東京六大学のマネージャーは、基本的に男子と女子の協力で成り立っている。通称「男マネ(ダンマネ)」「女マネ(ジョマネ)」と呼ばれ、彼らが歴史と伝統ある各校の野球部を支えている。  男子のみで運営する早大を除き、5校で活躍する“ジョマネ”。…

 東京六大学のマネージャーは、基本的に男子と女子の協力で成り立っている。通称「男マネ(ダンマネ)」「女マネ(ジョマネ)」と呼ばれ、彼らが歴史と伝統ある各校の野球部を支えている。

 男子のみで運営する早大を除き、5校で活躍する“ジョマネ”。その一人が、法大の常山綾香マネージャー(4年)だ。

「マネージャー業務も男子と女子で役割がある程度、分かれています。男子はオープン戦など日程のスケジュール調整、野球部にかかわる渉外業務のメイン、選手に近いので道具管理など、部が円滑に回るための仕事。女子はサブではありませんが、より細かい仕事です。経理、SNSを利用した広報活動、ホームページの管理、グラウンドに行って来客の対応など、内側の部分を主に担っています」

 高校野球のように、いつもグラウンドに出て水分補給など選手とともに奔走するイメージとは一線を画す。高校のそれより大きな組織である野球部を、まさに縁の下の力持ちで支えているが、その思いが伝わる機会は少ない。

 彼女たちは何を思い、東京六大学に青春を捧げ、4年間を過ごしているのか。常山さんの場合、神宮と母校への憧れがきっかけだった。

 家族の影響でヤクルトファンになり、小さい頃から通った神宮球場。法大付属の法政女子高(神奈川)3年の春、燕党として憧れていた青木宣親も立つ舞台を使用し、戦う東京六大学リーグ戦を観戦した。

 3歳上に立大のマネージャーを務めていた徹成さんがいた。「兄が普段どういうことをしているのか見てみたい」。きっかけは些細なこと。興味本位で足を踏み入れた応援席でショックを受けた。

「球場全体が盛り上がり、勝ったら肩を組んで校歌を歌える。その一体感に圧倒されました。普段、ヤクルトの選手が試合をしている球場で、私がいずれ進む大学の選手が活躍し、みんなで『法政~!』と叫び、その声が球場に響き渡る。感動して、一瞬で心を奪われました」

 そして、思った。「私も野球部の一員として、もっと多くの人と感動を共有したいし、もっと多くの人に六大学と法政の魅力を伝えたい」と。内部進学で法大に進んだと同時に、野球部の門を叩くことに迷いはなかった。

 しかし、華やかさを思い描き、飛び込んだ世界に見たのは、予想以上の現実だった。

 

多忙を極める“ジョマネ”が寮で担う仕事とは【写真提供:法政大学野球部】

 1年生が任されるのは備品管理などの雑務がメイン。平日は週3日、夏休みになれば週5日、朝9時から監督が帰宅する午後7時まで事務室で作業する。女子マネージャーは寮に入らないため、自宅から1時間かけて通った。

「来客の対応が朝早くからある時は朝8時から。上級生の女子マネージャーはそれで構いませんが、下級生は30分早く着いて準備をしなければならず、そうなると7時30分になります。朝6時30分には家を出ることもあり、同期同士でモーニングコールをして助け合っていました」

 部員140人、全国から甲子園球児が集まる伝統ある野球部。全選手の名前だけでも大変なのに出身校、ポジション、投打も覚える。高校3年間を過ごしたのは女子高。いきなり男社会に飛び込み、4年生の先輩に会うと、それだけで固くなり「お疲れさまです……」と言うので、精いっぱい。

「同期の選手すらも打ち解けることができなくて、同期の女子マネージャー3人でよく寂しく固まっていました」

 部活優先のため、アルバイトもできない。付属から進学した高校時代の友人はサークルに、遊びにと、“大学生らしい大学生”を謳歌。SNSを開けば、自分とは180度違うキラキラとした世界が映る。友人に相談もできず、「自分はなんでここにいるんだろう」と孤独を感じた。

「1年生の頃はしょっちゅう一人で泣いていました。ミスをして自分で自分を責めてしまったり、楽しそうな友達の姿を見て悲しくなったり」 

 そんな時に思い返したのが、高3の時に見た風景だった。「野球部や選手の魅力を多くの人に知ってもらいたいと思って入部したのに、自分がこのままだったらいけない」。心震えた原点を思い出し、自分に喝を入れた。

