チームが慶大1回戦の勝利に沸いた夜、は2回戦で先発として起用されることを正式に告げられた。「とにかく自分のできることをしっかりとやりたい」。その一心で優勝が懸かる大一番の舞台へと向かっていった。 早大入学以降、今西は順風満帆な野球生活を送…

 チームが慶大1回戦の勝利に沸いた夜、は2回戦で先発として起用されることを正式に告げられた。「とにかく自分のできることをしっかりとやりたい」。その一心で優勝が懸かる大一番の舞台へと向かっていった。

 早大入学以降、今西は順風満帆な野球生活を送ってきた。本人のみが持ち得る2メートルの恵まれた体格を生かした思い切りの良い投球で、1年秋からいきなり1軍に定着。先発やロングリリーフなどさまざまな役回りを任され、早大のブルペンにおいて欠くことのできない存在へとのし上がっていった。だが3年秋、今西を極度な不調がおそう。イニング数を上回る四死球を与えるなど制球難に陥り、早慶戦でも1点を争う場面で失点を重ねた。


昨年秋の慶大3回戦で失点する今西

 個人として結果を出せず、入学以来初めてともいえる苦難に直面した。シーズン後の新体制が始動するまでの間「野球に集中しきれなくなった」と今西は振り返る。しかし、そんな今西に発破をかけたのが、新主将となっただった。「そんな状態でチームが一つになれるわけがない。一緒に先頭に立ってチームを引っ張っていってほしい」(早川)。ともにスポーツ推薦として早大の門をくぐり、汗を流してきた、目標でもあり、ライバルでもある男からの言葉に今西ははっとさせられた。最終学年としての責任を改めて認識し臨んだ2020年。春季リーグ戦開幕前の練習試合から、チームのために必死に左腕を振り続けた。だが、開幕を目前にして、投手の生命線ともいえる肘を損傷してしまう。

 早川とともに4年生としてチームを勝たせるためにも、また、「幼い頃からの夢」であったプロ野球のドラフト会議に向けてアピールするためにも、今年は本当に大切なシーズンだった。しかし、春季リーグ戦では1試合も登板することができなかった。傷が癒え、自身最後のシーズンとして臨んだ秋季リーグ戦でも本来の球威は戻らず、早慶戦前時点での登板数はわずかに2試合。悔しさとやるせなさでいっぱいになりそうな状況・・・。だが、今西は腐らなかった。「自分のことよりもチームが勝つために」と、試合を戦う選手へのサポートに徹し、チームを鼓舞するために必死に声を出した。早川からの言葉をベンチから体現していたのだ。

 こうして迎えた大学最後の早慶戦。他校の試合とは比べものにならない大観衆の前での登板を久々に経験し、「不安を感じた」という。動揺の中、初回に先頭打者をフルカウントから四球で歩かせ、続く打者にも出塁を許してしまう。そんな中、結果が出なかった時も、けがの最中も常に励ましてくれた同期、後輩の存在が頭をよぎる。「仲間を信じて、1つ1つアウトを積み重ねる」ことを意識したことで、後続を併殺で打ち取った。続く2回もショートを守るの好守備などにも助けられてなんとかゼロで切り抜け、マウンドを降りた。その後の劇的な展開はもはや説明するまでもないだろう。


今季の慶大2回戦で初回を無失点で切り抜け、明るい表情の今西

 2回無失点と短いイニングながら先発として勝利に貢献した今西。だが、本人は自分の内容以上に「メンバーとともに優勝を分かち合えた」ことに充実感を得ていた。最終学年として臨んだ今年は、思うような投球が全くといっていいほどできず、早川のような大卒でのプロ入りもかなわなかった。個人として見ればこの上なく悔しい1年だっただろう。しかし、この1年での出来事は本人にとっては決して遠回りではなかったはずだ。卒業後は社会人野球へと進み、2年後のドラフト指名を目指す。けがの苦しみ、チームメイトの存在、最後まで諦めない姿勢・・・。酸いも甘いも経験した男はまた力強い一歩を踏み出してくれる。筆者はそう信じてやまない。

(記事 篠田雄大、写真 宇根加菜葉氏、池田有輝)


ロマンあふれる2メートル左腕の今後に期待だ!

