日本の男子1500mに新たな星が生まれそうだ。10月2日、日本陸上競技選手権1500m、館澤亨次(横浜DeNA)が、3度目の優勝を果たした。この勝利には、過去の優勝とは異なるシーンがいくつも垣間見ることができた。日本選手権の男子1500m…

 日本の男子1500mに新たな星が生まれそうだ。10月2日、日本陸上競技選手権1500m、館澤亨次(横浜DeNA)が、3度目の優勝を果たした。この勝利には、過去の優勝とは異なるシーンがいくつも垣間見ることができた。



日本選手権の男子1500mで優勝した館澤亨次

 東海大時代、今年1月の箱根駅伝では主将としてチームを牽引。6区を走って区間新記録を叩き出し、自分の役割をしっかりと果たして卒業した。

 それから半年、いった何が変化したのだろうか。東京五輪を目指す館澤の進化と強さを紐解く──。

 日本陸上選手権で館澤はすばらしいレースを見せた。特筆すべきは、レース展開だ。東海大時代の2年、3年時にも優勝しているが、その時は中盤までは集団のなかに紛れ、終盤にキレのあるラストスパートで勝負していた。だが、今回はスタートからトップに立ち、そのままレースを引っ張って勝ち切った。

「今までは誰かに引っ張ってもらってラスト勝負という形だったので、結果がほかの選手の調子次第というところがありましたし、3連覇がかかった大学4年の時は完全に力負けでした。今回、横田(真人/TWOLAPS TRACK CLUB)さんのところで練習していて、『世界で戦っていくなら国内のレースはおまえが引っ張って勝たないと世界に通用しない。負けてもいいからやってみよう』と言われたんです。

 それで全日本実業団(対抗陸上競技選手権大会)から自分でレースを引っ張って勝ち切るプランにし、日本選手権(日本陸上選手権大会)もそのレースプランで臨みました。それで勝てたので、すごく自信がつきましたし、今後につながるいい勝ち方ができたと思います」

 先行逃げ切りのレースプランで、3分41秒32で優勝し、得意のガッツポーズを見せた。このシーンだけを見ると、今シーズンの好調さがうかがえるが、「前半は苦しかった」と館澤は語る。

「(今季)前半は箱根駅伝前に故障した箇所のリハビリが続いて、痛みが完全に取れたのが6月でした。ただ、新型コロナウイルスの影響でレースが中止、延期になり、その間ゆっくり治すことができたので助かりました。それから7月にホクレンのレースに出たんですが、この時はところどころで練習を消化できなかったり、ついていけなかったり......まだうまくかみ合っていませんでした」

 7月18日のホクレンディスタンスチャレンジ千歳大会1500mでは3分46秒93に終わった。本調子にはほど遠く、レース後は悔しそうな表情を浮かべていた。

 ところが、それからわずか6日後の7月24日、東京陸上選手権の1500mで館澤は3分42秒67で優勝を果たした。

「まだ調子が十分に上がっていなかったので自信はなかったんですが、タイムは出せたんです。大学4年の1年間は一度も43秒を切れなかったのですが、この時はあっさりと出せた(笑)。それで『そんなに悪いわけじゃないんだ』と思えるようになって、徐々に調子が上がっていきましたね」

 つづく8月26日のセイコーグランプリの1500mでも3分41秒07で優勝。ペースメーカーが引っ張るなか、荒井七海(Honda)らと争い、勝った。

「正直、優勝できると思っていなかったんです。荒井さんをはじめ、一緒に走ったメンバーに勝てるイメージがなかったので。でも、しっかり戦えて勝てたことで自信がつきました。いま思えば、自分のなかに変な壁をつくっていたのかなと......。ここでの走りが全日本実業団、日本選手権の走りにつながったと思います」

 館澤の言葉どおり、全日本実業団陸上競技選手権1500mではスタートから先頭を一度も譲らない完璧な走りを見せ、3分40秒73のシーズンベストで優勝。そこに至るまで、館澤は練習スタイル、メニューなどをあらためて見直しながら、ランナーとしての完成度を高めてきた。

「大事にしていたのは練習です。『練習だから消化できなくてもいい』と割り切る人もいますが、そうは思いません。出されたメニューをこなすことで自信がつくので、自分はポイント練習をこなすことを重点に置いてきました。

 大学の時は木村(理来)や飯澤(千翔)と1500mの練習をしていたのですが、自分基準でメニューをつくってくれていたので、こなせないことはなかったんです。でも今は、楠(康成)さんと一緒に練習しているのですが、とにかくハード。毎回必死に食らいつかないとダメなレベルですが、その環境がありがたいなって思います」

 日本選手権での走りは、その練習の賜物なのだろう。スピードだけでなく、体型やフォームにも変化が見られた。上半身から下半身のフォルムが中距離系ランナーのがっちりした体型になり、フォームも学生時代は首を振りがしゃがしゃした走りだったが、今は頭が振れず安定している。

