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アリアンツ・アレーナ(ミュンヘン)

 欧州一に輝いた回数は、チャンピオンズカップ時代を含めて6回。バイエルンは、レアル・マドリード(13回)、ミラン(7回)に次いで、リバプールとともに3位タイにつけている。ミュンヘンを訪れる回数が増えるのは当然だった。

 しかし、最初の訪問はバイエルンがらみではなかった。1988年の欧州選手権。ミュンヘン・オリンピアシュタディオン(五輪スタジアム)は、オランダ対ソ連(当時)の決勝戦と西ドイツ(当時)対スペイン戦を行なっている。

 1972年ミュンヘン五輪及び1974年西ドイツW杯でも、メイン会場として使用された総合型スタジアムである。蜘蛛の巣をイメージさせる透明な屋根に斬新さが垣間見えるものの、サッカー観戦者にとっては、トラック付きで、スタンドの傾斜角も緩い眺望の悪さが気になるスタジアムだった。反対サイドでプレーする選手の背番号は、視力2.0でも確認しづらい状態にあった。

 2000年に、ドイツが2006年W杯の開催地に決まると、当然のことながら新スタジアム建設の話が持ち上がった。コンペには、建築会社と建築士をセットにした28チームの応募があったという。そこから8つの案に絞られ、さらに2案で決勝を争うという仕組みだった。そして2001年2月8日、オーヴ・アラップ・アンド・パートナーズ社と、ヘルツォーク&ドゥ・ムーロンというジャック・ヘルツォーク氏とピエール・ドゥ・ムーロン氏による建築士ユニットに吉報が舞い込んだ。



2005年に完成したバイエルンの本拠地、アリアンツ・アレーナ

 ヘルツォーク&ドゥ・ムーロンは、この欄のボルドー編=ヌーボ・スタッド・ド・ボルドーで記したバーゼル(スイス)出身の建築家のユニットでもある。バーゼルと言えば、ユーロ2008の舞台のひとつにもなったザンクト・ヤコブ・パルクを想起するが、これも彼らが手がけたスタジアムになる。

 介護福祉施設やショッピングモールを併設した今日的なスタジアムとして知られるが、なにより目を惹くのは外観のデザイン性にあった。菱形のブロックパネルで覆われた外装が発光する、その斬新なアイデアを初めて見たとき、ディズニーランドに初めて出かけたときのような、ウキウキ感に襲われたものである。

 このアイデアは、ヘルツォーク&ドゥ・ムーロンが、ザンクト・ヤコブ・パルクの次に手がけることになったアリアンツ・アレーナにも採用された。スタジアムの外装は、薄さ0.2ミリのポリカーボネートのパネルですべて覆われることになった。

 もっとも、ヘルツォーク&ドゥ・ムーロンによるこのパネルを使った外装は、アリアンツ・アレーナが完成する2年前(2003年)、日本で目にすることも可能だった。国道246号線(青山通り)から根津美術館に向かう道沿いにあるプラダ青山店ビルである。アリアンツ・アレーナにも、このビルと同じ趣向が息づいている。

 ファッションの最先端を行く建物と同じアイデアを活用したスタジアム。ポップでカラフル。かつ近未来的。プラダ・スタジアムと呼びたくなる洒落っ気を感じる。

 先に完成したバーゼルのザンクト・ヤコブ・パルクを見学して、度肝を抜かれた筆者は、建設中のアリアンツ・アレーナに向かい、ダメもとで建築現場の作業小屋を訪ねた。ヘルツォーク&ドゥ・ムーロンのどちらかに会えないものかとの願いは叶わなかったが、ティム・フーベルさんというドゥ・ムーロン氏の片腕として知られる建築士が、快く迎えてくれた。

「世界各地のスタジアムを見て回った結果、従来とは大きく異なるコンセプトを打ち出す必要性を感じました。イメージしたのは客席がフロアに対してほぼ垂直に立つオペラ専用の劇場です。観衆に舞台をできるだけ近い場所で見せたいと考えました」