コメント

今西拓弥(スポ4=広島・広陵)

――早慶2戦目で先発することはいつ頃伝えられていたのですか

なんとなく1週間前くらいから可能性があるとは言われていたんですけど、正式に伝えられたのは、土曜日の1試合目から帰ってきた日の夜ですね。

――それが伝えられたときはどのように感じられましたか

最初から短いイニングだということはわかっていたので、自分のできることをしっかりとやって後ろにいい形でつなげるようにということを第一に考えていました。

――最初にマウンドに上がった瞬間はどのようなことを感じられましたか

やはり早慶戦は特別だというのを一番感じました。その中でしっかりと抑えていい流れをつくりたいと意気込んでいました。

――具体的に特別だと感じられたのはどのような部分でしたか

1回裏に登板するということで最初はブルペンにいたんですけど、そこからマウンドに行くときに、東大戦で先発したときとは全く異なる応援だったりとか声援を受けて、勇気をもらえて上がれたので、そこがやはり特別だなと感じました。

――登板時はダブルプレーを複数取るなど、打たせて取る投球が目立ちました。ご自身の思い描いた投球ができたのでしょうか

このリーグ戦は本当に状態がよくなくて、立ち上がりも先頭に四球を出してしまって不安になりました。ですが、最後の早慶戦ということで仲間を信じて一つ一つアウトを積み重ねようと考えていたので、バックに助けられながら思い描いたような投球ができたのかなと思います。

――早慶戦前の対談では、試合に出ない立場としてできることをやりたいとおっしゃっていましたが、実際に先発としてグラウンド内で勝利に貢献されました。このことに関してはどのように考えていますか

正直自分が立ち上がりにばたばたしてしまったというのもあって、プレーヤーとして勝利に貢献したとは全然思っていないです。直後に西垣が点を取られてしまったのも自分の責任かなと思っています。自分の投球が長引いたせいで彼が準備する時間も長くなってしまって集中力を保つのを難しくさせてしまったと思います。なので、自分が勝利に貢献したというよりは周りに助けられたという側面が強かったと思っています。

――この登板がご自身の大学での最後の登板だったと思います。悔いの残らない登板になりましたか

自分の内容自体は良くはなかったんですけど、本当にチームのメンバーと一つになって優勝を分かち合えたのが一番嬉しかったので、悔いなく終われたと思います。

――このチームで優勝できた要因は何だとお考えですか

早川を筆頭に4年生がまとまって引っ張ってくれたのが一番の要因だと思います。

――大学最後の早慶戦で悲願の優勝を決めたことに関してはいかがですか

自分自身は正直迷惑をかけることの方が多かったので、それでもやっぱりスタンドで応援してくれていた4年生だったり下級生のためにもなんとか優勝することができて、感謝の言葉を伝えられたのは良かったです。

――改めて早大野球部での4年間を振り返ってください

自分としては、周りの助けがあってやってこれた4年間だったなと思います。正直なところ3年生の秋に結果を残せなくて、野球に集中しきれなかった時期があったのですが、同級生のみんなは見捨てずにいろいろな話をしてくれて、自分にもう1回頑張ろうと思わせてくれました。下級生からも、もう1回抑えてるところを見せてくださいと言ってもらえたので、本当に人生の中で一番素晴らしい同期と後輩を持てたかなと思います。

――特にどの選手からの言葉が身にしみましたか

みんなからの言葉がすごく響いたので選ぶのが難しいんですけど、やっぱり早川からの言葉が特に身にしみたかなと思います。同じスポーツ推薦というかたちで入学してきて、彼自身は1年生のころからみんなのお手本となるようなプレーや練習態度を続けてきた中で、僕自身が新チーム発足したての頃に野球に集中しきれなかった時に、「そんな状態でチームが1つになれるわけがないし、一緒に先頭に立ってチームを引っ張っていってほしい」と声をかけてもらいました。その時、早川がどれだけチームのことを考えているのかを感じましたし、背中で引っ張り続けてきた姿勢もずっと目の当たりにしてきたので、自分も変わらなければならないと思わせてくれました。

――早大での4年間で一番学んだことは何でしたか

「一球入魂」の精神と、自分たちの代が始まるときに自分たちで決めた「GRIT」というスローガンがあるんですけど、それの通り最後まであきらめることなく、やるべきことをやりきれば、最後の早慶戦のときのようにドラマみたいな逆転劇などもあり得ることがわかりました。なので、この先どのようなことがあっても最後の最後まであきらめることなく、結果が出るまでやりきることの大切さを4年間でもそうですし、特に最後の1年で学べたかなと思います。

――卒業後は社会人でプレーをされると思いますが、そこではどのようなプレーをしたいですか

社会人でも大学で学んだ「一球入魂」の魂と「GRIT」というやり抜く精神というのは継続して意識しつつプレーしたいと思いますし、それをすれば2年後のドラフトに挑戦できる選手になれると思っています。「期待してるから絶対プロに行ってくれよ」と言ってくれる同級生もいるので、気持ちの部分を大切にして、社会人野球を頑張りたいです。

――最後に後輩たちへのメッセージをお願いします

他の4年生が背中で示してくれたものを引き継いで、良い部分をどんどん吸収してほしいと思います。下級生たちにも自分たちの代の戦いぶりを見て、「一球入魂」だったり、最後まであきらめない気持ちというのは伝わっていると思うので、早川が最後のインタビューでも言っていたように「強い早稲田」を取り戻してほしいと思います。