190センチ、110キロという体格は、高校野球界はおろか、プロ野球の世界でもそういるものではない。そんな"日本人離れ"…
190センチ、110キロという体格は、高校野球界はおろか、プロ野球の世界でもそういるものではない。そんな"日本人離れ"の体格を誇るのが、日本航空石川の嘉手苅浩太(かてかる・こうた)だ。
中学3年の時点ですでに身長は187センチあり、その圧倒的な体軀はただいるだけで目立つ存在だった。ストレートの球速もすでに138キロをマークするなど非凡さを発揮していた嘉手苅は、生まれ育った姫路(兵庫)を離れ、石川県能登半島にある日本航空石川へ進学した。

最速148キロを誇る日本航空石川の嘉手苅浩太
入学してわずか2カ月後に行なわれた春季北信越大会でいきなりベンチ入り。初戦の富山商戦で中継ぎとして登板し、3回無失点と好投。華々しい高校野球デビューを飾った。
ここから経験を積み、石川県のみならず、世代を代表する右腕としてその名を轟かせるはずだったが、現実はそう甘くなかった。
嘉手苅を苦しめた最大の要因はケガだった。1年夏の大会後に右足の甲を疲労骨折。昨年秋は右ヒジを痛めたのだが、その直前に腰に違和感を抱いたことが原因だった。練習で走り込みができず「(県大会は)下半身が使えなくて、上半身だけで投げていました。そのせいでヒジに余計な負担がかかってしまった」(嘉手苅)。県大会決勝で星稜打線に打ち込まれ、早々にマウンドを降りた。
直後に開催された北信越大会では背番号5をつけ4番打者として全4試合にスタメン出場したが、最後までマウンドに立つことはなかった。中村隆監督は言う。
「嘉手苅は大会前に必ずといっていいほどケガをしていました。去年は、新チーム結成時は絶好調で、練習試合で天理を完封したこともありました。それが9月になったら状況がガラッと変わってしまって」
ケガが多かった理由として、まず挙げられるのが嘉手苅の体が成長過程にあったことだ。骨に成長線が残っており、余計な負荷をかけられなかったため、練習量をセーブせざるを得なかった。また、高校入学後に一気に体重が増えたため、知らず知らずのうちに骨に負担をかけていた。
だが、それ以上に自覚していたのは、自身の野球に対する取り組みの甘さだった。
「高校に入学した頃は練習熱心なほうではなく、どちらかというと先輩がやっていることを見て、ただついていくだけでした。自分で考えて動くタイプではなかったです」
中村監督も続ける。
「周りの言うことを聞かないわけではないのですが、練習に対する意識は高いほうではなかったですね。こちらとしても何度も会話をしながら指導していたのですが......」
やんちゃな性格も手伝って、横道に逸れてしまいそうになることは何度もあった。そんな嘉手苅の意識が変わり始めたのは、2年の終わりの頃だった。
「自分は将来的にプロ野球選手になりたいと思ってここに来ました。でも、このままでは何も変わらないし、ここで終わるわけにもいかないと思いました」
出場が決定していたセンバツ大会も迫り、徐々にモチベーションも上がってきた。しかし、新型コロナウイルス感染拡大の影響により中止に。大会中止決定の翌日、チームは解散となり、嘉手苅は地元に帰省することになった。今までの嘉手苅だったら、地元の友達と遊びふけっていたかもしれない。だが、嘉手苅は真摯に野球と向き合った。
「こういう時だからこそ、自分からやらないと、と思って......ほぼ毎日ひとりで練習していました。今までは帰省しても自分で何かをすることはなかったんですけど、(野球経験のある)兄とキャッチボールをしたり、走ったり......やれることは率先してやるようにしました」
帰省生活は2カ月以上に及んだ。石川に戻ったのは5月下旬だったが、嘉手苅の顔つきを見た指揮官は、変化を見逃さなかった。
「明らかに変わっていましたね。帰省する前と表情がまったく違っていて、練習でも自分から積極的に動くようになっていました。帰省の間に何があったのかと......」
夏の代替大会ではエースとしてマウンドに立ち、決勝ではこれまで何度も苦杯をなめてきた星稜を破って優勝。そのあと甲子園で行なわれた交流試合でも鶴岡東(山形)戦に先発し5回4失点で敗れはしたが、140キロ台中盤のストレートを連発するなど、強烈なインパクトを残した。
高校野球引退後も毎日グラウンドに来て、厳しい練習を課している。
「甲子園で投げて、スピードはあっても中森(俊介/明石商)くんや高橋(宏斗/中京大中京)くんと比べると、コントロールのレベルが違いすぎると感じました。自分は体が大きくても、まだできていないとよく言われるので、これから鍛えてプロで通用する体をつくっていきたいです」
後輩が秋季大会中は自ら打撃投手を買って出たり、紅白戦では先発投手に立候補するなど、積極的に実戦経験を積んでいる。中村監督が言う。
「おそらく現役の時(1年〜3年夏)よりも今のほうが意識は高くなっています。走る量も明らかに今のほうが多いです」
練習後のトレーニングでは、脆いと言われていた下半身を強化し、上のレベルで通用するための体づくりに励んでいる。
「監督に『やっと気づいたな』と言われます」と嘉手苅は照れ笑いを浮かべたが、たとえドラフトで指名されても、もちろんそこがゴールだとは思っていない。
「高校では自分のせいで負けることが多かったので、これからは勝てるピッチャーを目指します。いいピッチャーというのは、調子がいい時も悪い時も自分をコントロールできる。悪い時でも抑えられる──そんなピッチャーが理想です」
無限の可能性を秘めた大器は、はたしてどんな評価を受けるのか。運命の日が近づいても、いつもと変わらぬ姿で、黙々と汗を流している。