フィギュアスケート女子元日本代表の中野友加里さん。
中野さんと聞いて、誰しもが思い浮かべるであろうものといえば、「ドーナツスピン」だろう。
そんな自らの「代名詞」について、フィギュアスケートを様々な角度からお届けするYouTubeチャンネル「フィギュアスケーター中野友加里チャンネル」内で、出会ったきっかけや、習得までのエピソードなどについて語った。
私も鳥になりたい!と思って・・・
今や自身の代名詞となったドーナツスピンだが、その出会いについて、中野さんはこう語る。
「私がドーナツスピンをやり始めたのは、おそらく小学校3、4年生だったと思いますが、初めて見たのは、1994年のリレハンメル五輪でした。当時優勝した、ウクライナのオクサナ・バイウル選手が五輪や世界選手権で滑っていた「白鳥の湖」のドーナツスピンが本当に美しくて、もう鳥にしか見えなかったんですよね。
その時に、『私も鳥になれる!』『鳥になりたい!』って子供ながらに思いました。
当時はまだ、ドーナツスピンという名前が分からなかったので、あの鳥みたいなスピンをやってみたいと思ったのがきっかけです。
それから練習に向かう車内でビデオを何度も見て、スピンを何度も見返し、どういう風に回っているのかを子供ながらに研究しました。」
と語る中野さん。
そのドーナツスピンについて、人形を用い、実際の形に合わせて解説をした。
「ドーナツスピンは、上から見た時に丸に見えるから、ドーナツスピンと言います。
やり方としては、
①右手で左足を持って、丸を作る
②体を横にする
③左手は上
右手と左足が輪になっていることで、ドーナツぽく見えるんです。
この人形でも上手くできないほど、私も含め非常に苦しい形で回っていたんじゃないかなって思います。
実際、私も回っている最中は息が止まっていましたし、風もすごいので、目を瞑ってやっていました。」
地上にいる鳥にはなれたかな
「鳥になりたい」。その思いからドーナツスピンの練習に励んだという中野さん。
そこから自らの代名詞となるまでには、恩師・佐藤信夫コーチからのこんな言葉があったという。
「ある時、佐藤信夫コーチから、『あなたはスピンが得意だから、そのスピンを生かして、もっと早く回れるようになれるといいね』と言われました。
その一言で、『私って、ジャンプではなくてスピンが得意だったんだ』ということに気がつき、佐藤コーチから『エッジの乗り位置だけでも速く回れる部分が変わってくるから、それを自分で見つけなさい』とアドバイスをもらいました。
そこから毎日、一般滑走の時間はスピンだけに費やして練習を重ねた結果、世界で披露した時に、凄く高い評価をいただきましたね。
佐藤コーチが私のスピンの魅力を引き出してくれたんじゃないかなと思うほど、本当に感謝しています。」
と、恩師に感謝の言葉も述べた中野さん。
「その後も改良に改良を重ねて、なるべく速く回れるような形、エッジの乗り位置、そして回転速度の維持の仕方というのを見つけていきました。
回転速度の維持ですが、コンパクトにまとめないと、速く回れないので、出来る限り背中を反る練習をして、コンパクトになるように足と手を引きつけるような形を作るうちに、速く回れることに気がつきました。」
そんな中野さん、最終的に「鳥」になれたのだろうか。
「鳥になれたか分からないんですが・・・。アイスショーの時って、暗転して、自分だけにスポットが当たるんです。そこでスピンをしている時、影が出来るんですが、その影が回っている時にフラミンゴに見えたようで、皆に『フラミンゴが回っている』と言われました。なので、飛べる鳥ではなくても、地上にいる鳥にはなれたのかなと思います・・・。」
スピンの練習は裏切らない
フィギュアスケートといえば、やはりジャンプに注目が集まりがちだが、中野さんはスピンの重要性について、このように語る。
「プログラム全体を見た時に、ジャンプはもちろん迫力がありますが、スピンが速いことによって、プログラム全体の出来栄えや締まる感じがあるんですよね。スピンをしっかり練習することで裏切ることはないので、点数にしっかり反映される。なので、私はドーナツスピンは構成の中で、1番最後の見せ場として持ってくることが多かったです。そうすることで、最後盛り上がりますし、沢山の人から拍手をもらえたので凄く嬉しかったですし、練習する上での原動力になったと思います。」
さらに動画では、採点方式が変わった中での、ドーナツスピンの「過去と現在」、さらには羽生結弦選手のドーナツスピンについても語っている。
※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。