中村憲剛インタビュー@前編 一生に一度の機会を終えた中村憲剛は、安堵感に包まれていた。「(会見の場は)いつも知っている部…

中村憲剛インタビュー@前編

 一生に一度の機会を終えた中村憲剛は、安堵感に包まれていた。

「(会見の場は)いつも知っている部屋なんですけど、あまりにも厳かな雰囲気だったので、自分も緊張してしまいました」と笑った。

 11月1日、川崎フロンターレひと筋でプレーしてきた"バンディエラ"は、今シーズン限りで現役を引退することを発表した。



FC東京戦でゴールを決めた翌日、まさか現役引退を発表するとは...

 幸運にも、引退を発表する前と発表したあとに、話を聞く機会に恵まれた。

 鬼木達監督に告げたのは、J1第23節の名古屋グランパス戦後だったという。試合が続いていたため、久々の長期オフが明け、練習が再開した10月23日のことだった。

「入団からここまでずっとお世話になってきた庄子(春男)GMには、3月くらいに話していたのですが、オニさん(鬼木監督)には、名古屋戦が終わってオフが開けた時に伝えにいきました。タイミング的には不自然ではなかったと思います。

 だから、きっとオニさんも、自分がそんな話をするとは思っていなかったはずです。その前にも、ルヴァンカップのFC東京戦(10月7日)のころに2時間くらい話をしたことがあったので。その時に伝えようかとも考えたのですが、試合が続くし、このタイミングで話すのは申し訳ないなと思ったので黙っていました。伝えるなら、自分がチームの勝利にもっと貢献できたあとかなと。

 そして、そのあとに来た名古屋戦にスタメンで出してもらい、勝利に貢献できたなという手応えのある試合ができたこともあって、次の試合まで約2週間空いたこのタイミングだよねと、妻と話していたんです。現場の長であるオニさんに話すことで、すべてが始まる。そう思っていましたから」

 練習後、鬼木監督の部屋を訪れ、部屋にあるソファーに座った。取り繕うことなく、単刀直入に言った。

「オニさん。今年でやめます」

 鬼木監督は「えっ」と言って驚いたあと、「嘘だろ?」「本当に?」と、何度も、何度も聞き返したという。

 なぜなら、名古屋戦でお互いに真逆の感想を抱いていたからだ。鬼木監督は、名古屋戦で2アシストの活躍をした中村のプレーを見て、「もっとやりたい」と言うのではないかと感じていた。ここ数年での「引退」はあるだろうが、それはまだ先のこと......だと感じてもいた。

 一方で中村は、今シーズンのリーグで唯一負けた相手、そしてJリーグの連勝新記録がかかったこの大一番の名古屋戦でスタメンに抜擢され、その試合でチームの連勝を「11」に伸ばす貢献ができたことで、引退への決意はより固まった。だから、このタイミングで信頼する指揮官に伝えようと決意していた。

「同じ試合で、まったく逆の感想を抱いていたんですよね。きっと、そこは今も埋まっていないんじゃないかと思います」

 その後も、鬼木監督はことあるごとに「続ければいいじゃないか」「撤回してもいいんだぞ」と、声をかけてくれたという。

「本当にありがたいですよね。監督にそこまで言ってもらえるなんて。でも、会見でも言いましたけど、戦力のまま引退したいという目標がずっとあったんです。そこはずっと、自分のなかで曲がることはなかった。

 ずっとフロンターレでプレーしていたいけど、戦力にならないのであれば、自分のいる価値はない。だから、求められる選手のままでやめたかったんです」

 40歳での現役引退を決意したのは、5年前----35歳の誕生日を迎えた時だったという。妻である加奈子さんにだけ打ち明けていた。

 それは39歳になり最初の試合で、左ひざ前十字じん帯断裂という大ケガを負っても変わることがなければ、復帰して試合に出られるようになってからも変わることはなかった。

「これも今だから話せますけど、(昨年に)ルヴァンカップを獲ったあと、妻とは話していたんですよね。まだ全然プレーできている状態で、どうやって終わりの時を迎えるのかと。

