秋のGIシリーズが佳境に入ってくると、ふと"敗者"たちを思い出すことがある。とりわけ印象深いのは、GIの栄誉にあと一歩まで迫りながらも、2着続きで「シルバーコレクター」といった、あまりありがたくない愛称で呼ばれた馬たちだ。 常に"あと一歩…

 秋のGIシリーズが佳境に入ってくると、ふと"敗者"たちを思い出すことがある。とりわけ印象深いのは、GIの栄誉にあと一歩まで迫りながらも、2着続きで「シルバーコレクター」といった、あまりありがたくない愛称で呼ばれた馬たちだ。

 常に"あと一歩"。だが、彼らにはその"一歩"が遠いのだ。

 そして、その存在はいつしか、掲示板にも載れなかった馬やふた桁着順に沈んだ馬たちと同じく、おびただしい"敗者のカタマリ"の中に取り込まれ、やがて忘れ去られていく。

 だが、彼らの中には、その"詰めが甘い"というキャラゆえ、多くのファンに愛された馬もいる。そんな「シルバーコレクター」たちに、思いを馳せてみたい。

 記憶にも、記録にも残って、ピカイチの愛されキャラとなった「シルバーコレクター」と言えば、ステイゴールドだろう。

 1997年の秋から2000年の春まで、28連敗という"大記録"を残している。

 その間、掲示板に載ったのは22回。そのうち、2着が10回もある。しかも、重賞での2着が7回。GIだけでも4回ある。

 要するに、どんなに強い相手と戦っても、それらより明らかに弱い相手と戦っても、いつも2着止まりなのだ。

 これには、多分に"気の悪さ"が災いしていたらしい。

 レース中でも、近づいてきた馬に噛みつきにいったりしたそうだ。その気性の激しさが、レースへの集中力を削いでしまったのだろう。

 ステイゴールドの連敗が止まったのは、2000年5月。雨の東京競馬場で行なわれたGII目黒記念(芝2500m)だった。

 連敗に終止符を打つべく陣営が打った一手は、主戦の熊沢重文騎手から「天才」の名を欲しいままにしていた武豊騎手への乗り替わりだった。そして、この一手がズバリと当たる。

 泥んこに近い馬場状態のなか、レースはホットシークレットが大逃げ。武豊騎手騎乗のステイゴールドは、中団馬群に待機していた。直線を迎えて、馬群が一気に凝縮すると、ステイゴールドはその間を縫うようにして抜け出し、残り200mで先頭へ。最後は、追いすがるマチカネキンノホシを1馬身4分の1振り切ってゴール板を通過した。

 実に2年8カ月ぶりの勝利。しかも、念願の重賞初制覇である。

 調教師をはじめ、スタッフみんなが泣いた。スタンドからも大きな拍手が沸き起こった。翌日のスポーツ新聞には「GI並みの拍手だった」と記されていた。

 ステイゴールドは、その後もしばらく勝てない時期が続いたが、翌年、年明けのGII日経新春杯(京都・芝2400m)を勝って重賞2勝目。続くドバイ遠征で、当時世界ナンバー1だったファンタスティックライトを破って、海外のGIIレースで勝利を収めた。そしてその年末、香港に遠征してGI香港ヴァーズ(芝2400m)を快勝。ついにGI馬の仲間入りを果たし、現役生活を終えた。

 国内では届かなったGIの栄冠。だが、より強豪ぞろいの海外でGI勝ち。ステイゴールドは、最後まで"人間の物差し"が通用しない馬だった。

 記録と言えば、シーキングザダイヤを思い出す。

 早々に重賞タイトルを手にして、3歳秋には海外遠征に挑んだ。そこでは振るわなかったものの、帰国後はダートを主戦場として活躍した。しかし、中央、地方交流を含めてGI戦では1勝もできず、2着9回という"怪記録"を樹立した。

 これは、GI未勝利馬の2着記録としては、国内最多だという。文字どおりの「シルバーコレクター」だ。

 得意戦法は、好位2、3番手からの押し切り。ただこの戦法では、GIを勝ち切れなかった。ゴール前のひと伸びと、その"ひと伸び"を可能にする勝負根性が、いつも足りなかった。

