10月10日、東京・新豊洲にナイキジャパンが三井不動産レジデンシャルと共同で開発したスポーツパーク「TOKYO SPORT PLAYGROUND SPORT × ART」がオープンした。世界的に見ても体を自由に動かす場所、スポーツをする環境…
10月10日、東京・新豊洲にナイキジャパンが三井不動産レジデンシャルと共同で開発したスポーツパーク「TOKYO SPORT PLAYGROUND SPORT × ART」がオープンした。世界的に見ても体を自由に動かす場所、スポーツをする環境に乏しい東京に「子どもから大人まで遊び心をもってスポーツに参加できる場」を提供しようというナイキの試みは、多くのアスリートに共感をもって歓迎されている。13日に行われたオープニングイベントに参加した陸上・長距離の新谷仁美に話を聞いた。
(インタビュー・構成=大塚一樹[REAL SPORTS編集部]、写真=NIKE)
何もかもが“規格外”の日本トラック界のエース
“駅伝の怪物”として、岡山の興譲館高校時代から日本長距離界を担う逸材として注目されてきた新谷仁美。先日行われたプリンセス駅伝2020でも、8年ぶりとなる実業団駅伝の舞台で3区の区間新記録を1分15秒更新する快走を見せ、所属する積水化学を連覇に導いた。
東京マラソン女子の部初代女王に輝くなどマラソンで結果も残しながら「マラソンは苦しい。やりたくない」と公言し、5000m、1万mのトラック競技を主戦場にする。モスクワで行われた世界陸上、1万mで5位入賞と健闘しながら、翌年の2014年には現役引退を発表。2018年に現役復帰を果たすと、2019年の全国都道府県対抗女子駅伝では東京のアンカーとして7人抜き、5年のブランクを全く感じさせない怪物ぶりを見せつけ、周囲を驚かせた。
走りの面でも“規格外”の彼女は、その発言にもたびたび注目が集まる。ことあるごとに「走ることは仕事」「楽しくて走っているわけじゃない」と語る新谷は、この日も率直に、素直に感じたことを語ってくれた。
――「TOKYO SPORT PLAYGROUND SPORT × ART」には、陸上のトラックが設置されています。プレイグラウンド、スポーツパークとして、トラックがあるというのは一つ特徴的な部分だと思います。完成した施設を見た感想は?
新谷:それこそ「ばえる」場所だなと思いました。今の時代にすごく合っているし、未来型のパークだなと。トラックはまだ走っていませんが、アップダウンがあったりして、面白いコースだと思います。
――このトラックは全長280m、勾配があったりして、クロスカントリー的な要素も取り入れられているそうですが。
新谷:そうなんですよね。勾配もそうですが、陸上選手だったら避けてしまう急カーブとか、短距離選手にはあまり経験のないコースかもしれませんが、私たち長距離の選手は比較的適応できると思います。私としては走るのがすごく楽しみですね。
バスケにサッカー、水泳、卓球、テニスにバトントワリングまで…楽しみながらスポーツに触れた少女時代
“スポーツの日常化”という課題に取り組むことを掲げるこのパークは、遊び場を奪われた都会の子どもたちがスポーツに楽しみながら触れることのできる貴重な接点でもある。
幼少期を岡山で過ごした新谷は、当時の恩師が「どの競技でも全国レベルになれた」と証言するほど抜群の運動センスを持ち、スポーツ万能少女として有名だった。
――小学生時代はバスケットボールやサッカー、中学校でバトントワリングなどに取り組んでいたそうですね。しかもどの競技もかなりのレベルでこなせたとか。「スポーツ万能少女」だったそうですね。
新谷:そうなんです(笑)。ほかにも水泳、卓球やテニス、スポーツに関しては本当に全部一通りできます。
――日本では、早い段階から競技を絞って一つのことに集中することが良しとされる風潮があります。同じ球技でも野球部はサッカーができなかったり、サッカー部はボールを投げるのが苦手だったり、自分が打ち込んでいる競技以外は苦手という選手も多いですよね。
新谷:陸上選手もボールを使う競技は苦手という話を聞いたりするんですけど、私はたくさんのスポーツができたほうがいいんじゃないかなと思います。特に子どものうちは一つの競技にこだわらずに、できるだけ多くのスポーツをやってほしいなと思います。本格的に競技でやっていこうと思ったら、大人になってから一つに絞ってもいいわけですからね。
勉強でも、体を動かすこともそうですが、若いときはいいことも、悪いことも(笑)、スポンジのようになんでも吸収できるので、スポーツでもスポーツ以外でもたくさんのことを経験して視野を広げた方がいいんじゃないかと思っています。
恩師・小出義雄監督に教えられた「夢」と「現実」
岡山では「楽しいから」と、どんな競技にもひるまずチャレンジしてきた新谷。子どもたちの「スポーツ離れ」について聞いてみると、「私が小さい頃と今で、何が違うかといったら、やっぱりネット社会になってしまったところ。そこが一番の違いじゃないでしょうか」という答えが返ってきた。たしかに、子どもたちの時間がスマホやタブレットに浸食され、外で遊ぶ、スポーツをするという選択のプライオリティが下がっているという話はよく聞く。もう一つ、新谷は、子どもたちのスポーツに漂う「義務感」への違和感を口にした。
新谷:ネットに時間を奪われているのかなというのは感じます。しかもスポーツをやるにしても楽しんでやるじゃなくて、義務的な感じでやろうとしている子どもが多いような気がします。私は、楽しむところからスポーツに入ったので良かったんですけど、「やらされている」と感じてスポーツをやっても楽しくないですよね。だからみんなスマホをいじるほうが楽しいし、楽だと思う子もいるのかなって。そこはちょっと悲しいなと思います。
――陸上、駅伝というと、練習もきついし、走ること自体の苦しさとか、義務感とは言わないですけど、日本的な「努力と根性」みたいなイメージもあります。新谷選手は「楽しみ」のほうが大きかった?
