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サンティアゴ・ベルナベウ(マドリード)

 マドリードの中心部を南北に走る幹線道路、カステリャーナ大通り沿いに立つ都市型スタジアム。道路はしの狭いエリアに、かなり窮屈そうに立っている。ゴール裏の背後の道路に、スタンドの上階部分が法律に触れそうなほどせり出していて、8万44人収容の巨大な器の全貌を、引いた視点で確認することはできない。

 2002年5月7日。日本代表(トルシエジャパン)は、このサンティアゴ・ベルナベウで、レアル・マドリードと親善試合を行なっている。

 両軍のメンバーは以下のとおりだった(カッコ内は交代選手)。

【日本】GK曽ヶ端準、DF松田直樹(中澤佑二)、宮本恒靖、中田浩二、三都主アレサンドロ(服部年宏)、明神智和(市川大佑)、MF戸田和幸(福西崇史)、稲本潤一、森島寛晃(小笠原満男)、FW鈴木隆行(山下芳輝)、柳沢敦(久保竜彦)

【レアル・マドリード】GKイケル・カシージャス(カルロス・サンチェス)、DFアイトール・カランカ(フランシスコ・パボン)、イバン・カンポ(ルベン・ゴンサレス)、ロベルト・カルロス(ラウル・ブラボ)、ジェレミ・ヌジタップ、MFアルベルト・セラーデス(ボルハ・フェルナンデス)、フラビオ・コンセイソン(ソウザ)、ルイス・フィーゴ(バウド)、ペドロ・ムニティス(アルバロ・アルベロア)、ハビエル・ポルティージョ(グティ)、FWエドウィン・コンゴ(フェルナンド・モリエンテス)



繁華街にあるレアル・マドリードの本拠地、サンティアゴ・ベルナベウ

 折から降りしきる大雨で、ピッチコンディションは最悪。スタンドもガラガラだった。「クラブ創立100周年記念」とされていたが、レアル・マドリードは、なぜこの試合を引き受けたのか。

 この8日後には、グラスゴーで行なわれるチャンピオンズリーグ(CL)決勝レバークーゼン戦が控えていた。主力のジネディーヌ・ジダン、ラウル・ゴンサレス、フェルナンド・イエロらはこの日本戦を欠場。ロベルト・カルロスとフィーゴは先発したが、彼らにしても前半34分という早いタイミングで途中交代している。

 試合は1-0でレアル・マドリードが勝利したが、鑑賞に堪える試合ではなかった。試合後、日本代表選手と握手もろくろくかわさずにロッカールームに下がっていくレアル・マドリードの選手たちの姿に、ミスマッチ感は集約されていた。

 レアル・マドリードはその直前、サンティアゴ・ベルナベウで宿敵バルセロナと一戦を交え、勝利を飾っていた。CL準決勝の大一番がクラシコとなっていたのだ。この試合と日本代表戦との落差はあまりにも大きかった。CL準決勝と決勝との間に、わざわざ日本代表と戦う理由はなんだったのか。CL決勝でレバークーゼンに負けていたら、日本戦が原因だったと言われていたかもしれない。

 それはともかく、筆者はこの一戦を観戦するために1週間前からマドリード入りしていた。宿泊していたのは、サンティアゴ・ベルナベウからカステリャーナ大通りを北に200メートルほど行った右手にある、お気に入りのデザインホテルだった。
 
 2002年5月1日。クラシコとなった準決勝を数時間後に控えたシエスタの時間だったと記憶する。ベッドの上でゴロゴロしている最中だった。

「ドーン!」。ホテルに大砲が撃ち込まれたかのようなド迫力の衝撃音が鳴り響いた。大事故に巻き込まれたに違いないと慌て、窓からカステリャーナ大通りを見下ろせば、パトカーが何台もうんうんとうなりを上げながら集合してきた。

 レアル・マドリード対バルセロナ。この"戦争"の間隙を縫うように、バスク独立運動の先鋭的な集団であるETA(バスク祖国と自由)が仕掛けた爆破テロだった。テレビをつければ、スタジアムの目の前でクルマが何台か横転している映像が映し出されていた。もしその時、表通りを散歩でもしてようものなら、巻き添えを食っていた可能性もあったわけだ。

