ピッチ内外で知る吉田宏記者が振り返る「五郎丸という男」 12月9日、ヤマハ発動機ジュビロがFB五郎丸歩の来季限りでの引退を発表した。早大、ヤマハ発動機、そして何より日本代表での2015年ワールドカップ(W杯)での活躍で、一躍お茶の間のヒーロ…

ピッチ内外で知る吉田宏記者が振り返る「五郎丸という男」

 12月9日、ヤマハ発動機ジュビロがFB五郎丸歩の来季限りでの引退を発表した。早大、ヤマハ発動機、そして何より日本代表での2015年ワールドカップ(W杯)での活躍で、一躍お茶の間のヒーローとなったラグビー界のアイコン。高校時代から、その姿をピッチ内外で見てきたベテラン記者が、五郎丸のトッププレーヤーへの成長の足跡と、その素顔を振り返る。

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 2008年からヤマハ発動機でプレーして12シーズン、そして入団前の早大での活躍、何より2015年W杯イングランド大会での活躍で、ラグビーに多くの人たちを惹き付けた。34歳。まだ引退は早いという思いもあるが、2015年からの様々な挑戦で、自分の引き際を考えての判断だろう。

 いつも呼ぶように、ゴローちゃんと書かせてもらうが、一言贈る言葉があるとしたら、有体だが「お疲れさま」だろう。最初に、「五郎丸」という不思議な名前の選手に出会ったのは、おそらくゴローちゃんが佐賀工高2年で出場した花園だった。

 当時すでに兄弟で「超高校級」という触れ込みだったのだが、その大会で観たゴローちゃんは、恵まれた長身には驚かされた一方で、プレーはまだまだひ弱い印象だった。

 ゴローちゃんの成長を大きく後押ししたのは、当時、早大を率いていた清宮克幸さんだろう。おそらくゴローくらいの選手なら、どの大学でも1年からチャンスを掴んでいただろうが、清宮監督の下でフィールディング、アタックでの力強さ、そして苦手なタックルも、厳しい注文をつけられたことでトップクラスで戦える戦力に成長したのは間違いない。

 もちろん、代表も含めてその最大の武器は、ロングキックだった。

 キャラクターをとしては、いわゆる“ツンデレ”。一方でまだ学生時代は、すぐに調子に乗ってしまうタイプだったように思う。

 ある日、上井草の早稲田グラウンドに行くと、随分とさっぱりした髪型のゴローちゃんを発見したのだが、どうやら“夜のクラブ活動”での大目玉だったと聞いた。個人的にはこういう学生らしい狼藉は嫌いじゃないので、微笑ましく感じた一方で、この程度なら、早大のレギュラーでちやほやされても、国際レベルでは難しいなと感じていた。

五郎丸の成長を感じた2つの出来事

 サイズも含めた恵まれた才能と、まだまだ残る幼さを感じたゴローちゃんだが、成長したなと感じたことが2度あった。1つは、おそらく2011年のことだった。

 ヤマハ発動機本社は10年のラグビー部強化縮小から、ようやく再強化へと舵を切ったシーズンだったが、ゴローちゃん自身も1シーズン前に大きな決断を下してプレーしていた。強化縮小に伴い、チームはプロ選手との契約更新を行わない方針を決定。有望なプロ選手が他チームに流出する中で、ゴローちゃんは契約をプロから社員に替えてチーム残留を選んだ。

 この決定は、当時監督に就任した恩師・清宮さんへの恩義も大きかったのだが、社員としてプレーをしていたゴローちゃんと、試合後に話すと、こんなことを話してくれた。

「同じ職場の人たちが、わざわざ試合を応援しに来てくれているんです。せっかくの土日なのにね。もちろんプロとしてプレーしていても、そういう社員の方がたくさんいるのは知っていました。でも、スタンドで同じ職場の人の顔を見ると、本当にありがたく、嬉しいですね。早稲田時代も本当に多くのファンの方に応援して頂いた。でも、いつも近くで顔を合わせている人たちがスタンドに来てくれているのは力になるし、いいもんですね」

 おそらく「人気」という面では、早大時代には及ばないヤマハでのプレーだったが、ゴローちゃんが応援してくれる人たちにありがたさを感じることができたのは、物事の見方、考え方を知るための視野を大きく広げることになったはずだ。

 もう1つの成長を感じたのは2014年から15年にかけての代表合宿のことだった。

 宮崎でのうんざりするようなハードワークの連日。我々の取材場所だったグラウンドからホテルまでの回廊のような通路で、ゴローちゃんの口からは、今の状態で本当にジャパンはいいのか、エディー(ジョーンズ・ヘッドコーチ)の主張ばかりでいいのかという、彼なりの思いや危機感を何度も聴いた。多くはいわばオフレコでの話なので、ここでは書かないが、その言葉からは、“夜のクラブ活動”で大目玉を食らった悪ガキから成長した、20代後半の経験値を持ったベテランプレーヤーとしての洞察力と、組織のあるべき形についての思いにあふれていた。

