「オープン球話」連載第38回【現役時代に唯一ブチ切れた、高木豊との思い出】――さて、前回、前々回と、屋鋪要さん、高木豊さ…

「オープン球話」連載第38回
【現役時代に唯一ブチ切れた、高木豊との思い出】
――さて、前回、前々回と、屋鋪要さん、高木豊さん、そして若くして亡くなった加藤博一さんの「スーパーカートリオ」について伺ってきました。前回の最後に「現役時代、試合中にブチ切れたのは豊に対してだけ」と話していました。ぜひ今回は、そのあたりを詳しく聞かせてください。
八重樫 もともと、豊のことは「いいセンスの選手だな」と思っていたんですよ。どんな球でも逆らわずに広角に打ち分けていてね。唯一のウィークポイントは早打ちだったことかな? 積極的にバットを振ってくるタイプのバッターだったから、初球に真ん中の甘いコースから落ちるフォークボールを投げると、引っかけてセカンドゴロに抑えることもできたけど、とにかくバットコントロールがいい選手だったよね。
でも、あれは古葉(竹識)さんが監督時代のことだったけど、本当に頭にきたことがあってね......。

八重樫はなぜ高木に
「ブチ切れた」のか photo by Kyodo News
――古葉さんが大洋ホエールズの監督を務めていたのは1987(昭和62)年から1989(平成元)年の3年間のことでした。この期間に何があったんですか?
八重樫 正確な日付は覚えていないけど、大洋とのある試合で、ノーアウトかワンアウト満塁のピンチになったんです。それで、バッターがサードゴロを打ったんだよね。サードは角(富士夫)が前進守備をしていて、当然、ホームゲッツーを狙ってホームに投げてきた。でも、それがちょっと一塁方向に逸れちゃったんですよ。
――ホームゲッツーを狙うということは、ホームで三塁走者を封殺して、そのまま一塁に転送して打者走者をアウトにしようという思惑ですね。
八重樫 そう。でも送球が逸れて、僕の体勢が崩れてしまったので「一塁はアウトにできない」と判断した。フォースプレーだから、ランナーにタッチしなくてもホームを踏めばいいんだけど、捕球する時に僕の足がホームベースから離れてしまったんです。
――すると、ゲッツーどころかひとつもアウトを取れずに、しかも得点を許してしまうことになりますね。
八重樫 そうなんだよね。絶対に点を与えたくなかったから、「何としてでも三塁走者をアウトにしよう」と思ったわけですよ、僕は。で、その三塁走者が豊だった。彼は足が速いから、なおさら必死になる。確実にホームベースを踏める体勢じゃなかったし、アンパイアに確実に「アウト!」と言ってもらうために、豊にタッチしようとしたんです。
【大洋・古葉竹識監督の謝罪でガマンはしたけれど......】
――状況的に「ランナーにタッチは必要ない。フォースプレーでいい」と理解した上で、タッチにいったわけですね。
八重樫 そう。それで豊の足にタッチして、審判は無事にアウトを宣告した。ゲッツーは取れなかったけど、得点は与えなかった。まぁ、最低限のプレーができたと思ったんです。そうしたら豊が立ち上がって、僕に向かって言ったんだよね......。
――高木さんは何と言ったんですか?
八重樫 吐き捨てるように「野球、知ってるんすか?」って。思わずオレも「あぁっ?」ってなったよ。一体、誰に向かって口を利いているんだと。アイツは「フォースプレーでいいのに、どうしてわざわざタッチするんですか?」って言いたかったんだろうけど、こっちはさっき言った状況でタッチにいったわけだから。
――それで、八重樫さんはどうしたんですか?
八重樫 豊はすぐに三塁ベンチに引き上げていくから、彼の背中を追って大洋ベンチまで追いかけました。
――八重樫さんがそこまで怒るのは珍しいですね。それから?
八重樫 そうしたら、ベンチにいた古葉監督が最初に異変に気づいて出てきたんだよ。「ハチ、どうした?」と聞かれたんで、事情を説明したんです。すると古葉さんはすまなそう顔をして、「悪いなハチ。アイツ、ちょっと変わってるからガマンしてやってくれ」って謝られたんだよね。古葉さんにそこまで言われたから、腹は立つけどガマンしたけどさ。

当時を振り返った八重樫氏
―― 一応、腹の虫は収まったんですね。
八重樫 いや、試合後も腹が立って仕方がなかった。当時、うちに小川(淳司/現ヤクルトGM)が在籍していたでしょ。彼は中央大学で豊のひとつ先輩なんですよ。それで、思わず小川に向かって、「豊は一体、何なんだよ!」って怒ったんだよね......。
――小川さんにしてみたら、完全なとばっちりですよ(笑)。
八重樫「あの野郎によく言っておけ!」と続けて言ったら、小川も「豊は変わったヤツなんで......」って返してきたよ(笑)。試合中に激怒したのは、後にも先にもあの日だけ。豊に対してだけだったから、あの日の出来事は忘れられないんだよね。
【「スーパーカートリオを分断しろ!」】
――その後、高木豊さんとは和解したんですか?
八重樫 いや、してない。彼が評論家になってグラウンドに降りてきたことはあったけど、向こうからも来ないし、こちらから行くこともないし。屋鋪は現役時代から、すごく礼儀正しいヤツだったんだけど。
――前々回では加藤博一さんの普段の姿を伺いましたが、屋鋪さんはどんな方だったんですか?
八重樫 前に言ったように、当時はグラウンド外の交流なんて誰ともしていなかったけど、屋鋪はいつも試合前の練習の時にあいさつに来たし、遠くからでも僕の姿を見ると、手を振りながらあいさつをしていたよ。やっぱり、そうされると悪い気はしないね。
――1980年代はヤクルトと大洋がいつもBクラスで、最下位争いを演じていましたが、あらためて「スーパーカートリオ」には、どんな印象をお持ちですか?
八重樫 これも最初にも言ったけど、3人の個性が違っていてとても厄介でしたよね。ミーティングでも「3人を分断しろ」という話がいつも出ていた。初回は仕方ないけど、それ以外のイニングでは、一番なり、二番なりで回を終わらせるように苦労しました。あの3人はそれぞれいい選手だったし、豊の一件も含めて、今ではいい思い出です(笑)。
――そうですね、3人とも昭和の一時代を象徴する名選手たちでした。では、こんな感じで、次回からも八重樫さんが対戦した選手たちの思い出を聞いていこうと思います。引き続きよろしくお願いします!
八重樫 昭和のエピソードが中心になると思うけど、懐かしい往年の選手たちを振り返っていくのも悪くないよね。引き続き、よろしくね。
(第39回につづく)