ブンデスリーガ初の日本人選手奥寺康彦インタビュー 前編ヨーロッパに在籍する選手だけで日本代表が組めるほど、現在は多くの日…

ブンデスリーガ初の日本人選手
奥寺康彦インタビュー 前編

ヨーロッパに在籍する選手だけで日本代表が組めるほど、現在は多くの日本人選手が海外でプレーする時代になった。では、日本人で初めて、ヨーロッパのトップクラブでプレーした選手として、1970年代後半から80年代に、ブンデスリーガに9シーズン在籍した奥寺康彦氏の活躍を知っているだろうか。今回は当時の移籍の経緯や、ドイツでのプレー、生活などを詳細に語ってもらった。

――練習参加した時はあれだけパスをくれたのに、来てみたら違ったと。

「そうなんですよ。いいタイミングで走ってもパスをくれなくて、そういうのは何回もありました。でも、それはしょうがなかった。今思えばやっぱりアピールが大事だったんだけど、それが僕はちょっと下手だった。弱気だったかなと思いますね」

――移籍の後押しの要因にもなったバイスバイラーさんは、どんな監督でしたか?

「まず実績がすごい監督です。ケルンの前のボルシアMGは今でこそ大きなクラブだけど、当時は小さな町のクラブでした。そこでリーグやポカールを何度も優勝して、UEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)でも優勝したわけですからね。選手の選び方に固定観念がない人でしたね」

※ヘネス・バイスバイラー...1960年代から70年代に若い才能あふれる選手を見出し、ボルシアMGをドイツ屈指の強豪に育てた名将。バルセロナでも監督を務め、その後ケルンでも国内タイトルを獲得した。

――固定観念がないというのは?

「ボルシアMGにアラン・シモンセンという選手がいたんですよ。デンマーク人で金髪の170cmもない小さな選手で。当時のブンデスリーガでは、こんな小さな選手は飛ばされてケガするような感じにしか見えないんですよね」

――今でも、ドイツで170cmもないのはかなり小さな選手ですよね。

「でもバイスバイラー監督は、そんな選手を呼んで起用したんです。そこでシモンセンはすごく成長して、4シーズン目くらいにチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)で準優勝して、バロンドールを獲ったんですね。

 そうやって見出された名選手がいっぱいいるんですよ。だから彼の選手を見る眼は、本当に特別な才能でしたね。僕の獲得もまさにそう。普通のクラブであれば『日本人なんていらない』と言われますから」

――実際にそういった声もあったのでしょうか?

「彼はあるインタビューで『どうして日本人なんだ?』と聞かれた時に『サッカー選手に国は関係ない 』と、そう答えていましたね。あの時代に、そういった偏見や固定観念のない眼で選手の才能を見出すのは、やはり特別な監督でしたね。だからこそケルンでも、リーグ優勝ができたんだと思います」

<プライベートとサッカーを切り離した穏やかな生活>

――ケルンでの暮らしはどうでしたか?

「最初に家とかを準備するのに、向こうに住んでいる日本人の方にいろいろと面倒を見てもらいました。僕が先に来て家族が来るまでに1カ月くらいあったんですけど、そこは大変でしたね。でも家族が来てからは精神的にも安らげる時間ができて、安定したと思います」



現在は横浜FCの会長を務める奥寺氏(写真提供/YOKOHAMA FC)

――生活で困ったことなどはありませんでしたか?

「なかったですね。買い物だって近所のスーパーに行けばなんでもあるし、いろいろな手続きだってクラブの人が助けてくれましたから。あと、ケルンのプロ選手であるというのは、その街に住むにあたって大きかった。近所の人は優しいし、役所の人も気を遣ってくれましたね。おそらく一般の人であればもっと大変だったと思います」

――言葉のほうは大丈夫でした?

「毎朝と練習後に、ドイツ語の学校で特訓をしました。自分の気持ちをちゃんと伝えられるようなるまでに1年以上かかりましたね。でも言葉は本当に不安ななかで移籍しましたけど、向こうに飛び込んで必死になれば、なんとかなるもんですよ」

――生活するなかで、なにか印象に残っていることはありますか?

「自宅の前の、通りを挟んだ向かい側の家に、週に1度、おじいちゃんやおばあちゃんたちが集まるんですよ。ある日、遠目に僕が見ていたら、『こっちへ来い』と呼ばれて。

 向こうは僕が誰だかわかっているので、そこでお茶に招待してくれたんですね。家族で行って、おじいちゃんたちとケーキとお茶をよくご馳走になっていました。そうやって一般の方の友人もできたのは、向こうで暮らす上で大きかったですね」

――チームメイトとの付き合いはあったんですか?

「それが向こうの選手たちは、プライベートとサッカーとはきっちりと切り離していて、練習が終わったあとに集まることは、年に数回しかなかったんです。あとはもう個々を大事にしていました。家族と過ごしたり、近所の人たちとお茶したり。

 穏やかな生活だったので、リラックスできましたね。そうやってプライベートと仕事を切り離してドライな感じもありつつ、ちゃんと個人を尊重してくれるドイツの生活はよかったですよ」

(後編につづく)

奥寺康彦
おくでら・やすひこ/1952年3月12日生まれ。秋田県出身。古河電工(現・ジェフユナイテッド千葉)や日本代表でも活躍したのち、77年にドイツ・ブンデスリーガのケルンへ移籍。その後ヘルタ・ベルリン、ブレーメンでもプレーし、9シーズンで通算234試合出場26得点を記録。得点は14年に岡崎慎司に、出場記録は17年に長谷部誠に抜かれるまで、日本人の最多記録だった。古河電工復帰後、88年に引退。その後ジェフユナイテッド市原や横浜FCのGM、監督を務め、現在は横浜FCの会長兼スポーツダイレクターを務める。