 それでも、2005年のGIジャパンCダート(東京・ダート2100m)では、当時のダート王カネヒキリとハナ差の勝負を演じている。決して、力がなかったわけではない。

 9度のGI2着を積み重ねてきた期間、鞍上を務めた騎手は、オリビエ・ペリエ、横山典弘、武豊と一流どころばかり。彼らの腕をもってしても、シーキングザダイヤは"定位置"の2着より上の結果を残すことができなかった。最近の言葉で言えば、"もってない"ということだろうか。

 引退後は、種牡馬となって、南米のチリで複数のGI馬を輩出。その中には、チリのダービー馬もいるという。

 さて、「シルバーコレクター」には、その時代に生まれて"相手が悪かった"というケースがいくつかある。

 例えば、ヴィルシーナ。2012年の牝馬三冠レースにおいて、すべて2着に終わっている。トライアルのGIIローズS(阪神・芝1800m)を含めて、GI桜花賞(阪神・芝1600m)からGI秋華賞(京都・芝2000m)まで4戦連続2着という記録を持つ。

 その4戦すべてで勝ち馬となったのは、女傑ジェンティルドンナ。牝馬三冠達成後には、GIジャパンC(東京・芝2400m)で怪物オルフェーヴルをも撃破している。

 ヴィルシーナは秋華賞のあと、GIエリザベス女王杯(京都・芝2200m)も2着に終わったが、古馬になってからGIを2勝している。もし同世代にジェンティルドンナがいなければ、彼女が三冠牝馬になっていたかもしれない。

 同い年のライバルにやられ続けた馬と言えば、メイショウドトウもそうだ。

 同馬が重賞戦線で活躍し始めたのは古馬になってからだが、GII、GIIIでは勝利を挙げることができても、GIの舞台となると、必ず"越えられない壁"が立ちはだかっていた。前年の牡馬クラシックで、アドマイヤベガ、ナリタトップロードらとしのぎを削ってきたテイエムオペラオーである。

 2000年のGI宝塚記念(阪神・芝2200m)を皮切りに、その年のGI天皇賞・秋(東京・芝2000m)、GIジャパンC(東京・芝2400m)、そしてGI有馬記念(中山・芝2500m)と、メイショウドトウはすべて2着。勝ったのは、もちろんテイエムオペラオーだ。

 年が明けても、GII日経賞(中山・芝2500m)を快勝したメイショウドトウだったが、GI天皇賞・春(京都・芝3200m)では、またしてもテイエムオペラオーの後塵を拝して2着に終わった。

 これで、GI5戦連続の2着。それも、すべて同じ馬の2着である。さらに口惜しいのは、5戦のうち、3回までがタイム差なしの2着だったこと。現実には、わずかにハナかクビの差しかなかったことだ。

 ただそれは、永遠に越えられないハナ差、クビ差のようにも思えた。それほど、テイエムオペラオーの"壁"は高かった。



2001年の宝塚記念で宿敵を下して、悲願のGI制覇を遂げたメイショウドトウ

 しかし、GI5戦連続2着の屈辱を味わった直後、メイショウドトウにとって、汚名返上の機会が訪れた。「もう2着はごめんだ」と決死の覚悟で挑んだGI宝塚記念である。

 作戦は、早め先頭からの押し切り。末脚勝負では分が悪く、勝負根性でもわずかに劣るメイショウドトウには、その手しかなかった。

 そうして、4角手前で早くも先頭に躍り出たメイショウドトウ。後方から強襲するテイエムオペラーの追撃を1馬身4分の1振り切って、初めてテイエムオペラーに先着した。同時に、念願のGIタイトルを手にしたのである。

 その後、メイショウドトウは秋のGI戦線でも奮闘したが、勝利を飾ることなく引退した。結局、GI勝ちはテイエムオペラオーを見事に撃破した宝塚記念のみ。ただその1勝は、非常に大きく、価値のあるもののように思える。

 GI7勝を挙げたテイエムオペラオーが歴史に名を刻む名馬になったのも、メイショウドトウという宿敵の存在があったからだろう。

 競馬は、勝者のみならず、敗者もまた美しい。