サッカー界の至宝ディエゴ・アルマンド・マラドーナが、現地時間11月25日正午(日本時間26日午前0時)ごろ、60歳と26日の若さで人生の幕を閉じた。 10月30日には元気で還暦を迎えたものの、11月になるとひとりで歩けないなどの体調不良を…

 サッカー界の至宝ディエゴ・アルマンド・マラドーナが、現地時間11月25日正午(日本時間26日午前0時)ごろ、60歳と26日の若さで人生の幕を閉じた。

 10月30日には元気で還暦を迎えたものの、11月になるとひとりで歩けないなどの体調不良を訴え、ブエノスアイレス州の州都であるラプラタの病院に入院。そこでの検査で脳に硬膜下血腫が見つかり手術を受けた。

 担当医のレオポルド・ルーケによると、「60歳を過ぎた人には珍しいことではなく、手術も一般的なものだ」とのことで、無事に手術は成功した。しかし肥満とアルコール依存症が問題視され、11日に退院すると、これらの治療と術後の療養のため郊外のティグレに借りた家で看護師、心理カウンセラーらと暮らしていた。

 25日の朝もいつものように起き、朝食後に日課の軽い散歩をしてからベッドで静養していた。だが、薬の時間になったので看護師が起こしに行き、異変に気付く。ただちに救急車を要請すると、なんと9台もが到着したが、すでに手遅れだった。死因は急性心不全によるものされているが、それを引き起こした要因を調べるため、家族の許可を得て解剖を行なうという。



南アフリカW杯ではアルゼンチン代表を率いたディエゴ・マラドーナ

 もともとマラドーナには心疾患の前科がある。2004年には心臓が止まりかけて生死の境をさまよった。このときはコカインなどの薬物と肥満が原因とされた。その後は胃の切開という外科的処置で食欲を抑え減量に成功したが、それは一時的なもので、再び体重は戻ってしまった。

 薬物を完全に断ち切れたかどうかは不明だ。ただ、酒量が増加していたのは明らか。近年はクラブで暴れたり、航空機内での行為により空港警察に身柄を拘束されたりとスキャンダルがあり、そのたびに「あれは酒だけじゃない。クスリもやっている」との憶測が流れていた。

 セリエAのナポリ在籍時はコカイン使用で逮捕されたことがあり、1994年のW杯アメリカ大会はドーピング違反で追放。これほどクスリ漬けでダーティーなイメージのあるマラドーナだが、アルゼンチン国民からの人気は我々日本人の想像を絶するものがある。

 それは彼の代名詞でもある、1986年W杯メキシコ大会準々決勝イングランド戦での、ヘディングのふりをして手でシュートを決めた"神の手"と、ハーフライン手前からドリブルで次々と相手をかわして得点した"5人抜き"によるものだ。

 メキシコ大会から遡ること4年、アルゼンチンはかねてより領有権を主張していたフォークランド(マルビナス)諸島に海軍を送り武力で占拠した。この島はアルゼンチンのすぐ近くだが、国際的に認められたイギリス領土。時のアルゼンチン政府は鬱積する国民の不満を外に向けるべく、禁じ手を打ったのだ。

 アルゼンチン政府は、たとえ占拠しても、イギリスはこれほど遠方まで軍は派遣せず、外交交渉で収まると踏んでいた。しかし当時のイギリス首相、マーガレット・サッチャーは躊躇なく派兵を決断。こうして両国は軍事衝突することになったのだが、旧装備のアルゼンチン軍に対しイギリス軍は近代兵器を豊富に保持していた。軍事力の差は明らかで、アルゼンチンは惨敗を喫した。

 その屈辱が醒めやらぬ86年、マラドーナが"神の手"という秘密兵器と"5人抜き"という実力差でイングランドを破り、そのまま優勝へと導いた。これほどアルゼンチン国民を熱狂させることがあるだろうか。

 逆にいえば、神の手と5人抜きをドイツやスペイン相手に行なっていたら、マラドーナはここまで国民の支持を得られなかっただろう。憎きイギリス(この場合はイングランド)に痛快な復讐を果たしたことで、サッカーファン以外からも称賛される比類なきヒーローとなったのだ。彼を崇拝する熱狂的ファンは実際にマラドーナ教なるものをつくり、多くの信者も存在している。

 これほどのスーパースターの急逝は、アルゼンチン全土に大きなショックを与えている。

 ブエノスアイレスのシンボル塔であるオベリスコや主だった建物は、彼への哀悼と偉業を称えるため、空色と白にライトアップされた。また、彼の背番号10番に合わせ、25日午後10時には、在籍したボカ・ジュニオルズ、出身クラブのアルヘンティノス、代表で試合をしたリーベルプレートのスタジアムなどでナイター照明を点灯。SNSでは午後10時にマラドーナへ感謝の拍手を送ろうと呼びかけ、その時間になると街中やマンションのバルコニーから一斉に拍手が沸き起こり、なかなか鳴りやまなかった。

 アルゼンチンでも新型コロナは猛威を振るっており、感染者は累計140万人近くとなり、死者も約3万8000人に上る。ただ、これから夏を迎えるアルゼンチンは気温の上昇とともに感染者数が減ってきている。11月9日には8カ月近くに及んだロックダウンは解除されたが、それでも不要不急の外出は自粛するよう要請されている。

 そのような状況下で、アルベルト・フェルナンデス大統領は、「ディエゴにふさわしいお別れをしなければならない」と、誰でも参列できる葬儀をカサロサーダと呼ばれる大統領府で行なうことを発表した。86年W杯優勝時には、ここのバルコニーにマラドーナが立ち、建物前の広場に詰めかけた大観衆に優勝カップを掲げたものだ。大統領は「お別れをしたいすべての国民が参列できるようにしたい」と語っている。