 試合は延期されるのが普通だ。少なくとも日本ならば、そうしていたはずだ。しかしスペインは違った。「カスティーリャ(マドリード)とカタルーニャ(バルセロナ)の戦いの場にバスクは口出しするな」とばかり、CL準決勝のクラシコは滞りなく開催された。

 その晩のサンティアゴ・ベルナベウは、何事もなかったかのように満員の観衆で埋め尽くされ、ピエール・ルイジ・コッリーナさんの笛のもと、レアル・マドリードが2試合の合計スコア3-1でバルサを下し、決勝進出を果たしたのだった。

 このETAによるテロで死者は出なかった。しかしその2年後、同じマドリードで発生したテロは違った。191人もの人が亡くなっている。その時も筆者はマドリードにいた。カステリャーナ沿いのホテルでそのニュースを知った。

 2003-04シーズンのCL決勝トーナメント1回戦。レアル・マドリードが、サンティアゴ・ベルナベウで行なわれたバイエルンとの第2戦に1-0で勝利を飾り、通算スコア2-1でベスト8入りを決めた、その翌朝に発生した出来事だった。

 ホテルの部屋のテレビは、テロの現場のひとつになったアトーチャ駅の模様を映し出していた。アルカイダの犯行だという話だった。前夜、行動をともにしていたカメラマンのことが気になった。アトーチャ駅から列車で、次の取材先に向かうと聞いていたからだ。

 幸いにも、知人カメラマンはテロに巻き込まれていなかったが、同じマドリードのホテルの一室で、2度にわたり近場で起きたテロのニュースをテレビから知ることになるとは、いま振り返っても驚きである。

 小さな事件に巻き込まれたことはある。サンティアゴ・ベルナベウの報道の受付に並び、順番を待っている時だった。背後から右の袖をしきりに引っ張られる感じになった。「ハポネス」の声も聞こえた。スリだ。経験上、逆(左)のポケットが狙われていると判断した筆者は、ちょうど吸っていた煙草(当時はこういう状況で普通に吸えていた)を、忍び寄る悪の手に押しつけてやろうと、息を潜めるようにタイミングを計った。計画は大成功。しっかりうめき声を確認することができた。

 この欄でも幾度となく触れているが、この当時、日本から観戦に出かけるサッカー好きは、いまとは比較にならないほど多くいた。中でもCLの決勝トーナメント1回戦、準々決勝あたりは、学生の旅行シーズンと重なっていて、練習日にも多くの日本人観光客の姿を見ることができた。

 ロベルト・カルロスが引き上げてくると、柵の向こうで出待ちしているファンから「ロベカル!」の声が挙がった。瞬間、声を掛けたのが日本人であることが判明した。「ロベルト・カルロ」と最後の「ス」が聞き取れるか聞き取れないか、ギリギリの感じで発音するのが地元の人で、間違っても「ロベカル」とは略さないからだ。

 何を隠そう、ロベカルとは筆者が考えた略である。原稿を執筆するときに、毎度ロベルト・カルロスでは長いので"ロベカル"と記したのだ。それが、気がつけば一般に浸透してしまったのだ。欧州サッカーを担当する実況アナウンサーが使用したから広まったのだと考えるが、オリジナルは筆者である。

 サンティアゴ・ベルナベウを最初に訪れたのは1982年。スペインW杯の時だった。イングランド、西ドイツ(当時)、スペインの3カ国で争った2次リーグ3試合と、決勝戦(イタリア3-1西ドイツ)の舞台になっている。スタンドの器はいまより小さかったが、立ち見席が設けられていたため、決勝戦は9万人の観衆を集めて行なわれている。

 早い話が古いスタジアムなのだが、そこから改修をくり返して現在に至っている。2007年の改修で立ち見席を撤廃したのを機に、UEFAから最上級を意味するカテゴリーのスタジアムに認定された。2009-10シーズンにはCL決勝(インテル2-0バイエルン)の舞台になっている。

 現在、大規模な改修が始まっていて、完成は2023年になるという。バルセロナの本拠地、カンプノウと同じタイミングで改修が行なわれているわけだ。カンプノウが地中海を意識した開放的な空間を目指しているのに対し、サンティアゴ・ベルナベウは、スタジアム全体を箱で囲むようなイメージの、密閉性の高い造りになるという。

 スタジアム対決で勝利を収めるのはどちらか。完成が待ち遠しい限りだ。