田村は自宅から小学校まで徒歩3分、中学まで約10分。高校までも自転車で10分というのだから、まさに地元っ子の代表格。山田中時代には大阪で優勝した経験を持ち、山田高校のメンバーの中では勝つ味を知る数少ない選手でもある。ただ、高校進学を前に当初は「近所に住んでいたのに山田高校のことも野球部のこともほとんど知らなくて、私学へ行くことも考えていた」という。

 ところが、田村が中3の秋に山田が大阪大会3回戦で履正社を8回までリードする試合があり、これをたまたま観戦。ここで心が動いた。

「近所にこんな学校の野球部があるんや、と正直ビックリして。なら、野球もできそうだし、勉強もそこそこやれそうなんで、わざわざ遠いところへ行って高いお金を使わんでもいいな、となったんです」

 そして、山田進学を決断した結果、「今、こんなことになりました(笑)」。

 おばちゃんも「こんなこと」のさらなる続きを楽しみにしている。

「今回の山田高校の活躍で、この流れに乗って『よし、地元にとどまって公立で頑張ろう』という志を持った中学生が増えてほしいですね。それにしても、ホントにこんなことが起こるとは......。大きな希望を与えてくれて、感謝、感謝です」

 果たしてこのあと、大阪の"普通の公立高校"の"普通の野球部"に、さらに大きなスポットライトが当たる展開が待っているのか──。山田の地で50年、子供たちの野球を支え続けてきたおばちゃんも、その成り行きを見守っている。