大久保秀昭は2001年に近鉄バファローズ(現・オリックスバファローズ)を引退後、2005年オフにプロ入り前に所属していた社会人の新日本石油ENEOS(現・ENEOS)の監督に就任。都市対抗で3度の優勝を飾った。2015年には母校・慶応大の…

 大久保秀昭は2001年に近鉄バファローズ(現・オリックスバファローズ)を引退後、2005年オフにプロ入り前に所属していた社会人の新日本石油ENEOS(現・ENEOS)の監督に就任。都市対抗で3度の優勝を飾った。2015年には母校・慶応大の監督に就き、5年間で春・秋合わせて3度のリーグ戦制覇を成し遂げ、2019年秋の明治神宮大会では日本一も経験した。そして昨年12月、5年ぶりに社会人野球に復帰し、ENEOSを率いることになった。アマ球界屈指の"優勝請負人"となった大久保氏に、勝つために必要なものは何なのか。また選手育成についても語ってもらった。



昨年12月にENEOSの監督に就任した大久保秀昭氏

── 大学と社会人。同じアマチュアではありますが、戦い方、臨み方には違いがありますか?

「まったく違います。目の前の試合をいかに勝つかということは同じですが、あえて違いがあるとすれば精神状態ですね。大学は春、秋のリーグ戦がありますが、勝ち点制で連敗さえしなければいい。もちろん、捨てゲームなどないのですが、負けを覚悟して戦うことができます。

 一方、社会人の大きな大会は都市対抗と日本選手権になりますが、その予選は数試合で、なおかつトーナメント制です。つまり4、5試合のために1年間を費やしているわけです。なので、いざ試合となると、恐怖感というか、独特の精神状態になります。それを意識し、理解したうえでいかに戦い、勝つか」

── 育成という面でも違いはありますか。

「あります。大学生は4年間という限られた時間のなかで伸ばさなければいけない。社会人の場合は1年目から勝負で、年ごとに選別されながら30人前後の集団をつくっていくことになる。自ずと鍛え方も変わってきます」

── そんななか、社会人でも大学でも実績を残されているのはすごいことです。

「いやいや、実際は口で言うほど楽ではなくて......大変なことばかりです(笑)。ただ、2008年の都市対抗で田澤純一を擁して13年ぶりにチームを優勝に導けた時に、勝つことに必要なものというのがなんとなく見えたんです。自分の場合、現役の時は2回優勝していて、オリンピック(1996年アトランタ大会)にも出させてもらって、勝つチームのイメージはありましたが、指導者になってその手応えみたいものがつかめました」

── 具体的に言うと?

「まず田澤のような選手がいる時でないと、優勝のチャンスって簡単に訪れません。いかに頭抜けた選手を軸にまとまっていくか。田澤ひとりでは優勝できませんからね。そのことを本人もほかのメンバーもしっかり自覚させることが大事です。

 一方で、頭抜けた選手がいなかったら勝てないではダメで、いなくてもチーム力を高めるにはどうすべきかを考える。たとえば、都市対抗で地区予選、本戦で5試合戦うとすると、エースで1、2試合は勝てるけど、先発完投できる2番手が必要になる。とはいえ、これがなかなか難しい。そこで1イニングやワンポイントといった投手が絶対必要になってきます。そうした投手たちをうまく使いながら5試合を戦っていかなければいけません。これは僕の持論というよりは、社会人チームに浸透した考え方ですけどね」

── ENEOSの場合は、歴史も伝統もあり「強いチームをつくって頑張りました」では済まされないわけですよね。そのためには、まず優勝を念頭に置き、逆算して勝てるチームづくりをしなくてはいけないと?