 それはミュンヘン五輪スタジアムとは真反対の眺望を意味していた。

「外観はラウンド感のある籐の篭、壺、さらには提灯をイメージしました。密閉性に優れた器の中に観衆をしまい込む。これがアリアンツ・アレーナのコンセプトです」

 そう言いながら、デスクトップのモニターでスタジアムの青写真を次々に映し出した。夜になるとスタジアムはライトアップされ、提灯のごとく柔らかな光を放つのだった。

 フーベルさんはこう続けた。

「当初は全天候型の開閉式ドームスタジアムを造る予定でした。スタジアムの天井を、ふわりと浮くツェッペリン号のような飛行船を使って開閉する計画で進んでいたのですが、その会社が倒産してしまって......」

 傍らにいたスタジアムの広報担当者は、大真面目にこう続けた。

「日本の会社がこの計画に賛同し、手を挙げてくれることを切に祈っています」

 スタジアムの天井から飛行船のようなふわりとした浮遊体が、舞い上がれば屋根は空き、着地すれば閉まるという、まさに非現実的なその映像を、実際にデスクトップのモニターで見せられると、そうした夢に溢れる計画を大真面目に考えている彼らに、拍手を送りたくなっていた。

 スタジアムに結局、屋根は付かなかった。飛行船をふわりと上下させる計画は幻に終わった。

 完成は2005年。その年の9月17日に行なわれたチャンピオンズリーグ(CL)、バイエルン対クラブ・ブルージュが、筆者にとって初めて観戦した試合になった。

 2006年ドイツW杯では、開幕戦(ドイツ対コスタリカ)をはじめ6試合が行なわれた。開会式を最新式のアリアンツ・アレーナで、閉会式を伝統と格式のあるベルリン五輪スタジアムで開催するというその対照的なコントラストがイカしていた。新しいドイツと負の遺産を抱えた古いドイツ。暗い過去を忘れることなく未来に向かおうとするドイツの姿勢を表したものだとは、取材した大会関係者の弁である。

 バイエルンとアリアンツ・アレーナの関係が、最も濃くなった瞬間は2012年5月19日。この日行なわれたCL決勝は、バイエルン対チェルシー戦だった。

 決勝進出チームの本拠地でCL決勝が行なわれたのは、この時が初めてだった。チャンピオンズカップ時代を加えても、1956-57シーズンのレアル・マドリード対フィオレンティーナ(サンティアゴ・ベルナベウ)と、1983-84シーズンのローマ対リバプール(ローマ・オリンピコ)を合わせた3度しかない。ローマはリバプールに敗れているから、2011-12シーズンの決勝は、1956-57シーズン優勝のレアル・マドリード以来、55シーズンぶりの快挙なるかに注目が集まった。

 後半38分、トーマス・ミュラーが先制点を挙げた瞬間、アリアンツ・アレーナは爆発的な歓声に包まれた。当時の監督ユップ・ハインケスは、残り3分となった段で、197センチのベルギー代表CB、ダニエル・ファン・ブイテンをピッチに送り込み、守りを固めた。

 ところがその直後、CKからディディエ・ドログバにヘディングシュートを叩き込まれ、同点とされる。長身CBを入れ、守りを固めたにもかかわらず、である。延長PKにもつれ込んだ試合は、5人目のキッカーとして登場したバスティアン・シュバインシュタイガーが左ポストに当ててしまう。その直後に、チェルシーの5人目、ドログバが左に決めると、アリアンツ・アレーナはすっかりチェルシーのホームと化していた。

 表彰式に臨むチェルシーのメンバーが、筆者が座る記者席の直ぐ脇の階段を通過していった。敗れたバイエルンの面々がそれに続く。そしてその最後に、頭にヘアバンドをした宇佐美貴史の姿があった。いきなり真横に現れたので、どう対処すべきか慌てた記憶がある。

 その時は何も声を掛けなかったのだが、いまさらながら惜しいことをしたと思う。CL決勝のピッチに立った日本人選手は、いまだ現れていないのだから。