去る12月4日、東京都国立市の谷保天満宮の境内と周辺で開催された「谷保天満宮旧車祭2016」。社殿前には第2次世界大戦前のビンテージカーが展示され、その古めかしい姿が注目を浴びていた。一番古かったのは、1927年式のオースチン『7(セブン)…

去る12月4日、東京都国立市の谷保天満宮の境内と周辺で開催された「谷保天満宮旧車祭2016」。社殿前には第2次世界大戦前のビンテージカーが展示され、その古めかしい姿が注目を浴びていた。

一番古かったのは、1927年式のオースチン『7(セブン)』。1922年から39年まで18年間にわたって約29万台が造られたベストセラー。ヨーロッパや日本の小型車造りに影響を及ぼした傑作車で、レーサーに改造するバックヤード・ビルダーも数多く、今も世界中のエンスージアストに愛されている。この個体もそのうちの1台で、ナンバーを取得して各地のクラシックカーイベントやラリーなどに精力的に参加している。

境内で真っ赤なボディが映えていたのは、1932年式のMG『J2』。『ミジェット』の2代目に当たる量産モデルで、このJ2は2座のロードスターだ。オーナーが1年前に英国から輸入した。当時の状態をほとんど保つオリジナル性が気に入っているという。各所に使われるネジは+(プラス)ではなく、昔の-(マイナス)のままであるなど、細かなところも当時のままだ。油圧ではなく自転車のようなケーブルがおおごられるドラムブレーキなども古めかしい。

同じくMGの『N タイプ マグネット』は排気量1290cc、1935年式のスポーツカー。こちらもクラッシックカーイベントに数多く参加し、過酷なミッレミリアも走っている。また境内の一角には国産のビンテージ代表、鮮やかなイエローのダットサン『16型』(1937年)の姿もあった。

オースチン 7(セブン)(1927年)《撮影 嶽宮三郎》 

オースチン 7(セブン)(1927年)《撮影 嶽宮三郎》 

オースチン 7(セブン)(1927年)《撮影 嶽宮三郎》 

オースチン 7(セブン)(1927年)《撮影 嶽宮三郎》 

オースチン 7(セブン)(1927年)《撮影 嶽宮三郎》 

オースチン 7(セブン)(1927年)《撮影 嶽宮三郎》 

オースチン 7(セブン)(1927年)《撮影 嶽宮三郎》 

オースチン 7(セブン)(1927年)《撮影 嶽宮三郎》 

オースチン 7(セブン)(1927年)《撮影 嶽宮三郎》 

オースチン 7(セブン)(1927年)《撮影 嶽宮三郎》 

オースチン 7(セブン)(1927年)《撮影 嶽宮三郎》 

オースチン 7(セブン)(1927年)《撮影 嶽宮三郎》 

MG J2(1932年)《撮影 嶽宮三郎》 

MG J2(1932年)《撮影 嶽宮三郎》 

MG J2(1932年)《撮影 嶽宮三郎》 

MG J2(1932年)《撮影 嶽宮三郎》 

MG J2(1932年)《撮影 嶽宮三郎》 

MG J2(1932年)《撮影 嶽宮三郎》 

MG J2(1932年)《撮影 嶽宮三郎》 

MG J2(1932年)《撮影 嶽宮三郎》 

MG J2(1932年)《撮影 嶽宮三郎》 

MG J2(1932年)《撮影 嶽宮三郎》 

MG J2(1932年)《撮影 嶽宮三郎》 

MG J2(1932年)《撮影 嶽宮三郎》 

MG J2(1932年)《撮影 嶽宮三郎》 

MG J2(1932年)《撮影 嶽宮三郎》 

MG J2(1932年)《撮影 嶽宮三郎》 

MG J2(1932年)《撮影 嶽宮三郎》 

MG J2(1932年)《撮影 嶽宮三郎》 

MG J2(1932年)《撮影 嶽宮三郎》 

MG N タイプ マグネット(1935年)《撮影 嶽宮三郎》 

MG N タイプ マグネット(1935年)《撮影 嶽宮三郎》 

MG N タイプ マグネット(1935年)《撮影 嶽宮三郎》 

MG N タイプ マグネット(1935年)《撮影 嶽宮三郎》 

MG N タイプ マグネット(1935年)《撮影 嶽宮三郎》 

MG N タイプ マグネット(1935年)《撮影 嶽宮三郎》 

MG N タイプ マグネット(1935年)《撮影 嶽宮三郎》 

MG N タイプ マグネット(1935年)《撮影 嶽宮三郎》 

MG N タイプ マグネット(1935年)《撮影 嶽宮三郎》 

MG N タイプ マグネット(1935年)《撮影 嶽宮三郎》 

ダットサン16型(1937年)《撮影 嶽宮三郎》 

ダットサン16型(1937年)《撮影 嶽宮三郎》 

ダットサン16型(1937年)《撮影 嶽宮三郎》 

ダットサン16型(1937年)《撮影 嶽宮三郎》 

ダットサン16型(1937年)《撮影 嶽宮三郎》 

ダットサン16型(1937年)《撮影 嶽宮三郎》