「まさに逆算です。常にそこ(優勝)を求められますからね。結論からいえば、一気に強いチームができるわけではなく、まずは僕という監督を理解してもらって、そこから選手たちに成長してもらうというか。たとえば、今季のシーズン始めのミーティングでは、こうしたことを選手に伝えたんです」

 以下が、大久保監督が選手たちに伝えたことだ。

・個人の目標を明確にする。そしてチームの目標とのWゴール
・価値観、倫理観の共有
・共通の目標、目的意識
・5試合、2週間を戦うための体力、気力
・短期間での最大出力、集中力を発揮する

 そのうえで、こうした具体的なことも語られた。

・軸になる投手、野手の必要性。中継ぎ、抑えのスペシャリストの確立
・代打、代走、守備固め要員の重要性
・ベストナインを3人輩出するには?

── 価値観、倫理観の共有というのは興味深いです。

「これは慶応の監督時代から言ってきたことです。今ならENEOSってどういうチームでなければならないのか。全力疾走? 隙がない野球? それも重要だけど、アマチュア球界で見本となるチームでありたいと。中学生や高校生が見ても、学びたいと思ってくれるようなチームでありたい。それは試合のみならず、日々の練習態度や私生活にもあるんだと。それに相手に対してのリスペクトはもちろん、野球というのにどれだけ向き合っているかといったことも含めてです」

── ベストナインを3人出すというのも、すごく具体的です。実際、優勝するなら3人くらい大活躍しなきゃいけないと?

「そうした3人が出てくるためには、それぞれ技術的な課題を大会までに克服する必要があり、それが何かを問わなければならない」

── 昨今、アマチュアでも意識改革やメンタル面の強化は盛んと聞きますが、技術的な部分で何が足りないのかを一人ひとり問うていくのは珍しいのではないですか。

「どうでしょうね。よそのチームのことは詳しくわかりませんが、同じことを慶応の時からやっていて、そこには手応えを感じています。ただ厄介なのは、頭で理解させてもなかなか身につかない。要は時間がかかる。少なくとも僕の考えを理解してもらうには、最低でも1年はかかります。

 ENEOSには昨年のオフに就任したのですが、当初は時間のなさに絶望的になりました。それが今年、コロナの影響で練習はほとんど自粛になり、時間は有り余るほどあった。自粛期間に選手とミーティングの時間が増えたことで、僕の考えを少しは理解してくれたと思います。それがなければ、間違いなく間に合わなかったと思います」

── 大久保監督の理想の監督像とは?

「慶応時代の恩師である前田(祐吉)監督はもちろんですが、揺るがないものがありつつも、新しいものも積極的に取り入れていく柔軟性を併せ持つということでしょうか。試合に臨むにあたっては、基本、選手に任せて自分は何もしないというのが理想です。自分の考えを理解してもらい、それを選手たちが実践できるようになっていてほしい。もちろん、プロの監督からも影響というか吸収させてもらっています。たとえば巨人の原(辰徳)監督の『チームが停滞している時に、監督はどう動くべきか』......というのはほんと勉強になります」

── プロでの経験はご自身の指導に影響を与えていますか。

「もちろんです。僕は故障もあって、5年でユニフォームを脱ぎましたが、一流プレーヤーたちと関われたことは大きかった。アマチュアでどんなにいい選手といっても、プロとなればレベルが違う。

 僕は引退後に2年間コーチ、球団広報の仕事も2年やったのですが、この経験も大きかったです。一軍の広報はシーズンを通してチームに帯同していたので、プロの監督の戦術、戦略といったものを身近で見ることができた。これは監督としてチームづくりをするだけでなく、野球人としても大きかったですね」

── もし、プロに行っていなかったとしたら?

「プロに行かず、アマチュアの世界しか知らなかったら、これだけ優勝もできていなかったと思いますし、たいしたチームづくりも方針もできていなかったでしょうね。万が一、勝てたとしても、天狗になっていたかも......。それにケガをして試合に出られない人の痛みもわからなかったでしょうね。プロとしてさしたる結果は残せませんでしたが、あの世界でやれたことは監督としてすごくプラスになっていると思います」