 そしたら、誕生日の2日後の試合で前十字じん帯を断裂して。実は、その時はまともにプレーできる状態になっての復帰はできないんじゃないかと思ったんです。とくに手術した日なんて、ひざが痛すぎて、日常生活に戻ることすら考えることもできなかった。だからその時は、初めてネガティブな意味で『やっぱり(引退するのは)来年なんだな』って思いましたから。

 でも、徐々にひざの痛みが癒えて、やれることが増えていったら、これはしっかり見せて終わることができるんじゃないかと、どんどん思えるようになった。でも、だからと言ってそこから何年も......という発想は、自分のなかにはやはり生まれなかったんです」

 復帰まで約10カ月に及ぶリハビリを続けながらも、中村はずっとカウントダウンをしていたのである。

「終わりを決めていたからこそ、あのリハビリも耐えられたところがあったんです。リハビリ期間中は思いどおりに進まないこともありましたし、コロナ禍においては精神的にもきつかったですけど、ピッチに絶対に戻らなければいけない理由が自分にはあったので、耐えることができた。ただ、戻るまでの時間が長くなれば長くなるほど、試合に出られる期間はどんどん短くなっていくわけですから」

 思い返せば、全体練習に完全合流したのが7月28日。そこから復帰に向けて自身の準備が整っていながらも、試合に出られない状況に少しばかり憤っていた期間があった。だが、現役引退の日が刻々と迫っていたことを知れば、すべてにおいて合点がいく。

 8月29日のJ1第13節の清水エスパルス戦で、途中出場からゴールという最高の結果で自身の復帰戦を飾り、その後、横浜FC戦で初先発するなど、着実に階段を登ってきた。

 名古屋戦では、セットプレーの精度もさることながら、パスの質、さらに言えばポジショニングの妙も際立っていた。中村憲剛は、やはり我々が待ち望んでいた中村憲剛だったのである。

 だからこそ、鬼木監督はそのプレーを見て、「もっとやりたい」と思っていると感じてもいたのだろう。その名古屋戦を終えて、復帰に際して何を重視していたかの問いに、中村はこう答えてくれていた。

「頭と、目ですかね。そこがついていって、初めて身体が動く年齢でもある。これが20代とかであれば、遮二無二やるという選択肢もあったかもしれないですけど、むしろどれだけ研ぎ澄まして、無駄をそぎ落とすか。要は自分じゃなければいけないプレーを見せなければいけないわけですからね。

 そのなかで、いわゆる自分っぽさが戻ってきたという周りからの感想は、自分としても、とてもうれしい。それを自分は体現しなければいけない立場でもありますし、そう言ってもらえることで、自分がトライしていることは間違ってないと思うこともできる。

 別に、試合に出るだけならば、今シーズンのレギュレーションを考えても、自分より年齢の若い選手を起用すればいいわけですから。自分がいる意味というものを、ちゃんとプレゼンしなければいけない」

 試合に出場するようになり、試合後に身体が感じるリバウンドも含めて、すべてをうれしそうに話していたことも、今となってみれば納得する。そのすべては、サッカー選手としていられる喜びや充実感を楽しんでもいたのである。

「だから、復帰した時に自分の目、見ている景色が変わっていなかったことにはホッとしましたね。むしろ、ケガする前よりも、あらゆる意味で視野が広がっている。だから、今まで以上にサッカーを楽しめている自分がいるんです。

 でも、それはたぶん、限りがあるからなんです。この時間を楽しもうという精神状態から来ているものだと思いますし、復帰したことで、また別の中村憲剛になっていると思います」

 我々は今、最後でありながら、新しい中村憲剛を見ているし、見られてもいる。それはまさに、彼の集大成と言えるのかもしれない。

(後編につづく)