日本選手権Vの田中希実、レース直後に垣間見せたプライドとは 初めての五輪出場を決めた直後、確かなプライドを覗かせた。4日に大阪・ヤンマースタジアム長居で行われた陸上長距離種目の日本選手権。女子5000メートルで田中希実(豊田自動織機TC)が…

日本選手権Vの田中希実、レース直後に垣間見せたプライドとは

 初めての五輪出場を決めた直後、確かなプライドを覗かせた。4日に大阪・ヤンマースタジアム長居で行われた陸上長距離種目の日本選手権。女子5000メートルで田中希実(豊田自動織機TC)が15分05秒65で初優勝を飾り、東京五輪代表に内定した。今季は複数種目で日本記録を更新した21歳。部活にも、実業団にも所属していない異色のランナーには“一人のプライド”があった。

「いろいろなことがあったけど、一人で練習を耐え凌いでやってきた」

 20歳の廣中璃梨佳(日本郵政グループ)と1秒46差の激戦を制した直後の会見。歓喜の実感がわくよりも先に、過去の努力に胸を張った。

 兵庫・西脇工高卒業後、実業団の陸上部に入ることなく同志社大スポーツ健康科学部に進学した。しかし、大学でも陸上部には所属していない。教えを乞うのは元実業団選手の父・健智さんだ。母・千洋さんも北海道マラソンで2度の優勝を誇る市民ランナー。陸上一家で育ち、親子で壁を乗り越えてきた。

 多くの強豪校からオファーがあった中で選んだ父との二人三脚。指導の目は自分に集中する。逃げ場はない分、より徹底した指導を受けられた。恒例の合宿地は標高約1800メートルの岐阜側の御嶽山。高地トレーニングで肺を、心臓をパンパンに追い込んだ。ただ、父に課された練習メニューが常に完璧というわけではない。

「私はいろんな種目に取り組んでいる分、中距離と長距離を融合させたような練習に取り組んでいます。リカバリー、本数、距離を調整しながらレベルを高めている。私もコーチも手探りの部分がたくさんある。ハマる練習もあったけど、こなせなかった練習も中にはあった」

 結果を出せば称えられ、そうでなければ手段を否定されるアスリートの世界。選んだ道を正解にする戦いでもあった。孤独な時もあるが、走り続けられたのも孤独のおかげ。「自分に対するプライド、責任感があったから(厳しい練習を)耐え抜くことができたのかなと思います」。精神的にも成長した。

 自問自答を繰り返しながら走り続けてきた。大学3年生。同世代は就職活動を始めるくらいの年齢で、少し達観した見方をしている。日本選手権から一夜明け、五輪内定者による会見でこんな心境を明かした。

「私は昨日のレースまでいろいろ考えて、恐怖と不安と苦しみが長く続いていました。走り終わって勝ったとわかっても、苦しみが長く続きすぎたせいからか、それが終わったということがわからない。むしろ、その苦しみは一緒に走ったどの選手も葛藤していたものですし、勝ってもまた次の戦いがある。次もそういった選手と自分自身の葛藤にいかに向き合っていくかを考えると、まだ手放しで喜べない。今回も自分の弱さと戦いながらのレースになりました」

プライドの裏にある思い「一人でやってきた自信と反対ですが…」

 苦しいのは自分だけではない。だから、今大会最大のライバルだった廣中に対しても「本当に力のある選手だと尊敬している」と敬意を払うことができる。そして、足を止めない限り「苦しみ」を抱える次の戦いがやってくる。

「だからこそ、次からも責任を持って頑張りたい。またしんどい思いをするかもしれないけど、それは(五輪出場の)権利を得られたからこそ感じられるしんどさ。その中で楽しさや喜びを見いだせるような強さを身につけたい。そこで勝った実感と責任は増していくのかなと思います」

 どこかの団体に所属することを否定する気はない。本格的に陸上を始めた中学、高校と部活で走りを磨いた。チームで動き、切磋琢磨する大切さも知っている。「一人でやってきた」という自負はあるが、今回の優勝で一人では走り抜けなかったこともしっかりと自覚した。

「一人でやってきたという自信と反対かもしれませんが、多くの人に支えてもらっていることも感じています。地元の関西で多くの人に応援してもらった。一人でやってきたというプライドはあったけど、そこの部分(厳しい練習)は感謝の気持ちがあったからこそ走れたと思います」

 激走したレース後、多くの人から「泣いた」とメッセージが届いた。「苦しみ抜いて結果を出すことも必要だけど、苦しいで終わるだけではなく、しっかりそこで笑顔になって結果を出して人の心を動かせれば」。まだまだ成長過程の21歳。“一人のプライド”を芯に持ちながら、人の心を揺さぶる走りに磨きをかける。(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)