「自分がまず選手の魅力を知らないと多くの人に伝えることなんてできない」。待っていても、誰かが自分を変えてくれない。だから、自分から変わった。勇気を出し、選手たちに積極的に声をかけた。すると、誰もが気さくに応じてくれ、業務連絡以外に会話が増えた。

 先輩から「ツネ」「ツネちゃん」とあだ名もついた。同期の選手からオフにカラオケ、バーベキューに誘われた。1年生マネージャーにとっては、そんなちょっとしたことが嬉しくて、マネージャーが楽しくなった。

 やると決めたら、努力は怠らなかった。

 野球は好きでも高校時代にマネージャーの経験はなく、スコアのつけ方もアナウンスのコツも知らない。スコアは高校時代に経験のある同期に教えてもらい、試合中に先輩がつけているものをチラチラと覗いて参考にした。

 下級生は新人戦を担当するアナウンスは、先輩がしているものを自分でこっそり録音し、あとで聞き直してお手本にして練習した。

「高校で野球部の経験がなかった分の遅れを取り戻すため、できることはなんでも必死にやろうと思っていました」

 支えもあった。徐々に仕事が慣れ始めた1年秋、仕事でミスをしたことがあった。先輩に「まだ任せるのは早かった。先輩になる覚悟が足りていないんじゃないか」と言われた。「たった一つの失敗でも信頼は崩れてしまうものなんだ」と思い、つらかった。

 マネージャーを続けていくべきか。春から悩んでいた時も変わらず、背中を押してくれたのが家族だった。

 立大4年生だった兄の徹成さんは「4年生になって本当に続けてきて良かったと思っている。今はどんなに辛くても耐えて続ければ、その何倍ものやりがいが待っているから」、両親は「キツイと思ったら、いつでも逃げていい。だから、今できることを全力でやりなさい」と味方になってくれた。

「下級生の時は雑務が多く、なかなかモチベーションを保つのは大変だったこともありました。ですが、同期2人と協力して小さいことを一つ一つこなしていくと、先輩から『じゃあ、次はこれをやって』と仕事を振っていただけるようになり、次第に運営に携わることもできるようになりました。

 グラウンドに出れば、普段お会いできないような方とお話することができ、マネージャーとして自信がつきました。『私は六大学のマネージャーをやっているんだぞ』って。確かに、普通の大学生のような学生生活はできませんでしたが、それでも、私はそれ以上に得ることがあったと思います」

 一つ一つの経験を糧にして、マネージャーとしての誇りを身につけた。だから、2年間、寮に足を向け続けられた。

 3年生になると任されるのが、リーグ戦の場内アナウンスだ。通常は3年生がアナウンスをする際はサポートに4年生が就くことが多いが、常山さんの場合は1つ上に女子マネージャーの先輩がおらず、経験のない同期同士で担当することがあり、その分、苦労も多かった。

 例えば、一気に6、7人などの守備位置変更が告げられた場合がそう。

「どの交代から言うと、観客の皆さんが聞きやすいかという順番はアナウンスの判断です。なので、それを瞬時に判断しないといけません。代打が複数出た後の守備に就く際は複雑で『代打の〇〇君に代わり、〇〇君がレフトに入り、レフトの〇〇君がライト』など、必ずしも打順通りに言うことが分かりやすいわけではなく、自分で考えないといけません。聞きやすいテンポ、発音はもちろんですが、その判断は慣れるまで難しかったです」

 こんな風にファンもあまり気づかないところで女子マネージャーの工夫が生き、週末の試合は運営されている。

 寮で、神宮で、走り続けた4年間。その日々は、まもなく終えようとしている。「苦しいことはありましたが、何より部員みんなで優勝という共通の目標を持ち、一緒に頑張ったことが思い出です。ありがたいことに優勝を2回経験させていただくことができました」と振り返る。

4年間の思い出は「部員みんなで優勝という共通の目標を持ち、頑張ったこと」という【写真:荒川祐史】

 知らず知らずのうちに成長もしていた。特に、学びになったのは青木久典監督の存在。「気遣い」の大切さを教わったという。

 午前5時30分から朝練を始める場合も監督自らグラウンドに出てノックを打つ。「常に選手と一緒にやろう、選手の立場に立って考えようと思って動かれている」。それはグラウンドばかりではなく、来客の対応中のちょっとしたひとコマも同じ。

「お客様に食事のオーダーを聞く時に話が盛り上がっていて、そわそわしている私を見ると、さっと『食事どうされますか?』とか、話が長引くなってお出ししたコーヒーがぬるくなったら『新しいものをお出しして』とか、些細なことでも常に相手の何を求めているか考える姿勢を学びました」

