サッカー名将列伝第22回 マルチェロ・リッピ革新的な戦術や魅力的なサッカー、無類の勝負強さで、見る者を熱くさせてきた、サ…
サッカー名将列伝
第22回 マルチェロ・リッピ
革新的な戦術や魅力的なサッカー、無類の勝負強さで、見る者を熱くさせてきた、サッカー界の名将の仕事を紹介する。今回はユベントスやイタリア代表で一時代を築いたマルチェロ・リッピ監督。大舞台では苦戦もあったが、僅差の勝負を制して多くのタイトルを獲得した。葉巻をくわえたダンディな風貌、イタリア人らしい名将の軌跡を追う。
リッピ監督のユーベは、DFとMFの強靭さと走力で相手を圧倒していた。相手のパスワークを窒息させるようなプレッシングでボールを奪い、強力な前線でカウンターを打つ。
パスワークでは史上屈指のアヤックスでさえ、ユーベのプレスを前に蹂躙されていた。国内リーグでユーベの圧力をかいくぐれるチームはなく、表面上は僅差勝ちでも安定感は抜群だった。
4回のCL決勝もほぼ僅差だった。アヤックスとは1-1(PK勝ち)、ドルトムント戦だけは1-3と開いたが、レアル・マドリードに0-1、ミランに0-0(PK負け)。僅差勝負はユーベの望むところのはずなのに、PK勝ち1試合のみだったわけだ。
セリエAでの僅差は表面上だが、CL決勝では本物の僅差になっていた。そこで滅多に崩れないのはユーベの強さだが、勝ち切る攻撃力が不足していた。編成がフィジカルとハードワーカーに偏りすぎなのだ。アタッカーは豪華だったが、戦術的に得点を量産できるような体制になっていなかった。
<新種のカテナチオ>
06年ドイツW杯で、リッピ監督の率いるイタリアはフランスを下して優勝した。この時もPK戦だったが勝っている。
「カテナチオから脱却する」
リッピ監督は宣言していた。リベロの起用とマンツーマンディフェンスがカテナチオ本来の定義だから、それからするとリッピ以前にイタリアはすでにカテナチオではなくなっている。
より攻撃型のサッカーをカテナチオからの脱却と言っているなら、そうはなっていなかった。7試合で2失点の堅守が優勝の源だった。オウンゴールとPK(決勝でジダンが決めたもの)だけで、流れのなかでは1点も取られていない。
アンドレア・ピルロを組み立ての中心としてMF中央に起用したのは、リッピ監督にすれば冒険的かもしれないが、ミランの相方であるジェンナーロ・ガットゥーゾと組ませて保険はかけている。この年のバロンドールは珍しくDFのファビオ・カンナバーロだったことが、イタリアの特徴を表わしていた。
ドイツW杯でのイタリアは、形は変わっていても、いかにもイタリアだった。1-0主義は健在、カテナチオがイタリアらしさの代名詞だとすれば、まさに新種のカテナチオといった趣であり、ユーベ時代のリッピ監督のサッカーだった。
リッピは10年南アフリカW杯でも指揮を執ったが、この時はグループリーグであっさり敗退。すでにリッピのスタイルは時代にそぐわなくなっていた。ただ、広州恒大の監督として中国リーグを3連覇し、初のアジアチャンピオンズリーグ(ACL)優勝ももたらした。
ロマンスグレーと銀縁メガネ、葉巻を愛用するダンディな監督で、勝負に妥協のない強面のリーダーでありつづけた。
マルチェロ・リッピ
Marcello Lippi/1948年4月12日生まれ。イタリア・トスカーナ州ヴィアレッジョ出身。現役時代はサンプドリアなどでDFとしてプレー。82年にサンプドリアのユースチームから指導者としてのキャリアをスタート。1994にユベントスの監督に就任すると、1年目でチームを9年ぶりのスクデット(リーグ優勝)獲得に導く。ユベントスではスクデット5回、CL1回と数々のタイトルをもたらした。またイタリア代表でも06年ドイツW杯優勝などの成績を残した。その後広州恒大(中国)や中国代表を率いた。