新谷:高校卒業するまでは楽しくやっていました。それこそ夢もたくさんありましたし、目標もありました。でも、今はありません(笑)。社会人になってからはありません。
――なぜ、なくなってしまったんでしょう?
新谷:いい意味も悪い意味もあるので全く隠すつもりもないのですが、小出義雄(故人・新谷選手は高校卒業後、小出氏に教えを請うため佐倉アスリート倶楽部へ進んだ)という人に出会った影響ですね。いい意味で現実を見ることができました。夢や目標ばかり見ていないで、ちゃんと現実を見て決められるようになりました。小出監督に出会わなければ、現実を見ることなく、ただただドリーマーだっただけであって、そこはすごくありがたかったなと素直に感謝しています。ひたすら夢を語る小出さんに対して、自分は夢ばかり見ていても通用しないと思った。そういう現実を教えてもらったという感じなんです。
「夢を見なくなったランナー」がそれでも走り続ける理由
数ある夢のなかから、陸上競技、長距離を選んだ新谷は、マラソンでも2008年の東京マラソンで初マラソンにして優勝を果たすなど、好成績を残している。それでも本人は、「マラソンはキツい」と、トラック競技を主戦場にしている。日本では、「陸上長距離の花形はマラソン」というイメージがどうしても強い。本人の言葉では「夢がなくなった」はずの新谷はトラック競技にどんな思いをもって臨んでいるのだろう?
新谷:マラソンを越える、長距離の花形種目をマラソンからトラック種目に変えるためには、もうそれこそ結果を出していくしかないですよね。地道にトラック種目で結果を出していくしかない。どうしてマラソンが花形種目なのかといえば、やっぱり高橋尚子さん(シドニー五輪・金メダリスト)や野口みずきさん(アテネ五輪・金メダリスト)たち、たくさんの先輩たちが築き上げてきたものがすごく大きくて。トラックは記録も結果も海外選手に及ばないし、決勝に残れるかどうかの勝負をしているようではやはり注目度も全然違います。
あと、マラソンは一般の人にもすごく親しみやすいスポーツだということもあると思います。私たちからしたらすごく過酷な種目ではあるんですが、ある程度の年齢になってもマラソンを楽しんでいる、挑戦される方もたくさんいらっしゃいます。一方で、トラックはスピードが求められるからキツそうという印象が先に来るのか、やってみようという一般の方も少ないですし。
――ナイキの厚底シューズが一般ランナーの間でも話題になったり、日本のランニング人口は増えていますよね。それでもトラックで走るというのは、なかなか経験できません。トラックで走るのと、ロードサイドを走るのは全然違うものなんですか?
新谷:私からしたら変わらないです。同じ“走る”ですから。キツいものはキツいし、趣味でマラソンをやっている、毎日走っているという方とは、一生話が合わないなと思います(笑)。仕事としてやっているのでストレス発散にもなりませんし。
走ることを“仕事”にしたことで、当然いい面だけを見て楽しいばかりではいられないことも出てきますよね。楽しんで走ること自体は、私も「楽しい!」からスポーツに入った人間なのでわかるのですが、今は仕事として取り組んでいるので。
「走ることは仕事」。ときに自らが取り組む競技に対してクールすぎるのではという受け取り方もされるが、新谷はプロフェッショナルに徹した上で、夢中でゴールを追いかけ、誰よりも速く走ることに喜びを感じた「楽しさ」があるから再びトラックに戻ってきたのかもしれない。
インタビューの最後に、スポーツに参加できる場の提供、スポーツを日常化するきっかけとして誕生した「TOKYO SPORT PLAYGROUND SPORT × ART」を利用する人たちに向けてのメッセージを求めると、新谷はほとんど間を置かず、自らの経験を通じてスポーツから得たものについてこう語った。
「スポーツを通じて得たことは、やっぱり人との関係ですよね。人は一人では生きてはいけないし、私たち選手も一人では戦うことができません。みなさんには、スポーツの力で人との関わりを濃くしてほしいなと思います。スポーツは自分のやりたいことを実現するための出会いの場だと思うので」
<了>
PROFILE
新谷仁美(にいや・ひとみ)
1988年02月26日生まれ、岡山県出身。女子陸上競技選手。興譲館高等学校在学中の2005年に全国高校駅伝で優勝、エース区間といわれる第1区で高校3年間に連続区間賞を獲得。全国都道府県対抗女子駅伝競走大会では実業団のトップ選手もいる1区で高校生ながら区間賞を獲得するなど、高校時代からランナーとして注目を集める。高校卒業後の2006年に小出義雄率いる豊田自動織機(佐倉アスリート倶楽部)女子陸上部に入部。2007年に行われた記念すべき第1回東京マラソンで初マラソンに挑戦し、女子の部で初優勝を果たす。2012年ロンドン五輪1万mで9位、2013年世界選手権1万mで5位に入賞するも、2014年に現役引退。会社員生活を経て2018年に現役復帰。約6年ぶりの世界大会となった2019年世界選手権1万m で11位となり、2020年1月にハーフマラソンの日本記録を樹立。同年2月には5000mの自己記録を約8年ぶりに更新し「怪物ランナー」の異名で活躍を続けている。