 2015年からの狂騒については、もうお馴染みだろう。お茶の間のアイドルと化したゴローちゃんについて、書きたいものはあまりない。

 しかし、このコロナ禍で、社会もラグビーも止まってしまうという現実の中で思い出されるのは、ゴローちゃんが口酸っぱく話していた「日本でラグビーを文化にしたい」という言葉だ。

 これについては、過去にも指摘してきたことだが、W杯日本大会が日本のラグビー界にもたらした数多の恩恵は明らかな一方で、ラグビーがどこまで日本の大地に文化として根付いているかを、ゴローちゃんの言葉はいつも考えさせる。

五郎丸人気に見るラグビー界から人気者を作る方法とは?

 新秩父宮ラグビー場を人工芝にするなどと考えている限り、まさにラグビー文化という苗が根付くことはないと思うのは、悲観的すぎるのだろうか?

 あのゴローフィーバーの中で、連日、目も眩むほどのメディアに囲まれたゴローちゃんは、たまに気の利いたコメントをしながらも、その大半は、いつもそっけない質疑応答を続けていた。その一方で、顔が知れた数人のメディアだけと接したときには、軽口や辛辣なジョークを織り交ぜた、以前と変わらない話ぶりと表情だったのが印象に残る。

 ヤマハのスタッフによると、やはりメディアとはいえ、見ず知らずの“多数”の中では、どうしても口をつぐみがちだというのだ。このようゴローちゃんの振る舞いから感じるのは、あれだけスター扱いされ、もてはやされる中で、心にもないリップサービスが苦手な不器用なラグビー少年の姿だ。この実直さを忘れなければ、ゴローちゃんは、どこにいっても心配ないはずだ。

 余談だが、2015年のW杯からのゴローちゃん人気を見て、ラグビー界から人気者を作る作法も学ばせてもらった。

 当時のラグビー(五郎丸)人気を支えた大多数は、イングランドでの戦いぶりをテレビで観戦した人たちだ。つまりテレビ画面の映像に惹きつけられたのだ。野球のように、静止画像のような投手と打者の姿を見慣れている人たちにとって、常に動き続け、画面の右端から左端へ駆け抜けていく選手が写されるラグビー中継は、選手の姿、表情、仕草をじっくり観察することは難しい。

 その中で、嫌というほど画面に映し出されたのが、ゴローちゃんだったのだ。他にアップで映される可能性があるのは、トライした選手か、せいぜいノックオンして気まずい顔をしたPRあたりだ。そのノックオンの多くはパスする側のミスでもあるのだが……。そして、このような選手の場合でも、キッカーほどじっくりと静止画像風の表情が放映されることはない。

 その、視聴者がじっくりと見つめることが出来る選手が、長身でイケンメン、7割ほどのキックが得点(成功)になり、一度聞いたら忘れない名前であれば、もう文句のないスターになれるのだ。

 日本協会は、これから日本代表のキッカーには、長身イケメン、珍しい名前の選手を探せばよい。

 大分余談が過ぎたが、まだ1シーズンはゴローちゃんはプレーをし続けるので、観戦が可能であれば、ファンの皆さんには是非スタンドで応援をしていただきたい。

 そして、ヤマハ発動機、桜のジャージーの選手たちは、彼の言葉を引き継いで欲しい。この極東の島国に、ラグビーを文化として根付かせることができるかは、あなたたちなしには不可能なことだ。もちろん、ゴローちゃん自身も、引退後は新たなポストで、ラグビーを応援してくれるはずだが、ピッチに立ち、戦う人たちが、最も訴える力を持つのは、どの競技でも不変の鉄則だ。(吉田 宏 / Hiroshi Yoshida)

吉田 宏

 サンケイスポーツ紙で1995年からラグビー担当となり、担当記者1人の時代も含めて20年以上に渡り365日欠かさずラグビー情報を掲載し続けた。W杯は1999、2003、07、11、15年と5大会連続で取材。1996年アトランタ五輪でのサッカー日本代表のブラジル撃破と2015年ラグビーW杯の南アフリカ戦勝利という、歴史に残る番狂わせ2試合を現場記者として取材。2019年4月から、フリーランスのラグビーライターとして取材を続けている。長い担当記者として培った人脈や情報網を生かし、向井昭吾、ジョン・カーワン、エディー・ジョーンズら歴代の日本代表指導者人事などをスクープ。