 掃除ひとつとっても「自分が綺麗にしたつもりでも、使う人が綺麗と思ってくれなければ、それは綺麗と言えない」など、マネージャーのみならず、社会人としての「気づき」を手にすることができた。

 選手だけじゃない。かかわる一人一人が学び、成長できる環境が東京六大学にはある。

 高1から「HOSEI」の名の下に過ごした高校、大学の7年間。高3春に持った憧れをきっかけにして門を叩き、「その魅力をもっと多くの皆さんに知ってもらいたい」という想いで青春を捧げた法大野球部。実際に触れて知った「魅力」は何だったのか。

「どの大学も共通しているかもしれないけど……」と前置きした上で、思いを明かした。

「とても仲が良いんです。例えば、私たちの代は下級生とも仲が良く、学年関係なく言い合えるような雰囲気。同期の小谷敦己選手は4年生がエラーしたり、代打で打てなかったりしたら『4年生、帰ったら練習な!』と明るく声をかける。4年生だからあぐらをかいて、おごるのではなく、下級生と変わらずに挑戦しようとしている。その姿を見て法政の野球部にいて良かったと思いますし、みんなが一生懸命なチームだと思います」

 表情がぱっと明るくなり、隠せない野球部愛があふれ出たことが印象的だった。では、そんな野球部が他のライバル5校と鎬を削り、切磋琢磨する東京六大学の「魅力」はどうか。マネージャーだからこそ、感じるものがあるという。

「高校時代のスーパースターが集うリーグ。なので、個々の意識がすごく高いと感じています。その中で自分もマネージャーとして携わることができたことが何よりの財産ですし、そういう経験ができることが東京六大学という伝統あるリーグの良いところ。100年近い歴史があり、多くのプロ野球選手を輩出し、意識の高い選手と一緒にマネージャーである自分も成長できるのは六大学にしかない魅力だと思います」

集大成の立大戦へ「最後まで選手の姿を目に焼き付けたい」と常山さん【写真:荒川祐史】

 卒業後はIT企業に就職し、システムエンジニアになる。野球部でパソコンに触れる機会が多く、後輩にホームページの運営など、相談に乗って指導するうちに「もし、自分がパソコンのスペシャリストになって、いろんな人の悩みに力になれたら、やりがいを感じられると思いました」という。

 ここでも、野球部で培った経験が生きると信じている。

「私は文系なので、入社後はイチから学ばないといけません。でも、野球部に入った時も何も知らない状態から、小さなことから積み重ねてやっていこうと思ってやってきたので、社会人としても小さなことの積み重ねで信頼をしていただける存在になりたいです」
 
 引退したら「やりたいことがすごくあります」と女子大生らしい顔をのぞかせ、「このご時世で海外には行けないので、感染対策をした上で日本の世界遺産を巡ってみたいと思ったり、野球部のみんなでどこかに行けたらいいなと思ったり」と笑う。

 ただ、その前にやり遂げなければいけないことがある。今週末の立大戦が4年間の最後のカードになる。

 最後まで、法大大学野球部マネージャーとして走り抜ける覚悟だ。

「マネージャーとして、選手とも顔を合わせるので、悩んでいることがあれば、率先して聞くようにしてきました。そのためにこの人なら話しやすいと思ってもらえる行動をすること。笑顔でいることもそうですし、常にそういう雰囲気でいたいと思ってやってきました。

 今はもう3年生以下に主に仕事を引き継いでいますが、今までやってきたことは最後まで貫きたいし、自分にできることをやっていきたい。そして、これまでたくさんの感動を選手に与えてもらったので、その姿を目に焼き付けて全力で応援し、楽しみたいと思います」
 
 あの春、神宮の応援席で見た風景があるから、今がある。苦労はたくさんしたし、涙したことも数え切れない。「普通の女子大生」にはなれなかったかもしれないが、東京六大学の“ジョマネ”にしか見られない風景を見たこともまた、事実だ。

 最後に「東京六大学でマネージャーを4年間やってみて良かったですか?」と聞いた。「はい、もちろんです」という屈託のない笑顔とともに返ってきたのは、3年前の自分に対するメッセージ。

 それは偽りのない、心の底からの言葉だった。

「1年生の頃はキツくて泣いていたこともありましたけど、あの時の自分に『今、こんなに楽しいんだよ』ということを伝えてあげたいです。

『あなたの続けた選択は間違ってなかったよ』って」


<Full-Count 神原英彰>