「練習のなかで大きかったのが体幹などの補強トレーニングとウエイトトレーニングです。ウエイトにかける時間は大学時代よりかなり減りました。コーチのマロン(アジィズ航太)さんと内容や質を一つひとつ確認しながら週1回程度にして、その分、補強に時間を割くようにしたんです。大学時代は嫌いでしたけど、補強をするようになって体つきが変わり、フォームも安定してきました。とくにフォームは、大学の時は気合い走りだったんですけど、日本選手権の時はみんなに『フォームきれいになったね』と言われて......補強の大切さが今になってわかったという感じです」

 練習の見直し改革はさらに進む。合宿期間中は朝練習をやめた。もともと夜型で、眠れない時は朝方近くまで起きて、そのまま朝練に行くこともあった。だが、睡眠をとることを優先し、午前と午後の2回の練習にすると一気に調子が上がった。

 また、ジョグのスタイルも変えた。自分の足のどこに体重を乗せ、どういう反発をもらえたら一番いいのかを横田コーチに教えてもらった。長めのジョグをしているとその感覚が薄れてしまうため、15、16キロ走っていたジョグを速いペースで8キロ程度にした。

「とにかく横田さんのチームが楽しいですし、それがなによりです。みんなエリートで、強くて、自分だけ遅咲きですが負けたくない。日本一の環境にいると思っています」

 館澤は満面の笑みを浮かべてそう言った。自らの練習と競技スタイルを徐々に確立しつつあるなかで、一番大きな変化を与えてくれたのが横田コーチだった。


東海大時代は

「黄金世代」のひとりとして駅伝で活躍した館澤亨次

「縁あって横田さんに出会ったのですが、最初から一方的に信頼していました(笑)。横田さんは自分の状態に合わせてメニューづくりを考えてくださるし、次はどんな目的でレースに取り組んでいくのかということを毎回話してくれます。たとえば、セイコーの時はペーサーがいるのでそのうしろについて、前で勝負しようと。日本選手権ではフロントレースでどこまで通用するか、勝利とタイムを狙っていこう、とか。レースで何をするのかをあやふやにせず、やると決めたら徹底します。今もレースは怖いですが、やることが明確になったので迷いはなくなりました」

 横田コーチは日本選手権800mで6回優勝し、2012年のロンドン五輪で800mに出場。日本の中距離界をリードしてきたひとりだ。世界を知る指導者は、館澤にとって欠かせない存在となっている。それは自らの大きな目標を達成するためだ。

「まず、東京五輪に出ることです」

 館澤はキッパリとそう言った。

「五輪の1500mは、日本人が長い間出ていないですけど、参加標準記録を破って東京五輪に出るのは不可能だと思っていません」

 男子1500mの五輪出場は、1964年の東京五輪まで遡る。来年、館澤が東京五輪に出場すると57年ぶりの快挙になる。東京五輪の1500mの参加標準記録は3分35秒だ。館澤の自己ベストは3分40秒49なので、まずは5秒49を削る作業が、東京五輪出場を決める来年6月の日本陸上選手権まで続くことになる。

「全日本実業団の時、ひとりで引っ張って40秒台が出ているので、(参加標準記録突破は)そんなに難しいことじゃないかなと思います。今年のレースでの勝ち方、タイムは大きな自信になりました。そのためにも、まずは40秒の壁を超えることですね」

 3分35秒切りを目指すために、(1周の)ラップタイムもすでに考えている。

「考えている理想のラップは、57-59-59-40で、これで3分35秒になります。このなかのどこかで1秒を削っていかないといけない。自分はラストスパートで40秒を切ったことがないのですが、今は切らないと勝つことができない。1秒を削るなら、ラストを磨かないといけないと思っています。ここを伸ばしていかないと、日本で通用したとしても海外では通用しない」

 では、競技者としての理想像について、館澤はどう考えているのだろうか。

「日本のマラソン選手となると大迫(傑)さんの名前が必ず出るように、『1500mイコール館澤』を目指したいです。そのためにも世界で戦える1500mの日本の第一人者になりたい。横田さんは800mで世界を切り拓いたので、自分もそうありたいと思っています。

 今年は田中希実さんが活躍して、女子1500mの注目度が上がりました。日本新記録のタイムも勝ち方も圧倒的で、あのレース展開に憧れますし、あのくらいやらないとダメなんだというのを感じました。今後、男子はよりいい結果を出していかないと発展していかない。それを自分がやるんだという思いが強いです」

 館澤の声には力がこもっていた。競技への取り組み、レーススタイルが変わるなか、環境もさらに大きく変化しつつある。

 館澤が所属している横浜DeNAはこれまでのチームを解散し、来年からは個人に絞ってサポートすると発表した。それにより、館澤はより競技力を高められる方向でサポートを受けることができるようになる。

 1500mで57年ぶりに五輪の舞台に立ち、世界と戦うために必要なものが整ってきた。

「5秒49の壁」を超える挑戦がいよいよ始まる--。