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【サイモン・クーパーのフットボール・オンライン】
アーセン・ベンゲルに聞く(2)
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アーセナルの監督に就任したベンゲルは、まるで未来からの使者のように、イングランドの旧態依然としたフットボール界に降臨した。彼はヨーロッパのフットボールを形づくった偉大な「思想家」のひとりになった。ベーラ・グットマン、ヨハン・クライフ、アリゴ・サッキ、そして後にはジョゼップ・グアルディオラやユルゲン・クロップに連なる系譜に名を刻んだ。
ベンゲルは栄養学を理解し、当時すでに選手を評価するために統計を使っていた。しかも、外国の移籍市場に精通していた。イタリアのトップクラブでベンチに追いやられていたパトリック・ビエラやティエリ・アンリを救い出し、ニコラ・アネルカやセスク・ファブレガスを10代のうちに発掘した。

1997-98シーズン、アーセナルで2冠を達成したアーセン・ベンゲルphoto by Reuters/AFLO
ベンゲルは成人したフットボール選手をうまくするという、まれな才能を持っていた。彼はこう説明する。
「個々の選手の基本的な質を高めなくてはいけない。私たちは誰ひとりとして全能ではない。しかし卓越したクオリティーがひとつあれば、それによって金を稼ぎ、生きていける」
ベンゲルは選手の得意な部分を見つけると、その点を伸ばすために何年もかけて手を差し伸べた。いつもうまくいくわけではなかった。アーセナルのトップチームで何度チャンスを与えても、ものにできなかった選手もいる。
偉大な成功例の代表は、若き日のアンリだ。彼は、才能は感じられたが、何かが足りないウインガーだった。
ベンゲルはアンリに「きみはストライカーだ」と言った。「監督、僕はゴールを決めることはできません」と、アンリは言った。後に彼は、アーセナルでのシーズン最多得点を記録した。
ベンゲルはディフェンダーだったフランス人のエマニュエル・プティを、ワールドカップ優勝チームのミッドフィールダーとなる選手に育てた。酒好きなイギリス人の選手たちには、食事を変えれば30代に入っても十分にプレーできるし、自分では思いもしなかったようなスタイルを持った選手になれると説得した。
「トップレベルのフットボールで試合をつくり、勝利をもたらすのは、あくまで選手だ。私たち監督は、実は自分の手柄ではないことで称賛されている場合が多い」と、ベンゲルは言う。
ベンゲルはフットボール選手が偉大になるかどうかは、23歳でわかると考えている。その年齢になれば「本当に超一流になる選手と、そうでない選手の差は明らかだ」と、彼は言う。
「超一流になる選手は他の選手にないものを持っているし、モチベーションも一貫して高い。そのレベルの選手は、金にもあまり影響されない。できるかぎり上へ行きたいというモチベーションを持っているから。ただし、そういう選手は多くはない」
超一流の選手たちが自分を律することができるなら、監督はどれだけ彼らにモチベーションを与えられるのだろう。監督の仕事は「過大評価されている」と、ベンゲルは言う。
「毎週土曜日に最高のパフォーマンスができるよう選手たちを導けるなら、もちろん簡単だ。もし選手のモチベーションが上がらないなら、放っておくしかない。時間の無駄だ。監督は選手をやる気にさせるためにいるわけではない。どの国でも高いレベルにある選手は、自分で動機づけができる」
ベンゲルの考える監督の仕事は、選手自身を「本質的な問題」に向き合わせる「パフォーマンス・カルチャー」をつくり上げることだ。「どうしたら、もっとうまくなれるのか? 自分は可能性を出し切っているのか? 上へ行くために何ができるのか?」と選手が考えるように背中を押してやることだという。
監督の人となりは、選手にとってどれだけ重要なのだろう。
「選手は誰でも、自分が得たいものを監督が持っていてほしいと思う」と、ベンゲルは言う。「たとえばコミュニケーション能力、時には技術面、あるいは戦術面の場合もあるだろう」
ベンゲルはロンドンに22年間住んだが、自分は「アーセナルに住んでいた」ように感じるという。「休みを取りたいとか、遊びたいとか、そういう気持ちはまったく起こらなかった。本当に」と、彼は自伝に書いている。
ベンゲルは朝5時半に起き、日中は練習場で過ごし、夜は郊外のつつましい自宅で世界中のフットボールの試合をテレビで見まくった。1997年にひとり娘のレアが生まれた時も、「仕事にかまけていて、子どもを授かることが非常に大きな幸福だと気づいていなかったと思う」と、ベンゲルは言う。「今は後悔もある」と言うが、フットボールを二の次にしたことは一度もなかった。
ベンゲルはアーセナルを率いて、就任からの8シーズンで3度のリーグ優勝を果たした。そのうち2度は、FAカップ優勝との「ダブル」だった。
2003-04シーズンにアーセナルは無敗でリーグ優勝を果たし、「インビンシブルズ(無敵の集団)」の名を勝ち得た。アーセナルは当時のイングランドで最高とも言える攻撃的フットボールを展開していた。この年のベンゲルは、フットボール界でもっとも尊敬される監督だったろう。しかし彼がリーグタイトルを手にするのは、この年が最後となった。
自伝の中でベンゲルは「どんな犠牲を払っても勝つ」という姿勢を痛烈に批判している。ちょっと待ってください、と僕は言った。彼自身、「どんな犠牲を払っても勝つ」監督に見えることが多かったではないか。審判を批判することもあったし、ライバルで友人だったマンチェスター・ユナイテッド監督のアレックス・ファーガソンと取っ組み合いをしたことがあるとも伝えられる。
「ああ、それは本当だ」と、ベンゲルは認める。「まったく矛盾しているよ。私は往生際の悪いバッド・ルーザーだった」
彼にとって最悪の敗戦は、2006年にパリで行なわれたバルセロナとのチャンピオンズリーグ決勝だった。アーセナルはGKのイェンス・レーマンが早い時間に退場処分を受けたが、後半に入って残り時間が少なくなっても1-0でリードしていた。その後、アンリがGKと1対1の局面でシュートをはずす。それからバルセロナが2ゴールを決め、アーセナルは逆転されてしまう。
ベンゲルは振り返る。
「残り13分になっても、われわれはリードしていた。そこでセンターバックを3人にして逃げ切ろうとする選択もあったかもしれない。でもそれはフェアではないし、つまらない気がした。私は5-0、7-0で勝った日でも、家に帰れば『今日の失敗は何だったのか』と考えてしまう。チャンピオンズリーグの決勝で、1-2で負けたら、家に帰って『ほかに方法はなかったのか』と考えるに決まっているじゃないか」
彼はこの試合のビデオを見たことがないという。
翌2007年、僕はアテネのスタジアムでミランとリバプールのチャンピオンズリーグ決勝を見たのだが、ちょうど後ろの席にベンゲルがいた。ミランの選手たちが優勝メダルを受け取るのを見ながら、ベンゲルは顔をしかめ、手のひらをぽんと拳で叩いて言った。
「わかっただろう? チャンピオンズリーグで勝つには、ごく普通のチームでいいんだ」
数学の学位を持つ彼は、一発勝負の大会では運が大きくものをいうことを知っていた。ベンゲルはその運に恵まれず、究極の栄冠を勝ち得ることはなかった。