「投」なら金田正一、「打」なら王貞治、「走」なら福本豊が、日本プロ野球界における記録の御三家だ。いずれも今の野球とは異質…
「投」なら金田正一、「打」なら王貞治、「走」なら福本豊が、日本プロ野球界における記録の御三家だ。いずれも今の野球とは異質な時代に打ち立てられたものであり、だからこそ、この3人に数字で太刀打ちするなど不可能だと思っていた。
だが、それは覆された。いつの世も「絶対無理」という言葉は存在しないということを、ソフトバンクの周東佑京(しゅうとう・うきょう)が教えてくれた。

13試合連続盗塁の世界記録を更新したソフトバンク周東佑京
福本氏が1971年と1974年に記録した11試合連続盗塁の記録に、10月28日のロッテ戦(ペイペイドーム)で46年ぶりに並ぶと、翌日の同カードの初回にいきなり二盗を決めて日本新記録を打ち立てた。
走るたびに期待は高まり、日を追うごとに注目度は増していった。しかし、周東自身は「福本さんは雲の上の存在。並べるなんて思っていませんから」と、一貫して平常心を強調していた。それでも日本記録がかかった試合当日は、さすがに緊張していた。
「塁に出られなかったらどうしよう......とか、試合前は余計なことをいろいろと考えてしまいました」
早いうちに走って楽になりたいと考えていたところ、初回に二塁への内野安打で出塁。これ以上ないチャンスで、2番・中村晃の2球目にスタートを切って、見事に成功をおさめた。
「僕のなかでは50点ぐらいの盗塁でした」
厳しめの自己採点だ。しかし、ふと思い直したのか、言葉を継ぐ。
「いつもそれぐらい。だけどそう考えたら、いつもどおりいけた(スタートできた)のかなと思います。焦らず、気負いすぎず、いつもどおりに走れたと思います」
周東はその翌日の西武戦でも7回に二盗を成功させ、13試合連続盗塁を達成。これで1969年にバート・キャンパネリス(アスレチックス)が成し遂げたメジャー記録をも上回り、事実上、世界記録保持者となったのだ。
福本氏が「世界の盗塁王」と呼ばれる所以は、1972年に記録したシーズン106盗塁を筆頭に、13年連続盗塁王、通算1065盗塁など、数々の金字塔を打ち立てたからであり、周東が追い抜いたのはそのなかのひとつにすぎない。だとしても、あの福本氏が持つ盗塁記録をどんな内容であれ塗り替えたのだ。それはまさに大偉業である。
それに加えて、10月の月間盗塁数23もとんでもなくすごい数字である。10月末時点でのセ・リーグの盗塁数ランキングを見ると、1位の近本光司(阪神)の28盗塁はともかく、2位の増田大輝(巨人)の22盗塁をわずか1カ月で上回ったのだ。
そんな周東だが、今シーズン序盤はじつはそれほど走っていなかった。7月終了時点で28試合に出場して、わずか2盗塁。ある種の「2年目のジンクス」に苦しんでいた。
もともと育成選手として入団し、昨季支配下入りすると代走を中心に25盗塁を記録。巨人との日本シリーズでもチームを勝利に呼び込む盗塁を決め、一躍注目を浴びた。その一芸を認められて侍ジャパン入りすると「プレミア12」でも活躍して、一気にスターの階段を駆け上がった。
周囲からの見る目は完全に変わり、当然、相手チームからのマークは厳しくなった。だが周東は、自身の問題だったと語る。
「マークが厳しくなったというより、自分のなかで考えすぎてしまいました」
盗塁の最大の敵は、ピッチャーの牽制やキャッチャーの送球よりも自身の迷いだ。余計なことを考えてしまえば、成功率は下がる。そんな周東の背中を押したのが、二人三脚で寄り添った指導を続ける本多雄一一軍内野守備・走塁コーチであり、工藤公康監督だった。
工藤監督は「牽制でアウトになるのも、スチールしてアウトになるのも一緒だよ。だから思い切っていけよ」と声をかけ続けた。
本多コーチも「力まないように、焦らないように、急がないように。普通に走れば、おまえの足ならばセーフになるから」と励ました。現役時代に2度の盗塁王を獲得した本多コーチは、自分の知識や考えを惜しみなく周東に注ぎ込み、試合前練習でも外野の隅っこでスタートの練習など、マンツーマンでレッスンする姿を何度も見た。
盗塁を決めるには、まず出塁しないことには何も始まらない。打撃の向上も盗塁数が増えた大きな要因だ。8月終了時点で打率.208だったのが、10月終了時点で.271まで上昇した。9月の月間打率は.307(出塁率.346)、10月は打率.306(出塁率.353)と好成績を残した。
昨シーズンは打席数が少なかったとはいえ、打率.196と振るわなかった。打率を見れば急激なレベルアップだが、突然技術が高くなったわけではない。打撃部門を担当する立花義家コーチや平石洋介コーチに教わりながらコツコツと積み上げてきたものだが、周東が強くこだわったのは強い打球を打つためにバットを振り切ることだった。
それを見た周囲の人間は「あれだけの足があるのだから、バントをするなり、反対方向に転がせばいいのに」と眉をひそめたが、周東は己の考えを貫いた。
「いつか足で勝負できなくなる時が来るかもしれない。長く野球をやるために、今からバッティングを捨てるようなことはしたくないんです」
公式戦の勝負どころでは時折セーフティバントを見せることはあったが、開幕一軍を争っていた春季キャンプやオープン戦、練習試合の期間は、頑なに力強くバットを振り続けた。
ここ数年、ソフトバンクは1番打者を固定できなかった。昨シーズン、チームの1番打者のトータルの打率は.218(出塁率.266)しかなかった。今季も序盤戦はほとんど改善が見られなかったが、周東の台頭により"1番打者問題"は一気に解消された。
3年ぶりにリーグ優勝を果たしたソフトバンク。終わってみれば2位以下を大きく引き離したシーズンとなったが、10月9日の時点では2位のロッテにゲーム差0、勝率わずか1厘差まで迫られた。しかし、その翌日から怒涛の12連勝を飾り、Vロードを一気に駆け抜けた。周東の連続試合盗塁記録は、その最中に始まった。
シーズントータルで考えれば厳しいが、もし終盤戦だけでMVPを選ぶなら、周東がその筆頭候補に挙がるのは間違いない。
足のスペシャリストから不動の1番打者となった周東の次なる目標は、日本シリーズ4連覇である。